●所用でAM神戸(ラジオ関西)というラジオ局へ行った。羽川英樹というアナウンサーが聞いて、小拙が喋る。約7分間が瞬時に過ぎた。聞く側と喋る側では体感時間は全く違っていて驚いた。
●スタジオを出て控室に行くと、河島あみるさんが座っていた。河島英五さんの長女で現在タレント業。小拙は思わず河島さんに「二枚組のライブ盤になった時のコンサートに行ってたんですわ!」と口走ってしまった。そう、この時ばかりは小拙はかなり失礼な奴であった。
●河島あみるさんは9回目となる神戸の「復興の詩」という阪神淡路大震災支援コンサートのPRに来ていた様だ。河島英五さんが提唱し、始まったこのコンサートは、提唱者を亡くしてからも「10回は続けよう!」と一所懸命に運営を続けておられる。
●初めて河島英五を聞いたのは、中学生の終わり頃であった。河島英五とホモサピエンスというグループの「てんびんばかり」や「何かいいことないかな」を聞き、全身に電気が走った様に感じた。当時周囲ではビートルズ派、ストーンズ派、そしてS&G派といった洋楽趣味が横行していた。
● 雑誌『ヤングギター』か何かの音楽講評コーナーで 河島英五の『人類』(1975)というデビュー盤の評が載っていた。迫力はある。しかしこの声では評価の対象とはならない、という意味の評であった。結果的にこの評者は先が見えていなかったことになる。
●小拙は当時出ていたホモサピエンスのシングル盤を求め、楽譜集を買い、ライブに通った。京都時代の自主制作盤なども見つけて買った。ライブでは米製でギルドというメーカーの巨大なギターを掻き鳴らし、ヘビーゲージの第六弦を切りながら吠えていた。バスケットボールの選手だったので、そのユニフォーム姿でライブをしていることもあった。
●中学から高校へ上がっても熱は冷めやらず、ライブへ通った。「ヤマキ」という、ヤマハの二番煎じのメーカーのギターとホーナーのハーモニカを買って、弾き語りの練習をした。ヘビーゲージでは指が保たず、ブロンズ色のミディアムゲージを張った。弦だけはギルド製を求めた。
●「Live・てんびんばかり」というコンサートは、コンサートをそのまままるごとレコードにする為に開催されたもので、ライブ盤には珍しく二枚組LPになった。場所は大阪の厚生年金大ホールだったと思う。小拙があみるさんに「行ってたんですわ!」と云ったのはこのコンサートのことである。
●このコンサートでは、「酒と泪と男と女」はピアノの弾き語りだったと思う。その他休憩をはさんで、長時間行われた。観客もこのコンサートがレコードになるということで、少し異様なムードに包まれていた。ヒートアップしている一方で、どこかに間違いが生じないであろうか、と。しかし主人公は普段通りに弦を切り、吠えていた。
●歌と歌の合間にMCというのか、客に向かって話す時間があり、河島英五は突然「今度子供が生まれることになり、女の子だったら、アミルという名前にしようと思う。アフガニスタンで見たヴァンディ=アミールという湖が美しかったから」と云った。
●その台詞はレコードにも収録されている。そのコンサートに高校生の時に行ってたんですよ、とあみるさんに云ってしまったのである。あみるさんの横に居た女性の方が驚いていた。
●小拙は大学生になるまでギルドが買えなかった。大学一年の時(1980年)に、梅田のナカイ楽器で32万円のギルドを月賦で買った。その時分にはソ連軍のアフガニスタン侵攻などが既に始まっていて、河島英五の旅はアフリカ方面等へ移っていった。
●32万円のギルドは、高校卒業時に富沢君が7万で買って、小拙に3万で売ってくれたS-ヤイリ(矢入定男)のギターと共に今もある。3万5千円で買ったヤマキは、高校卒業時に中矢君に1万5千円で売ってしまった。今でもそれは後悔している。32万のギルドは今下取りに出したとしたら恐らく3万以下にしかならないだろう。
●やはり井上陽水がギルドとS-ヤイリを使用していて、ライブ「氷の世界」のジャケットにS-ヤイリのギターが写っている。当時、K-ヤイリというギターのメーカーもあったが、意匠と装飾が過ぎていて、小拙はあまり好きではなかった。
●32万円のギルドにギルドのブロンズ色のミディアムゲージを張って、音叉でチューニングをした。開放弦からE、F#m、A、B7 と弾く。ヤマキともヤイリともまた違うギルドの音が出た。
●最後に河島英五を聞いたのは1999年頃だっと思う。奈良女子大学の関連施設でコンサートがあった。それを奈良まで聞きに行った。
●一昨年の春、河島英五死亡の新聞を見て驚いた。小拙には事前の情報が無かった。翌日のスポーツ紙で、闘病中にあみるさんの結婚式に臨席した河島英五を見た。痩せ細り、まるで別人であったが、奥から光る眼だけは変わっていなかった。
●河島あみるさんは、妹のアナムさんと共に「復興の詩」に出て、故人の遺志を引き継ぐ。中座の爆発に次ぎ起こった法善寺の火事で、横丁にあった河島英五の飲み屋さんも焼けた。「焼けたもんはしゃあないやん」とあみるさんは云う。
●そんな風に小拙が突然昔の二枚組LPの話をしたのに、彼女は即座に「今度6枚組のCDが出ますんでよろしくお願いします」と云った。流石に浪速っ子である。
●4/27開催の神戸「復興の詩」では、河島英五が作詞して南こうせつが作曲した歌を南氏が歌う。震災遺児へのチャリティ−という意味もあるので、そこからのヒントで、出演者の子供時分の写真を公開したりもする、という。
●「てんびんばかり」にはこうある。「ごまかさないで、そんな言葉では僕は満足出来ないのです。てんびんばかりは重たい方に傾くに決まっているじゃないか。どちらももう一方より重たいくせに、どちらへも傾かないなんておかしいよ」