●拙宅の近所(歩いて3分)に「山長」というラーメン屋があって、「尾道ラーメン」を食わす。恥ずかしながら小拙は、その店が出来るまで尾道ラーメンなるものを知らなかった。近頃では和歌山ラーメンというものもあって、そういう街道シリーズとして束で流行らす手法というものが存在するのかも知れない。
●その店は、カウンターのみ15席位のことであるが、雑誌などで紹介されているのか、いつも結構な繁盛ブリだ。ビールはエビスのみ、大盛り無し、チリレンゲ無し、私語・携帯不可の中々潔い店。確か店内禁煙でもあったように思う。
●スープの出汁をとる際に瀬戸内海のジャコを使っているとか。そのスープに醤油と豚の背脂とがマッチしていて、美味しいラーメンだ。大盛りには出来ないが、ニク・ネギ・チク・が夫々増量指定出来る。ニク増しにすると所謂チャーシューメンになる。ネギ増しは、20cm位に長く切り揃えた青く細いネギが山盛りになる。チク増しは一面がシナチクで一杯になって、小拙はこれが好きだ。
●広辞苑によると、シナチクはメンマと同じとし、メンマには「麺碼」という字を当て、乾筍(カンスーン)とも呼ぶ、と書いてある。中国産の麻竹(マチク)のタケノコ、とのことであった。シナチクをシナチクと呼ぶのは日本人だけか。
●支那の付く言葉は他にも「支那団扇」「支那学」「支那鞄」「支那麹」「支那繻子」「支那事変」「支那蕎麦」「支那チベット語族」「支那茶」「支那縮緬」「支那料理」「支那浪人」「印度支那」「交趾支那」「仏領印度支那」と、支那と支那竹を含め十七語が広辞苑に載っている。
●「支那」という言葉自体は『(秦の転訛)外国人の中国に対する呼称。初めインドの仏典に現れ、日本では江戸中期以来第二次大戦末まで用いられた。戦後は「支那」の表記を避けて多く「シナ」と書く』とある。(広辞苑・第五版)
●広辞さんは、『「支那」の表記を避けて』とあっさり済ませているのであるが、想定されるトラブルを事前に避けて勝手に自主規制をしてしまい、テレビなどの放送の世界などからはいつの間にか消滅している。まったくいつの間に「支那」は放送禁止用語化されてしまったのであろうか。
●例によって言い換えが奨励されていて、例えば「支那人は中国人」「支那竹はメンマ」「支那料理は中華料理」「支那蕎麦は中華そば又はラーメン」であると。
●そういう事態になってくると、「支那」という言葉は使ってはいけない言葉、という認識だけで終わってしまわないだろうか。果して本当に「支那」は蔑称なのだろうか。「支那」=「China」なのではないか。語源的な関係では「茶」が「Chai,Tea」という事と同じ事態なのではないか。
●穢多や非人などの様にその言葉自体が差別性を持ち、歴史書以外ではあまり使われない言葉はある。使われなくなったからといって同和問題が解決した訳では決してない、が。
●「支那」という言葉には元来差別性や侮蔑性は無かったと思う。中国との戦争で相互に罵り合い、憎み合ってきた末に戦後より侮蔑的文脈の中で悪用され続けたのではなかったか。
●差別用語でない限り、使いたい人が使うのを阻止すべきではない、と思う。一方で一旦そうして差別用語化されたものを元来用法的意味に引き戻すことは大変に難しい。また言葉というものは、時代毎に意味や用法が変化するものでもある。
●「中華」という言葉は中国人の発意で、「東夷(とうい)」「西戎(せいじゅう)」「北狄(ほくてき)」「南蛮」と漢民族以外の周囲は全部野蛮で、自分たちが世界の中心である、という意味をもつ。(広辞苑より)日本(人)は東夷にあたる。「南蛮」が付く語は広辞苑に33もあった。
●そうなってくると言葉としては、支那よりも中華の方が目茶差別的なのではないか、と思ってしまうのであるが、どうなのだろうか。支那という言葉がインドの仏典に載ってからどうなって流通したのかを知らないので、何ともいえない、が。
●こうなってくると例えば強面、声高の者がテレビ番組で『「按摩」はイケナイのではないか』という発言をするだけで「按摩」は消えてしまいそうな気がしてしまう。メディアにかかると「按摩」など五秒で抹殺できる事にならないか。
●そうなってくると「座頭市」は「目は不自由だけどちょっと技持ちのマッサージ師の市さん」と言い換わってしまう。按摩とマッサージとでは、整体とヨガ程違う別物だと思うのだが、目が不自由とは何事か。
●障害を持つ人や被差別者に関する表現に気を使わなければいけないのは、当然だとしても、メディア側はそんな部分に目を向けてはいない。メディア側は社会的信用を無くさなければ、或いは声高で高圧的な諸団体から抗議や攻撃をさえ受けなければ、どんな言い換えも行う。
●そうして、本来的な意味も良く分からずに、言葉が差別用語化されることに対して危惧をする。筒井康隆断筆問題も、てんかん協会とのトラブルに端を発するが、断筆に至ったのはそうした自主規制に対する抗議行動ではなかったか。
●小拙の父親(昭和4年生)は中国料理のことを「支那料理」と呼んでいた。彼には蔑称的に使う「支那」もあった様だが、「支那料理」には一種畏敬の念を抱いていた様に感じる。小拙も高校生時分までそう呼んでいた。今でも中華料理よりも支那料理と聞いた方が旨そうに感じる。