●大阪桜宮にある造幣局で保管していた五百円硬貨が、局の職員によってネコババされていたという記事が載った。造幣局では五百円硬貨を研究用に 143万枚保存している、ということである。1万枚失敬して500万円。一枚約7gなので、500万円分は70kgである。ネコババのリスクは小さくない様におもう。というか重い。
●しかし研究用で 143万枚は多すぎはしないか。7億1500万円分も何を研究するのであろうか。小拙には研究以外の意図があるとしか思えない。「予備」と云われたほうが納得する。そんなに大量にあればネコババもしたくなるというのが借金持ちの人情だし、一万枚位どうってことない。
●「あるように見えてないのが貯金、ないように見えてあるのが借金」というのは桂米朝師の落語『帯屋久七』に出てくるフレーズであるが、借金持ちの大蔵(財務)省や造幣局職員にとっては眼前に大量の通貨が在る状況下、笑えないジョークにも聞こえる。銀行員もそうか。
●「大蔵省印刷局製造」であった紙幣も、いつの間にか「財務省印刷局製造」と刷ってある。紙幣というものは和紙の中でも楮や三叉をフンダンに使ってそうで、中々丈夫である。日本の紙幣は物質というか、紙そのものの価値も高いようにおもえる。
●貨幣や紙幣という共同幻想による価値というものはよく考えると面白い。兌換ということを考えると、お金が最終的に金とかプラチナとか、そういう物理的なものに代えてもらえる、ということなのだろうが(違うかな)、経済の最終的な価値というのは鉱物系に走ってしまうのか。
●かつての蝦夷(現北海道地方)ではその名も「昆布紙幣」という昆布製のお札があったそうだ。井上靖や吉村昭などの話の中に出てきそうだ。軽くて丈夫な素材としては昆布というのは中々のものではなかろうか。紙幣はオサツという位なので、薩摩芋を薄切にして紙幣状に固める。旧ソ連や今の北朝鮮の様な国情に陥った時に、紙幣の価値が芋の価値を下回った際には焼いて食える様にしておく、とか。
●そうなると船場の昆布問屋や芋問屋の大旦那が日本経済を仕切ることとなる。壮大な落語が書ける。薩摩藩の動向や世界情勢を睨みながら昆布や芋を削る。 新地・色街で昆布や芋をバラまいて悦に入る大旦那。香りも良い。
●「ギャートルズ」を見ると、大きな穴空きの岩石がお金の役割をしているが、銀行がないから最初から石、というのは理屈に合っている様な気がする。現行の五円と五十円硬貨には孔があるが、世界的にも少し珍しい様で、外国人への土産にはなる。かつてはどちらにも孔は開いていなかった。偽造防止のためだろうか。ギャートルズでは小型のものは革ヒモに通して財布になっていた。
●石が貨幣であれば、石を加工することの出来る石工が経済のパイを決めることになるのだろうか。石はより固い石で削るか鉄などのノミ状のもので削る。やはり最終は鉱物なのか。硬度最高度のダイヤを磨くのにはダイヤ粉を使う、ということを聞いたことがある。ダイヤ本位制度を敷いた時代や国家はなかったのであろうか。南アフリカはダイヤも金も産する。侮れない。それとも「千両みかん」となるか。
●米ドルは贋紙幣がかなり印刷されている様で、89年製作のRidley=Scottの映画「ブラックレイン」でもその鋳型がどうのこうの、という話が出た様に思う。盗むのが得か贋作するのが得か。
●一万円札は、製造コストが20円であるが、一万円分の価値が出来る。一円玉は製造コストが2円であるが価値は一円。赤瀬川原平はそういう現実に耐えることが出来なかったのではないだろうか。果して彼は執行猶予付きの有罪の前科者である。
●赤瀬川原平は、芸術のツール及びパロディ的なるものの対象、或いは意匠的観点から批評する視点で紙幣を選択したのではあるまいか。物議をカモすことも一種の芸術活動、裁判も一種のパフォーマンスであった可能性はあるが、例えばこれがドイツやフランスだったら有罪にはなっていなかった様に思う。
●一万円札で鶴を折るのは犯罪ではない。お札の千羽鶴も見た様な気がする。鶴状の札を使用するのは軽犯罪か。自分の子供に一万円札の紙飛行機を与えて遊ばせるのは犯罪ではないだろうが、親子で友人を失う。
●一万円札でブックカバーを作る為には、最低五枚要る。文庫本の長辺と紙幣の長さが同寸(五寸)なので都合が良い。尺貫法が生きている。
●一万円札を全て一円玉に両替すると、一万枚の一円玉になる。丁度10kgである。十万円分では 100kg。アルミの買い取り価格は幾らか知らないが、1グラム1円以上のアルミ材になり得る可能性があるのではないか。製造卸値が2円なので。
●「一円を笑う者は云々」「経済の基本」等、巷に一円玉信奉者が居ると聞いたが、果してそういうことであったか。そして、どんな大銀行に行っても一回で一万分の両替は絶対に出来ない。それはそれで逆説的な信憑性を高めている。
参考文献
『贋金づかい』1988年、尾辻克彦・著、新潮社・刊
『赤瀬川原平の冒険』1995年、名古屋市美術館・刊
『機關14号』(赤瀬川原平特集)1987年、海鳥社・刊
『東京ミキサー計画』1984年、PARCO出版・刊