読み上げただけではわかりにくいと思いますが、愛するということは、強く愛すれば愛するほど、相手の全てを共有したいという気持ちになりがちです。ところがそんなことは不可能ですから、相手を逆に疑ってしまうということも起きる。それがたとえば嫉妬の感情です。ところが、相手の人も一人の独立した人間であるわけですから、その相手を一人の独立した人間として愛するということは、実は、相手の人間には、自分の知り得ない部分も存在するのだということを認めてあげて、その上でその丸ごとを愛してあげるということでなければならないことになります。それは相手を「信頼」するということによって可能なことです。だいたいそういうことが書かれていると思います。
この原理は、愛する相手にだけ当てはまることではないように思います。社会というものは不思議なもので、どこかでこの「信頼」ということが働かないと、社会全体が立ち行かなくなっていくものであるように思われます。そして「信頼」は、それが真実であるから行われるのではなく、<実践>的な行為として選択されなくてはならないもののようです。それを「実行のなかでおのれを証明するような行為によって克服していく」ことだと、メルロ・ポンティーは言っています。
お二人は愛を育まれていまこのときを迎えておられるわけですから、このお話はきっと言わずもがなで、よくご承知のことだと思います。けれども、記憶のどこかにこのお話を覚えていてくださると、次ぎにお二人が子どもさんを設けられるようになって、その子どもさんが成長されるときに、このお話が役に立つこともあるかもしれないな、という風に思います。
大変つたないお話でしたが、これでお祝いの言葉とさせていただきたいと思います。本日はほんとうにおめでとうございました。
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