●果して水道水は確かに小拙の生命であった。放課後小学校のグランドで死ぬほど遊び、定刻になるとドボルザークの「新世界」が流れて、帰宅を促す。校庭の片隅で水道の水を腹一杯飲んだ。ミリンダもプラッシーも要らない、子供の世界であった。放課後勉強学校に行く奴はブルジョアだった。
●翻って、今は水道の水を誰も飲もうとはしない。大和川や淀川を水系とする大阪区域の水は全国的にみてかなり悪質でマズい水だという。大阪の水はマズいのではなく、コクがあるのに。。。
●水道水は人間が飲める様に基準を決めて消毒やら浄水やらをしている筈だ。中水や下水ではない、上水の話なんである。上水を誰も飲んでいないとなると、消毒も浄水も不要である。風呂や洗濯、炊事、工業用水などの用途に合う水で良いワケだ。
●水道水を一切飲まない若い母子が大勢いる。何の何という情報に基づいたことなのだろうか。小拙には飲料会社の広告や策略に騙されているとしか思えない。烏龍茶も紹興酒も本場中国では誰も飲んでいない。いや厳密に云うと誰かは飲んでいるが、十何億人かの総体に比べれば誰も飲んでいないし、誰も知らないのと同しだ。飲料会社の宣伝費は当然飲料価格に上乗せされている。青島ビールも。
●小拙の身体は餓鬼の時分の水道水とチクロ、肝油と鯨肉で鍛えられている。現代では食卓の上に落ちた食物すら食わないが、小拙は床に落ちたものでも食っていた。床に落ちたものを食って死んだ奴なんて見たことも聞いたこともない。
●恐らくだが、身体や健康に効くと思ってやっていることが、本気の本当のところでは逆になっているのではないか。O-157 もセアカゴケグモも大した毒じゃないと聞いている(誰に?)。ヒトの側で抵抗力や免疫力が落ちているだけの話なんではないか。
●西丸震哉氏の『41歳寿命説』(情報センター出版局)は、去年本厄の身にはちょっと衝撃だった。平均寿命の嘘、健康志向の嘘、医療の嘘、食品の嘘。この本に書かれていることこそが日本の最前線の課題だと小拙は思った。しかし著者そのものが少しロートル化(失礼)しかけていることやタイトルだけでトンデモ本扱いされている側面が見受けられ、社会からは無視されている説だ。
●所謂ミネラルウオーターというものがペットボトルに入って、リットル 200円。水道水の値段はリットル当たり0.18円。経済価値は約千倍である。前者はガソリンより高い。アホくさくてやってられない。六甲の水などはその辺りの水系の水だと思ってしまうが、単なるブランド名だったりするし。
●小拙にはそれに水道水の千倍の価値があるようにはどうしても思えない。太平洋で一ヵ月以上漂流を余儀なくされた佐野三治氏は仲間がしなかった飲尿を試みてたった一人、生還した。(『たった一人の生還』新潮文庫)今の日本には「私」しかなく、イザとなったらバタバタと倒れていく輩だらけになった。
●小拙は考えた、そう「水道水健康法」を。迷わずみんなで水道水を飲もう。清流に魚は住めない。しかも淀川・大和川の水にはコクまである。違いが分かるのはイブニングおやじだけか。モーニング娘連には絶対に分かるまい。