『嫌われ松子の一生』 。

 僕にとってつらい映画だと、劇場公開時に友人が気遣ってくれた作品だ。

 鑑賞したとmixiの日記で書いた時も、一人のマイミクさんが「大丈夫か?」とTelしてくれた。

 中谷美紀扮する松子がヒロイン。松子は転落人生を辿り、ボロボロになっていく。松子は美女だったが、人生の渦に巻かれて堕ちていく。それに伴って端麗だった容姿は原型を留めないほど崩れていく。同時に行為・言動も崩れていく。この「崩れていく」は「壊れていく」と言い換えてもいいだろう。終盤の松子は、一見、キ○ガイだ。

 余談だが、僕はこの「キ○ガイ」という言葉をどうして伏字にしなければならないのかわからない。「狂気」という、なんとなく <ブンガク的> な響きをもった言葉と「キ○ガイ」では、そこに漂うニュアンスが異なる。なのに、「狂気」は良くて「キ○ガイ」はダメだという。語句に問題があるんじゃない。その使い方・意識の問題なんだ!! と主張すると、人は「正義」だとか「ご立派」だとかいう言葉を用いて、発言者を褒めているように見せかけて距離を置く。ああ、こういうことがわかってしまうと、生きていくことがつらくなってくるよなあ……

 僕、<普通> に生きていきたいんよね。

 しかし、この <普通> っていうのがクセモノなんよ。何を以って <普通> とするか? <普通> の基準ってどこにあるのか? <普通> っていう概念は、実に曖昧模糊としたところにあると思うな。

 普通、フツウ、ふつう。

<普通> ってなんだろう?

 何度も考えたなあ。これまでに、何度も何度も考えた。

 生い立ちからして、僕は <普通> ではない、のだろう。自分でもそう思うし、人からも何度となく言われたから。「ドラマみたいや♪」とか。そこで、それを面白おかしく伝えることで、なんとか自己の存在を悪い感じのしないベクトルに向けて発信しようと思いついた。

 僕は、普通じゃない。

 普通じゃない。

 もうね、刷り込みみたいなもんよ、これ。

<普通> っていうのが、心底羨ましい。これは今でも羨ましい。

 中学生の時、 <生まれ変われるとしたら何に生まれ変わりたいか> というテーマで作文を書く機会があった。僕は「生まれ変わっても人間がいい。男でも女でもいい。ただ、<普通> の家に生まれてきたい」というようなことを書いた。60点だった。この60点という点数を、僕はひどく残酷なものだと感じた。 <普通の家> というのは <親が子を愛し、子が親を愛し、裕福ではなくとも、健やかな家庭> のことだと、そこまで文章できっちり説明した。僕が思う <普通の家> というのはそういうことだからだ。

 しかし、僕の理想というか、純粋な願いというか、そういうものに対して60点という評価が返ってきた。これは大変なショックだった。点数そのものもショックではあった。しかし、それ以上にショックだったのは、大人の勝手な判断基準だ。

 中学校3年生までの僕は文字通りの優等生だったと自負している。勉強もスポーツも出来た(今の僕とは大違いだ^^;)。5教科で460〜480点くらいが常であった。まあ、それは中学校3年生の1学期末でズガーンと成績が落ち、5教科で350点くらいまでに落ちた。2学期中間テストの結果も同じで、担任のY先生は「何があったんや?」と大変心配してくれ、相当心配してくれたものである。しかし、この作文を書いた頃の僕は、まだ学年トップクラスにいて、少々天狗になっていた頃でもあった。<普通ではない家に生まれた> というコンプレックスを踏み台に……というの、実は小学校低学年くらいから意識していたものである。ヤな子どもだ。

 その僕が心底から書き連ねた作文に与えられた60点という評価は、僕の心をグサグサと突き刺した。「イルカになりたい」と書いた友人が85点で、「普通の家に生まれてきたい」と書いた僕は60点。文章力でその子に決して劣っているとは思わなかったし、そもそもそういう問題でもないような気がする。

 どうして60点なのか? 納得がいかず、その点数をつけた先生に尋ねると「夢がないから」と言われた。

 いや、あるがな、夢。

 ここに書いてあるがな。

 これが僕の夢やねんっ!!

 ほな、なにかいな。「タイムマシンを発明して恐竜と仲良しになりたいでーす」って書いたら100点か? んなもん、プテラノドンに突つき倒された後、ティラノさんにドタマからガブっといかれて終わりじゃ、ドアホっ!!

