●ビールを飲まない日が年に2回ある。年に一度の6月の健康診断の前日と、年末に必ず起こる正体不明の体調不良の日だ。前者は飲めるけど飲まない日、後者は物理的に飲めない日。
●正体不明の体調不良は恐らく風邪に近いビールスが原因していて、食欲どころか、酷い上げ下ろしの連続。それでも2日目には無理をしてでもビールを飲む。ビールスも油断していて、よもやビール攻撃を受けるとは思ってもいない。
●もちろんビールといっても逸民の小拙は発泡酒と呼ばれる酒税の低いものを選んで飲む。日本の大手が出すビールは、多様に見えても味に個性が無く、小拙にとってはどれを飲んでもほとんど一緒に思えてならない。
●微妙で繊細な違いを醸し出すのは日本人が好きで得意そうだ。その割りに缶やラベルのデザインに凝ったものが少ない。アサヒの「富士山」というビールは味もラベルも好きだ。「Asahi」のロゴはイケてない。
●困るのは外食先でアサヒのスーパードライしか置いていない店が結構ある。大阪だけの現象か。どれを飲んでも一緒に思う小拙もアサヒスーパードライだけは嫌いだ。味もデザインも大嫌い。CFもやかましいだけで大嫌いである。
●アサヒの強力な営業の成果か、スーパードライしか置かない店があり、小拙はその場合、生ビールを飲む。それ以外の時は生ビールよりも瓶ビールを飲む。
●生ビールの容器は金属である。缶ビールもアルミや鉄の缶容器である。小拙にはビールに缶の匂いが移っているのを感じる。メーカーは絶対に否定するが、アルコールか何かの作用によって微量の溶けだしがあるのではないか。
●缶入りの酒が本当に味に影響を起こさないのであれば、世の中にもっと缶入りの酒があってもいいはずだ。アルコール度数の強い酒は缶入りに向かないのだとすると、ビールも必ず影響を受けていると思う。
●ビールといえばドイツ、と思っていたが種類等ではベルギーの方が多く、約800種類の地ビールがあるらしい。東京でお世話になった芳賀詔八郎さんに、そういうことを最初に聞いたのは1985年頃だった。
●芳賀さんは泣く子も黙る「カンバセーション」の社長で、音楽業界の異端的寵児である。単に海外のアーティストを招聘するだけでなく、音楽を通した様々なコラボレーションを実践してこられた。
●本当に良いと思ったものはアフリカからであろうが、最長老であろうが、大御所であろうが、呼び寄せて公演を打つ。もの凄い文化貢献度の高い仕事をいかにも涼しげに続けておられるのは驚異的でもある。
●芳賀さんはベルギーの「クレプスキュール」というレーベルの仕事を通じて、ベルギービールやピッタの素晴らしさを完全に理解していった。クレプスキュールとは黄昏時のことで、日本にも「オーマガトキ(逢う魔が刻)」というレーベルがあるのは何かの偶然か。
●事務所の一階を改装して「ブラッセルズ」というベルギービールが飲めるバーを作ってしまわれた時には少し驚いた。最初は5人以上10人未満というカウンターだけのちっこい店だった。
●ベルギーのビールはそれぞれに個性が強くて旨い。瓶の裏ラベルに最適なるグラスの形状やら温度、注ぎ方や飲み方が書いてあるのが楽しい。常温で飲むものや上澄みだけを飲むものなど、少し珍しいものもあった。
●95年に中国の西安までいった時に、真夏にもかかわらず中々冷えたビールにありつけなかった。這々の態で上海まで帰ってきて、コ洒落た食堂に駆け込んだ。昼間から大人数がカラオケを歌い、社交踊りを踊っていた。
●四角いガラスケースの冷し器の中にビールの小瓶が並んでいたので、間髪をいれずビールを注文した。そこの食堂の大将はにこりともせずに出窓の桟に並べて直射日光にサラされたビールの栓を抜いて持ってきた。信じられない。
●そんな煮えたビールは要らないから、ガラスケースでキンキンに冷えたビールを呉れ、と云うと更ににこりともせずにその栓を抜き、テーブルにぼん、と置いた。
●そのビールは、出窓の桟のビールよりも熱いビールだった。信じられない。よく聞くとよっぽど暑くならない限りそのケースの電源は入れない、ということであった。だからより冷たい方のビールを持ってきたのだ、と大将は主張しているようだった。中国と云う国はおそろしい国である。