先頃、何週かに分けて掲載した「カザハナ 1984」という小説は、 その題の通り20年前にある同人誌に掲載したもので、たしかその雑誌は5部しか製本されなかったと記憶する。終電が過ぎてから、あるいは終電帰りに、安い酒やジャンクなデザート(ラシアンという紫のほろ苦い炭酸飲料が当時のお気に入り)を買う駅前通りのローソンに、薄ねずの色上質紙の束を持ち込み、店員の訝しげな視線を浴びながらコピーして、何を考えていたのやら、綴じ込みのピンナップカレンダーなる代物もプリントゴッコを使って5枚だけ刷った。

 新井薬師前というのはなにしろ新宿歌舞伎町まで10分(アパートの部屋からでも15分)という驚異的に便の良い場所だったし(バブルに無縁のぼくにはやはり新宿が身近だった)、当時いろんなひとの住む場所――中井、高円寺、下落合、江古田、西荻窪など――に近かった。平日の昼間に哲学堂公園を散歩すると、昔一緒に舞台に立ったことのある知人があやしげな白人の彼氏と狭い芝生の上でビキニにサングラスで日光浴しているのに出くわしたり、西武新宿線車内のドア横で芳林堂のカバーをかけた少女まんがに読み耽る高橋源一郎を見かけたりした。原マスミがよくギターを弾いていたのはどの駅の店だったか。

「カザハナ」(そう、発表時はもちろん年号はなかった)の「ぼく」と「従姉」のように、ぼくもやたらと歩き回った。落合から中井にかけて番号のついた細い坂がある。「三の坂」などと手書きの道標がひっそりついているのだが、電車からも見えるのでさぞ多くの通勤者の想像力を刺激したのではないか。それを「一」から「九」まで辿ったりした。実際には道標が失われたものもあってなかなか骨がおれた気がする。

 さて、たった5部だけ印刷された同人誌は誰の手に渡ったのか。たしか1部は阿佐ヶ谷の喫茶店「バナナフィッシュ」に、1部は有名なつくばの、といっても当時は土浦市だったと思うが、ジャズ喫茶「アクアク」に、そして1部はキムチ氏に託して、大阪の、これもジャズ喫茶だと思うが、「カザハナ」という名の店に置かれたのだと思う。

 残り2部は、今でも手元にある。

2004年7月4日号掲載

 

text/吉田直平