「もっと中学生らしい明るいウンタラカンタラ……」

 ほな、最初にそう言え。ほならそういう俺にとってのファンタジー・ホーム・ドラマを書いたるわ。成績のために。アンタらとか、親のために書いたわ。本音、押さえ込んでそうせえって言うんやろ? そうしたら少なくとも80点以上くれはるわけや。ほんまのこと書いたら60点や。そんなもんのどこが教育やねん!? アホーーーーーーっ!!

 というように、国語の時間は、好き勝手にやってましたなあ。いや、そういう話やないか(笑)。

 でもね、そこをイヤーな目で見張る先生も確かにおったけれども、「そこを大事にして伸ばしていきなさいね」って言ってくれはった先生もおった。

 高校3年生の時、選択科目で、音楽や家庭科と並んで小論文という科目があった。で、小論文を採ったんよね。男の先生だった。

 その小論文の授業。初めてのテーマが「現代における女性の立場について」だかなんだか、そんなの。これ、僕、またもや60点だったの。でも、納得した。まとめの部分で、それまでに展開してきた主張を曖昧にぼかしたから。その先生は、全員の小論文に、点数だけでなく感想も書いてくれたんよね。これ、大変な作業だと思う。未だにその時の文面、覚えてるもんなあ。

「前半の主張を崩さないように。なぜなら、前半の貴方の主張は、人間として真に大切なものだからです。そこを失わずにいきましょう」って。

 その次のテーマ、忘れちゃった。なんかどーでもいいようなテーマだったような気がする。やっつけ気分で書いて85点だったかな。「楽勝っ!」って思った。僕は、一発目でこの先生を全面的に信頼したから、その授業は欠かさず出たんだ。一回も休んでないはず。他の授業は、度々すっぽかして映画館行ってたけど。選択科目って、週に1回で、確か土曜日だったんよ。土曜日って新作映画の封切り日やん?

 その誘惑を振り切って、この授業を選ばせるだけの魅力がその先生にはあったなあ。2時限ぶっつづけの授業で、その先生は、前半で色々話をしたり、授業らしい授業をしてから、後半で僕らが小論文を書くという。後半は、先生、ずっと本読んではった。「楽でええなあ♪」なんて思った(笑)。

 でね、この先生。授業そのものは全然面白くない(苦笑)。ものすごく丁寧な言葉遣いをする人でね、授業でも「〜〜でありまして」なんていう言い回し。生徒に対しても「貴方」という言葉を使っていたなあ。「貴方はどうしてそのように思うのでしょうか?」って。「かしこまった先生やなあ〜」って思ってた。ま、そのあたりは、当時の僕にとって、けっこうどうでもよいことであって、「授業、おもろない〜。かったるい〜。はよ、テーマゆーてー。はよ、書きたい〜!」って、そんな感じだったなあ。前半、寝てたこと多かったもん。一回、この先生に叱られたっけ。「寝てはいけませんよ。人が真剣に授業をしているのに寝るだなんて、いけないことです。貴方はしっかりした良い文章を書くのに、こんなことでは私は良い評価をすることができないではないですか。今回は注意だけにしておきますから、しっかりしてください。自分のためですよ。では、よろしく。はい、授業を続けます」って。

 この時、僕は授業が終わってから、職員室に向かって歩いていく先生を追いかけたんだわ。

「先生」って声を掛けたら、振り返った先生が「ん? なんですか?」と。

「さっき、寝ててごめんなさい」

 僕ね、聞かん坊やし、世間に対してスネてたからね。まあ、今でもかなりスネてる部分があるけど。だから、退屈な授業に対しては、

「おもろない授業やから寝るねん!! そりゃ、寝るやろ、おもろないねんもん!!」

 って思ってた。でも、この先生には、「あー、謝らなあかんわー」って思えたんよね。そしたら、先生が、

「ゴマを擦っても、小論文の点数には影響しませんよ」

 って笑いはったんよね。

「そんなんちゃうもん。悪いって思ったから謝ろうって……」って言いかけたら、

「冗談ですよ。わかってますよ。貴方は、せっかくの才能を態度でぶち壊しにしようとしている。才能と態度の総体を評価だとか結果と言います。このままでは、私は良い評価や結果を貴方に与えられません。そんなもったいないことを私はしたくないのです。だから貴方も、そういった部分をきっちりして下さい。貴方の文章、楽しみにしているんですから」

