●スーパー・エディターのヤスケンこと安原顯が死んだ。小拙は雑誌『リテレール』(LITTERAIRE)の不良な読者であった程度で、天才ヤスケンのことをほとんど知らない。

●安原氏は、坂本一亀、山本夏彦という編集の先達の死を確認してから死んだ様に小拙には思える。病名を公表して闘病していたことは死亡記事で知った。

●『リテレール』は季刊だった。小拙は創刊(1992年6月)から五号程度購読したに過ぎない。各種の試みが成されていた様に思うが、今では山本容子の版画表紙と安原氏の毒舌正論満開の編集長欄しか覚えていない。確か同じ頃岩波書店から『読む』という雑誌が出ていて、若い編集長が巧くまとめていた。

●『リテレール』が出る頃までは『本の雑誌』の熱心な読者であった。椎名誠、目黒考二、野田知佑、木村晋介、沢野ひとし等の変に力んでいない、垢抜けたパワーが心地良かった。そのころはまだ『噂の真相』や『新潮45+』も読んでいた。今はどれも読んでいない。『新潮45+』からいつの間にやらプラスがとれて、椎名誠は金曜日の編集委員である。

●安原氏はその編集長あとがき欄で繰り返し、大出版社と大取次との結託、委託制や再販制について檄文を書いている。スーパー・エディターの安原顯をして、メタローグリーグのチャクラ級という下流に移籍するまで、その真理詳細は知らなかった。

●安原氏はその編集長あとがき欄で繰り返し、大出版社と大取次との結託、委託制や再販制について檄文を書いている。スーパー・エディターの安原顯をして、メタローグリーグのチャクラ級という下流に移籍するまで、その真理詳細は知らなかった。

●果して、大取次とその主だった仕組みを作った少数の大手出版社とその他多数の小出版社との卸正味差別(約一割差)や、取次が「保証金」として支払いの三割を半年後にまで払わない(大手は約九割が翌月払い)差別等を暴露している。

●リテレールは取次との間で雑誌コードではなく、書籍コードで取次口座を開いたため、表紙に「創刊号」の文字も「季刊」という文字も入っていない。それらを入れたければ、また表2、表3、表4に自社もしくは他社の広告が入るのであれば「雑誌コード」の口座を開かなければいけないという。そういう事態が入稿直前に判明し、独断編集長はキレた。キレたが、その大手取次の言い分は寸分緩まず、件の体裁となった。

●あれから、十年以上経っているが、出版界の状況というのは進歩したのであろうか。安原氏は続ける「長い目で見れば、大手版元から返品マージン(歩戻し)を取らぬことが取次の命取りになると思う」と書いている。

●取次会社は約百社あるそうだが、大手のT社とN社の二社で取次ルートの総販売金額の七割を寡占しているそうだ。井狩春男氏の居た鈴木書店も今はもう無い。

●ヤスケンは、『リテレール』執筆者の池内紀を別の号で相当な勢いで罵倒していた様に思う。一旦引き受けて締切りを守らないのはプロではない、という内容であった。

●確かに伊達や酔狂で締切りを設定している訳ではない。校正等で若干日数を見てはいるとは思うが、そういうライターにも校正を回さなければいけないのであるから編集稼業も楽ではない。

●写真で見る限り安原顯は超ド派手だ。岡留某はブラックジャーナリズムの編集長を絵に描いた様な、典型的な風貌である。その位押しが強くないとやっていけない世界なのかも知れない。

●業界のことは良く判らないが、現役で残る無頼派は寺田博氏と見城徹氏位だろうか。


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