●小拙はオヤジなのでカメラが好きだ。写真が嫌いな訳ではないが、カメラそのものの方が好きである。だからといって機械いぢりが好きだということでもないし、カメラに詳しい訳でもない。
●父の遺こしたカメラがニコンのFEというカメラで、普通の写真が普通に撮れる普通のカメラであった。それをベースに中古レンズを買った。
●今はそのFEともっと古い故障中のニコマート、新品で買った FM2、を持っている。あとはマミヤ645 の標準セットとオリンパスの「オ・プロダクト」というおしゃれカメラを買った。中途半端おやじの典型ラインナップである。
●人間の眼は普通物を総天然色で見せる。カラーが基本である。写真の元祖、カメラオブスキュラは光をそのまま投影するのでカラーである。その後ダゲレオタイプのカメラの原型が出たそうだ。オブスキュラの影をとどめる最初の型。
●紙なりフィルムなりに投影される光はカラーで投射されるのであるが、それをそのままの色に定着させることは出来ず、最初は白黒のコントラストで表現された。
●テレビも最初は白黒で、カラー放送が始まった頃は新聞の番組欄に【カラー】とわざわざ書いてあった。
●人間の眼が光の反射を色分解してカラーで見ることが出来るのであるから、白黒の世界は嘘というか偽物の世界である。技術的に初期のものだとか時代が古いということとは係わりなく、白黒写真の世界は現実世界とは違う面白さを備えている。
●カラーの方が現実に近い分当たり前過ぎて、芸術写真になればなる程白黒写真の世界が多くなることも何となく分かる。カラーでは余計な情報が多すぎてしまうのかも知れない。
●35mmカメラの標準レンズというのは50mmとか55mmのものを指す様であるが、人間の視野というものはもっと広角なのではないだろうか。画角だけで云うと魚眼レンズに近い様な気がする。
●小拙がニコンFM2 にレギュラーで付けているレンズは、50mmのF1.2というものだ。振るとカラコロと部品が転がる音がする不良中古品。小拙は気にせずそのまま使っているが、レンズに傷も沢山ある。人間の眼球も傷だらけだし、目ヤニも出る。
●このFMというカメラは機械式で、 TTLの光の測定に一応電池は使うが、電池が無くてもシャッターは切れる。焦点も自力で合わせる。全てがマニュアル操作である。ピント合わせを機械にまかせるのは癪に触る。
●拙宅もアップル機を導入したので、近日中にデジカメを買うことになるだろう。その際に最も問題となるのは画素と呼ばれるものがどれだけ大きいか、ということであるようだ。情報量のキメが細かくなることによって仕上がったものの綺麗さが違うという。
●その画素がどこまでも細かく多くなることによってなめらかに綺麗になる、というのは理屈では分かる。しかし正方形がどこまでも小さくなっても小拙の疑いは晴れない。どこまでいこうが銀塩写真にカナう筈がないと、どこかで決めてかかっている。
● 銀塩は自然の摂理を利用して、陰影を如何に定着させるかの技術であり、デジタル写真は光学的にどれだけ多く情報が処理できるか、という勝負に出ている。
●銀塩写真はアナログで、溶け込みさえ成功すれば光の色は全て無際限に取り込める可能性がある。アナログチューニングのラジオが全ての周波数をカバーできる可能性に通じる。
●いずれにしても写真やその他映像は、一瞬で見られてしまう。撮った時の艱難辛苦は本人以外誰にも解らない。マゾ的な楽しみがない限り映像を仕事には出来ないのではないか。
●だからといって、撮られた時の状況や機材が日記風にあるいはデータとしてスペックが並んでいても、その作品が評価されるとは限らない。むしろ下衆な作品として低い評価しか得られない。
●そういう小難しい世界には小拙は絶対に参画できない。せいぜいが中途半端な写真機で中途半端なスナップを撮って悦に入るだけである。