 そんな返事が返ってきた。

<伸ばす> <諭す> ということにおいて、この人以上の人物を僕は知らない。

 その時の小論文のテーマが何だったかも忘れてしまったが、スタンリー・キューブリック監督の『2001年宇宙の旅』と、つげ義春の『ねじ式』を持ち出して書いたのは覚えている。

【アーサー・C・クラークの原作を、スタンリー・キューブリックは、およそ他の誰にも成し得ない斬新な解釈と話法を駆使して映画化してみせた。原人が骨を宙に放ると、その骨が次の瞬間に宇宙船ノストロモ号になる。ここでの目を見張る「時の跳躍」の凄まじさ!(中略)あるいは、つげ義春が傑作劇画『ねじ式』において繰り広げた、「メメクラゲ」(これは「××クラゲ」の誤植らしいが)に刺された男が病院を探すという物語に織り込まれた不条理極まりない世界観の構築とその悪夢的なストーリーテリングの妙味がウンタラカンタラ】と。

 これは90点だった。その点数はまあ、どうでも良い。低過ぎるとショックだったが、最初の60点が最低で、以後は常に80点以上だったし、一定の自信と言うものがあったからだ。その頃の僕には文章において「お前らには負けねーよ」という些か高慢ちきな自信が周囲に対して、あった。まったくもって愚かしいことだが、「文章なんてもんは、小難しい文字を繰り出して同語反復を避けてそれらしく書けば、大人(それは専ら=教師であり、文章内容など本当はどうでも良く点数だけを求めた母であった)なんてものは簡単にごまかすことができる」と思っていたからだ。

 僕の書く文章に、読者なんてものは存在しなかった。教師は、ただ <仕事> として、読みたくもない下手糞な文章を何十・何百人と読み続け、その中で点数をつけるだけだし、親は点数にしか興味がなかったからだ。

 中学生の時、フランツ・カフカの『変身』の読書感想文を「中学生がこんな文章を書けるわけがない」=「僕が誰か <エラい人> の文章を盗作した(あるいは、年長者に書いてもらった)」と決め付けた教師に、僕は「んな盗人みたいなことするか! バカにすんな! 死ね、アホ!!」という言葉を叩きつけて、そのまま家に帰り、そのまま数日間登校拒否をしたことがある。その間、漱石の『我輩は猫である』や『こころ』など、 <モンブショウセンテイトショ> とかなんとかいう <らしい本> を選んで、「〜〜だと思いました」「猫がかわいらしく書かれていました」とか、「アホちゃう?」と自分で思うような感想文を書いた。「これでエエのん?」と投げつけたら、「今後、汚いことはしないように」と言われた。大人をだますというのは簡単だと知った。要するに、子どもぶれば良いのである。本当の自分を見せてはいけないのだ。子どもは子どもらしく、稚拙な文章を書かねばならない。その稚拙は「微笑ましい」という感触につながり、そういった文章を書くことで可愛がってもらえるのだ。

 母は「良く書けたわねえ♪」と言いながら、点数だけを見ていた。<70点だが、文章としては良いものだと僕が思っている文章> はクソミソにけなされ、<大人にゴマを擦って模範的にキレイゴトを並べて90点をとった文章> を母は「あんたには文章の才能がある!」と誉めそやした。アホかと思った。「ココがだめ」「ココはもっとひねって書かないと」「この表現はもっとこう……」 

 あー、うざい、うざい、うざい、うざい、うざい、うざい、うざい。

<うざい> という言葉はあまり好きではないため、意識して用いないようにしているが、この時の感情は、 <うざい> という言葉がぴったりであった。

 ほな、大人さんが90点の文章を書いてみて下さい。それを僕にお手本として読ませて下さいと思った。

 この人ら、僕を見てくれないじゃないか。点数とか文面だとかだけを見て、その奥を見ないじゃないか。そもそも、文章を見詰めもせずに、文章に点数をつけるなど言語道断である。アンタら、どんだけエラいねん!? ナンボノモンジャーーーーーーー!!

 とまあ、可愛気のない僕は、教師に可愛がってもらおうなどとは、これっぽっちも思わなかった。しかし、媚れば母が喜ぶし、義父も喜ぶ。まあ、はっきり言ってしまえば、それもどうでも良かった。「アホやね、あんたら」と思いながら、どこかで <食事代> <住居代> だと思って、子どもらしさなるものを装った(←ヤなヤツですね、僕ってば)。苦手な数学・科学・化学などは、それこそ必死になって徹夜で勉強した。

【スイヘイリーベ ボクノフネ ナゼマガル シップスクラークカ】

 元素記号を必死こいて覚えた。そして、とっくの昔に忘れた。

「なぜ曲がる?」

 んなもん、こんな育ち方してたら自ずと曲がるわ、ボケーー!

