●ホームレス者は都会に多い。暑さ寒さが凌げるし、何より大量の残飯が出る。 拙宅の近所にも多数居るということは、 日本標準から見るとM口市は「都会」の範疇なのか。
●流通優先の食品群には賞味期限というものがあって、それを1時間でも過ぎると、店頭から消える。食品メーカーは午前12時の時報を待って加工し出荷する、とか。
●広辞苑によると、賞味期限というのは「加工食品を、その期間内であればおいしく食べられるとする期日表示」であるとしている。何事にもええ加減な小拙などはそんなもの多少過ぎていても、安く買えるのであればむしろそちらを買いたい派。当然その期限が過ぎたら食えなくなる、という意味ではない。
●しかし一般消費者はその時限が少しでも過ぎておれば、もうそれは手にとらないし、悪くすれば、その店のことを消費者センターに告げ口などされかねない。店側は商品が一瞬にして残飯になり、尚かつそうした客を相手にするのであるから大変である。
●そうした莫迦な状況が、ホームレスを食わせていることに繋がっているのではないか。働くことの目的が「食うこと、食わすこと」であるとすれば、ホームレスは労働手段の対価ではなく、手段無く目的を達成していることになる。
●日本にホームレスという言葉が無く、総じて「ルンペン」と呼んでいた頃の乞食にも、勿論帰る家は無かったのである。落語にも「おこもさん」「物貰い」「願人坊主」などが頻出する。小拙には松竹新喜劇「人生双六」の印象も強い。現代のホームレスは乞食・ルンペンではないのか。ストレスという言葉が日本になかった頃は、ストレスはどこにあったのか。
●先日、夜の9時頃に梅田を歩いていると、15名位の行列をしている。チケット販売か何かの行列かと思ったが、炊出しの汁を貰う行列であった。それを貰っている人がホームレスだとしたら、今や服装だけでは全く見分けられない人もある。
●釜ケ崎などドヤ街の労働者も、木賃宿や飯場で寝泊まりしているのでホームレスの場合が多い。が、そこでは少なくとも自分で稼いだ金で生活をしている。
●役者のことを「河原乞食」と呼び、河原で食を乞うために芸を売っていた。小沢昭一や山城新伍などは「河原乞食」というルーツを考えている。
●所ジョージがホームレス者を嫌うのも、本気の間際まで努力した結果の今の状況か否か、ということを問うているのではないだろうか。確かに安直にホームレスの道を選んでしまっているケースが、以前に比べると多いのかも知れない。
●三代目三遊亭金馬の『孝行糖』には、「気の付かない商売」として「掃除屋」の下りがある。曰く、世の中には「きれい好き」という乞食がいて、戸が閉まっている時分に、丁内を箒で掃除してしまうという。天気の時は打ち水。縁起商売の時は盛り塩。
●戸が開くと、「おはようござい。掃除しときました」。大店として某かを支払わなくてはならない。金馬は「嫌がらせを言ったり、無理にすがって貰ったり押し売りをするよりも、こりゃきれい好きの乞食というよりも掃除屋、といった方が良いくらいのもの。掃除の労力によってお金を貰うんですから、立派な商売」と続ける。
●イギリスで始まった、ホームレス者による雑誌販売の仕組みが日本でも展開されている。『ビッグイシュー』というその雑誌は、登録されたホームレス者は最初10冊無償で貰って、一冊 200円で売る。その後は一冊90円で買って、200円で売ることができる、というもの。
●初版五万部でこれまでに二号上梓されたようであるが、これもひとつの試みとしては面白いと思う。小拙も大阪市役所前で販売する人を見たが、何が載っているのかが分からなかったので買わなかった。
●身体等に障害やハンディキャップのある人を「挑戦という使命を与えられた人」という意味で「チャレンジド」と言う。「社会の保護対象ではなく、積極的に社会参加しようとしている障害者」の方々のことで、良いネーミングだと思う。
●現代のホームレスの中には、五体満足な人も多いのではないか。世を捨てる(た)それぞれの理由はあるのだろうが、少なくとも他人に不快感を与えている事は、社会に負を与えていることにはならないか。
●大阪の大川沿いには、軒並み巨大な青ビニール屋敷が建つ。もちろん拙宅よりも広大である。その建設技術には目を見張る。我々がそんなことをすれば捕まるが、ホームレスに許されるのはどういう料簡か。
●アメリカのマイケル・ラコウィッチという人の考えた「paraSITE」という携帯シェルターには驚いた。ビルの外に出たヒーターなどの室外機に付け、その排出風でナイロンのシェルターを膨らませる。ホームレス用の温かいカプセルベッドが出来上がる仕組みだ。(http://www.possibleutopia.com/mike/)
●昔から云われていることであるが、そちら系の人たちには、ハゲが居ない。きちんと調査・研究すれば何かに意味のある結果が出るのかもしれない。