○坂茂(ばんしげる)氏の事務所に初めて伺ったのは1999年の初頭であったと思う。
○前年の11月に筑摩書房から上梓された『紙の建築・行動するム震災の神戸からルワンダ難民キャンプまで』という本を書店で見つける時まで、恥ずかしながら坂氏のことを全く知らなかった。
○単行本にしては少し高い本であったが、何故か迷わずに購入した。建築関係の本はシュバルの理想宮や二笑亭関係のもの位で、他はほとんど持っていなかった。
○驚いた。タイトル通り、本当に行動する建築家がそこにあった。アイデアや発想が豊かで、それを形にするということに、多数成功している。
○特に阪神淡路大震災時に全壊した鷹取の教会を紙の教会ホールとして再建をさせたり、紙の仮設住宅を開発して、実際に試用されたという事実には大変に驚いた。
○小拙は、バイト先で担当していた講演会のゲストに呼ぶことを画策し、坂さんに架電をした。とにかく会って話しを聞こう、ということになった。
○住所と電話番号を頼りに、地図を片手に東京へ行った。井の頭線の最寄り駅に降り立ったが、冬の時期の午後6時過ぎは、既に寂しい暗がりが街を包んでいた。
○改札口がひとつしかない駅なのであるが、出口が二ケ所あり、当て推量で降りた出口であったがやはり反対側であった。
○相当歩き回って、ようやく坂さんの事務所に辿り着いた時には約束の7時を10分程過ぎていた。3階に通されると、小さな部屋があって、大きな紙管の上に磨ガラスを乗せたテーブルの前に通された。
○坂さんは外出先からまだ帰られていなかった。緊張して待っていると、黒いセーターを着て、はあはあ云いながら坂さんが小拙の前に座った。
○その時にどういう依頼をしたのか、ほとんど覚えていない。冬なのに小拙も坂さんも汗ばむ程の高いテンションであった。坂さんは急いで帰社されたからで、小拙は極度に緊張をしていたからである。
○坂さんは、小拙の前に座ると、あらかじめ送ってあった資料を見ながらどうして自分のことを知ったのか、と聞いた。明らかに自分が坂さんに不審がられ、迷惑がられていることを感じる口調であった。
○舞い上がった莫迦な小拙は坂さんに『紙の建築・行動する』という本の内容の素晴らしさと凄さと面白さを滔々と解説していた。著者を前に何と無謀なことか。
○そういう莫迦な行動が坂さんに伝わったのか、坂さんは神戸に関連する二〜三の事例を細かく説明してくださり、来神いただくことも快諾してくださった。最低のオリエンであったが、結果オーライである。
○同年の11月に来神してくださり、スライドを使いながら具体的に自分の仕事を説明してくださった。翌年ドイツ・ハノーバーで開催された万博の日本館の設計を坂さんが依頼されていて、やはり紙でパビリオンを作るという。
○その他、自然光を最大限に取り入れたねむの木こども学園の図書館や、高橋睦朗氏の紙の書庫、家具の家、二重屋根の家、カーテンウォールの家、紙製の資材置き場など続々と説明をくださった。
○坂さんはニューヨーク「グランドゼロ」の再開発コンペに 「THINK」というチームで参加し、最終選考の決勝まで進んだ。
○建築はすでに坂さんなどの柔軟性のある建築家の時代になっていると思う。しかしそれでもT氏やK氏、そしてA氏を崇め奉る風潮が今だに世間にはある。
○坂さんは、パリに構想中の第二ポンピドーセンターの建築コンペに参加を許された世界の六名の建築家のひとりにも選ばれた。
○慶應義塾大学の教授にも就任され、忙しさに拍車がかかっているが、見る人は見ているものである。
○その後坂さんの眼光を拝眉する度に、現役の間にエスタブリシュメントになどならず、常に最前線で活躍をし、行動する建築家の強い意志を感じる。