 そういったことに疲れて半ば投げ出したのが、先述した中学校3年生1学期の時だ。

 高校1年生のある日、離れて住んでいたばーちゃんが我が家にやって来てこう言った。

「まー君は、今、まー君やないね。しんどいね。ばーちゃんとこ来て一緒に住むかえ?」

 と突然言った。この時、我が家は既に大人の事情がグチャグチャで、崩壊しかけていたのだ。その中で、僕の成績がガクンと落ちたことを、母と義父が互いにその責任をなすり合い、大揉めに揉めていた。けれど、僕は「友達がいっぱいいる今の家の方がいいよなあ」と思ったので、

「ううん。僕、ばーちゃん好きやけど、ここにおる」と答えたら、

「そうかいね。でも、あれやでぇ。まー君は無理してエエ子にならんでええんやで。まー君はまー君でおってええんやで。あの子ら、アホやから、大人の見栄でしか物事考えられへん。でも、まー君はそんなんに振り回されたらあかん。まー君はまー君やもんねえ。大人の顔色を伺うような歳やないねんでぇ。そんなんせんでええねんでぇ。つらくなって、もぉあかんと思ったら、ばーちゃんとこいつでも来てええからね。ばーちゃんは、まー君を突っぱねることは絶対にせーへんで、いつでもおいでや」って。

 でも、ばーちゃんのとこには行かなかった。そこだけはグッと踏ん張ったつもりだ。結局、しばらくして、高校在学中のまま、僕は一人暮らしを始めることになるのだ。

 そうこうしている内に、高校3年生。小論文の授業で、先に紹介した先生と出会ったわけだが、その最初の時、僕はちょっと上から目線で「お手並み拝見♪」とばかりに真剣に書いた。真剣に書いた文章の出来が悪かったのは恥ずかしい限りだが、点数だけでなく、その点数と同じ赤ペン文字で批評や感想めいた文章が添えられていたのですっかり嬉しくなってしまったのだ。その赤い数行の文字を読むためだけに、僕は必死になった。映画と読書と、あと、それなりに旺盛な性欲に、この赤ペン先生による感想が楽しみとして加わった。

 しかし、先述した【キューブリックとつげで90点の小論文】が戻ってきた時、僕は愕然とした。赤ペン先生の書き出しを目にした時、90点であるにも関わらず、突き落とされた気分になった。

【私は、貴方の文章を読んでいて、いつも貴方のことをこう思います。「普通じゃない」。】

 確かにこうあった。 

「結局、コイツもか……」と思った。

 続けてこうあった。

【貴方の年代で、文章につげ義春の名が登場するとは…… なんでしょうね、この感覚は。ちょっと私なりに考えてみます】

 ここで、僕はヒネくれてしまっていたから、「ああ、コイツも僕を真っ直ぐ見てくれていない」と感じてしまったんだなあ。もう、物凄くねじくれてしまっていたから。

 授業が終わって、また先生を追いかけ、「先生!」と声をかけた。

「どうしました?」

 という先生に、僕はかなり怒りを露にした様子で迫った。詰め寄ったといって良い。

「『普通じゃない』『普通じゃない』って、僕はちゃんと自分でこう考えて書きました! キューブリックもつげも、カッコつけて引用したわけじゃなくて、ちゃんと見て、読んでから書いてます!! ウソなんて、僕ついてへん!!! 『普通じゃない』ってどういうことやねん!!」

 先生は途端に目を丸くしてうろたえた。当たり前である。

「今日は土曜日ですから、4限目が終わって、もし時間があるなら職員室に来てください。話をしましょう。もし時間がないということでしたら、一口で説明しますが、説明が足りなくて逆効果になってしまうかもしれないので、できるならお互いに時間を作りましょう。どうですか?」ということだった。

 僕は4限目をフけた。ま、しょっちゅうのことではあった。校舎裏で悪友たちとタバコ吸ったり、プロレスごっこしたり。やはり褒められた生徒ではなかった。

 4限目が終わり、職員室に行くと、先生が「ちょっと待ってて下さいね」と言って、教科書やらプリントやらを綺麗に片付けてから生徒指導室へ案内された。「あ、ココが丁度良いから使うだけであって、『生徒指導室』という言葉にあまりこだわらないで下さい」とのことだった。

