●大阪ミナミの真ん中に、未完成の巨大な地下空間があった。市内には建設途中のまま放置されているビルもあるし、アブク経済期をはさんであれだけ(どれだけ?)乱開発したのだから、そういう地下空間があってもおかしくないのではある、が。
●その地下空間を僅か二週間だけ一般にも開放するというので、暮れ方から出掛けた。地下のJR難波駅の改札近くに受付があり、誓約書みたいなものを書き、保険料を千円払って鞄を預け、赤札を貰った。どんな空間なんだろうか。弥が上にも気分は地底へと誘われるのであった。
●映画「タイムトラベラー」では、妻が懐妊中の夫婦が事故に遭い、地下の自家製核シェルターに潜ってしまう。どんなことをしても放射能の薄れる35年経たないと、扉は開かない。果して35年後に自動制御で扉が開き、長男(35)が核戦争後である筈の地上を偵察に行く。映画はその後の地上でのアレコレがメインで描かれるのであるが、小拙はそれまでの35年間の方に畏れと興味があった。
●受付を地下で行ったので、そこから更に潜入するものと思ったが、地上へと連れられた。地上では、秋風が吹く都会の明るさの中、犬を散歩させる人が居り、背後にブレードランナー張りの荘厳風ビルが聳え建っていた。ミナミと云えば喧騒地帯の筈なのに、何故か音が感じられず、ほんの一瞬であるが、そこが超巨大な地下都市の様な錯覚をした。
●係員としばらく無言で歩くと、ふいに飯場に取り付ける様な、汚い扉付きの入口が現れた。そこにも別の係員が居て、青札を渡された。この札がないと、二度とこの秘密の地下濠から帰られない、のか。
●ドアを入ると、すぐに外からぱたんと閉められた。工事中の様な未完成のコンクリート階段があり、それを降りた。この階段のステップは何故こんなに幅が狭いのか。それを降りて、振り返った。巨大な地下空間は確かにそこに、あった。
●渡された資料によると、この空間は細長く「鰻の寝床」状である。感覚的には奥行き150m位か。地下でJR難波駅とどこかとを繋げるつもりで出来た空間の様で、この空間から数十m程の近い所を一日何十万という人間が交差している筈だ。
●天井高は目算で約5m弱あり、単なる地下通路としては異常に高い様な気がした。未完成なので、照明や電線を収める梁がない為だろうか。所々、床に水が溜まっている。下から滲み上がるのか、上から滴るのか。
●この一般公開は、ここで映像と光のアートを行う、ということで成立した様だ。幾つかの映像作品が剥き出しのコンクリートの壁に投影されていた。音はないが、時折下から列車の轟音が響く。先にこの空間に潜入した福岡正次さんが聞き出したところによると、「入口のある野外空間」という認識や承認でイベントが成立しているらしい。
●9月23日の朝日新聞で大西若人記者がここを報じていて、彼はここで迷いこんだコオロギの声を聞いた。地下のコオロギ(雄)は、この先一生涯コオロギ(雌)に出会うことなどないのだろう、か。「ラストエンペラー」のコオロギは、何十年後の話であったか。
●「寝床」の最奥部の床に、1232本の蛍光灯が煌々と点いていた。この3000平方mの空間全部をコンビニにした時に要る本数を集めて敷いた、という。階下を列車が通る時に消されるこの眩光の固まりは、小拙には魔物の寝床に感じられた。作者の高橋匡太さん曰く『それにしても僕たちの「日常」はなんて「明るい」のだろう。まるで「拷問室」だ』と書いておられる。
●以前、あの百瀬博教さんに紹介して戴いた、ア−ティストの斉藤律子さんが連れてこられた「タカハシ某」さんと、神戸「第一楼」で食事をしたことがある。ひょっとしたらその「タカハシ某」さんとはこの高橋匡太さんのことなのではないか。
●階段を昇って、先程の飯場のドアをノックした。誰も開けてくれない。しかしドアは無施錠で、ノブを回すとすうと開いた。ドアの外に出るのにドアの内側からノックしたのは、生まれて始めてであった。
●青札を返すと、完全に地上に戻ることができた。池波正太郎も推薦の道頓堀「大黒」で、ビールを飲みながら地下の空間を夢想した。地下鉄鶴見緑地線などは地下空間の下で聞こえた列車などよりも、もっと深部を走っているのであるが、この寝床空間に惹かれるのは何故なんだろう。
●ドイツのハイネッケ博士が考案した、自分の手も見えない暗闇空間を作り出し、その中で様々な実験的なことを行うプロジェクトがある。「暗闇の中の対話展」と呼ばれるこのプロジェクトは、金井真介さんによって日本でも数度開催された。(http://www.dialoginthedark.com/)
●金井さんにこの地下空間のことをお知らせした。この地下空間のことは初耳の様であったが、比較的至る所にそうした未完成の空間が存在していることを教えて貰った。虎の門にある共同溝の見学もした、ということであった。公共事業で開発した経緯のある場所は、公開する義務もある、ということであった。
●よく考えてみると、金井さんも「大黒」も元はキュールの山田亮さんにご紹介戴いたのであった。山田亮さんに出会っていなければ、この地下空間のことを知っていたとしても訪れることはなかったと思う。「大黒」のことは、割りと最近にもキュールのハギワラトシコさんが雑誌で紹介をされていた。
●この空間をそのまま封鎖してしまうのは所有者の勝手だ。しかし我々はそれを知ってしまった以上、常にあの彼岸を夢想してしまうのではないか。音楽であれば箏や笙などの邦楽やリュートなどのシンプルな楽器の音、あるいは何故かスティーリー=ダンが聞きたい。大阪であの幻の期間限定「クラブパラノイア」をやった森本泰輔さんであれば、どんな使い方をするのだろうか。
●いづれにしても、表向きの明るい建前的な用途にだけはして欲しくない。もしア−トや芸術的な用途をするのであれば、そこから怪し哀しいアングラ演劇や、暗くて面白いアングラ放送を発信して欲しい。本当にアンダーグラウンドなのだから。
●この空間で、10月10日から19日まで「合同建築展」が行われ、それで又封印される。いつか我々はこの場所に戻ることが出来るのであろうか。(http://www.underground-project.net)