長い間母を支配していた父が死に、そのかわりに息子であるわたしが引っ越してきた。台所でも座敷でも、かつて家長の座であった父の椅子に座るのはわたしである。えっへん。これは、母にとっては2度目の結婚、2度目の強姦であろうか。しかし実のところ、わたしは母の女ともだちになるしかないのだ。毎日わたしはエプロンをつけ、母と並んで台所に立ち、煮物のつくりかたを教わる。日本酒大さじ3杯、淡口醤油大さじ3杯、砂糖大さじ1杯、みりん大さじ1杯。ぐつぐつ。街を歩いていても、女たちに欲情を感じなくなった。大変だ。そのうちチンポが取れてしまうだろう。

 女になったわたしと75歳の母とが、炎天下に毛むくじゃらの尻と皺だらけの尻とをならべて、誰かが犯しに来るのをまっている。じりじり。しかし横を見ると、母の股間にはいつのまにか、母が漬けるヌカ漬けのキュウリのようなチンポが生えているではないか。そういえば、口元にはうっすら鬚さえ生えている。これは大変。花嫁になって母に犯されてしまうのはわたしなのだろうか。何度聞いてもおかしい母の思い出話。戦時中、母は勤労動員で、近くにある工業専門学校の事務員として働いていた。とはいっても、学徒動員で学校には生徒がいない。授業ができなくなった学校での母の仕事は、用のなくなったグランドを畑にして、せっせとカボチャを育てることだった。

 戦争が終わった。アメリカがやってくる。女はみんな逞しい米兵に犯されてしまうかもしれない。それも心配だが、それよりも、グランドをつぶしてせっかく育てたカボチャがどうなるか気がかりだ。丹精こめた大事な作物を、アメリカさんに食べられてしまってはなんとも口惜しい。それなら、自分たちで食べてしまえ。


text/大須賀護法童子

p r o f i l e
 

 

 同じ年頃の同僚たちと話しがまとまり、母たちは畑で育ちかけのカボチャを早々と収穫して、学校の実験室で煮てぜんぶ食ったそうだ。(そんな無茶をことをしても、きっと叱る上司もいなかったのだろう。男たちはみな出征中か疎開中。ただ一人いばっていた軍事教練の教官も、敗戦と聞くや尻に帆かけてどこかへ逃げてしまったらしい。)

 まだ十分に熟していないカボチャは、水気がなく、とてもまずかった、と母はいう。

 8月。窓の外には青空と入道雲。その向こうから何がやってくるかを不安げに見やりながら、なかばヤケクソでカボチャを頬張る母たち。若い娘たちのことだ。将来のことよりも、彼女らはまず何よりもお腹が減っていて、カボチャを早く食べたかったのだろう。

 夕暮れ。川の面に遠くの花火が映っている。母とわたしはスカートの裾をたくしあげ、川の水にそっと足をひたす。水底の小石の、ぬるりとした感触がわたしたちを立ちすくませる。でも、引き返すことはできない。

 向こう岸は、闇に浸っている。流れの途中で足をふんばって、目印の旗を振っている人もいるが、誰もその人に目をやろうとしない。みんな黙々と、それぞれにあたりを見回しながら、ゆっくりと川を渡っていく

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