「で、貴方はどうしてそんなに怒っているのですか?」と言う。

 この時点で、僕は「あー、こりゃ、僕の感情が暴走した読み違いだったわ」と気付いていたのだが、あれだけの勢いを見せ付けてしまったものだから引くに引けなくなっていたのだよ。下らない意地である。

 一通り説明をした。「普通じゃない」という言葉が引っかかると。僕は自分で思ったことを書いた。それは年不相応な文章だったかも知れない。今まで何度もそう言われてきた。でも、僕は自分のことを神童だとは思わないし、普通の人間だと思っている。そこを「普通じゃない」と言われるとどうしても引っかかる。だから僕は、ずっと大人たちが言う「普通」に合わせてきた。合わせてきたというとエラそうだけれど、これははっきりと合わせてきた。演じてきた。でも、それをしなくて済むと信じた先生に「普通じゃない」と書かれたのが、突っぱねられた気がしてつらかった、と。

 すると先生は、真面目一徹の表情で(←この先生は、悪く言えば面白みが皆無である)「突っぱねていたとしたら、その点数を私がつけますか?」と尋ねてきた。

「……でも、イヤやったねん!!……」

 もう、僕はメチャクチャである。頭では理解できるが、「ここで折れたら男が廃る」的なクソしょーもない思いに囚われて「勘違いでした。ごめんなさい」と言えなかった。

 しかし、先生は、

「『普通じゃない』ということは何も悪いことではありませんよ。少なくとも、今回、私は貴方を褒めたつもりです」と落ち着いて話してくれた。そして、先生はこう続けた。「けれど、その気持ちを上手く届けられずに貴方を傷付けてしまったみたいです。そういうつもりじゃなかったんです。これは本当にすみません。申し訳ないことをしました」と。

 直後、僕は土下座したんだなあ。「読み違えていました。すみませんでしたっ!!」って。この時は心から先生に悪いと思ったのだ。

 先生は、

「貴方のそういうところが、貴方の文章を作っているんだと思いますね。決して悪いことじゃないです。でも、悪い方向に転がりだすと、多分止まりませんね。ですから良い方向に伸ばしていきましょう。私はそのお手伝いがしてみたいな。私でできるなら。今日はこれくらいにしましょうか。来週、今日提出してもらったものに、今のことの返答も含めてお返事を書きます。少し待って下さいね」

 と言った。

 翌週、返ってきた原稿用紙に記されていた点数は85点だか80点だかだった。正確には覚えていないが、少なくとも90点の時より低かったのを覚えている。返答がいつもよりかなり長かった。

【落ち着かれましたか? 私はやはり貴方のことを「普通じゃない」と思います。今回の文章を読んでも、やはりそう思いました。待ってくださいと言ったのは、この文章を読んでからお返事したかったからです。貴方は、他の方たちと(もちろん)同年代であるにも関わらず、色んなことを知っている。つげのこともそうです。そこで「ハっと」したわけです。とても感覚的な表現ですが、この「ハッと」という表現で貴方には伝わるはずです。きっと色んなものをその目で見詰めてきたのでしょう。良いものも悪いものも。けれど、悪いものを見ることが悪いことではありません。悪いものを見たことを、良いことにしましょう。貴方はそれができる人だと信じています。だから、やはり、私は貴方の文章を今週も来週も読みたいなと思います。あと、今回の文章。まとめの部分が少し弱いです。論旨がぼやけてしまっていますよ。気を付けましょう】

 律儀な先生である。こういう人を真の意味で <先生> と言うのであろう。

 この先生には、卒業式の後、直接挨拶に行った。

「先生、卒業でけたでぇ〜!」(←僕は学校をサボりまくっていたので、卒業できないのではと級友たちが心配してくれていたほどだ)

「あ、おめでとうございます。色んな生徒を見てきました。スポーツで記録に残る人もいっぱいいますが、貴方は記憶に残る人ですよ。これからも伸ばしていってくださいね」

 この先生は、確か剣道部の顧問ではなかったかなあ。僕は断然柔道派だったから、そちらではあまり意識していなかったのだけれど、武道のイメージが残っている。精神的な部分で。

<普通じゃない> という言い回し、僕は今でも好きではないが、この先生のおかげで、自分でそのことを卑下してばかりではいけないということがわかった。それは、人間というものは、持っていきようによって良い方向にも悪い方向にも転がるということである。なんとなく、思い出したので書き残しておく。


2008年9月15日号掲載 このエントリーをはてなブックマーク

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私はやはり貴方のことを「普通じゃない」と思います
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