●とある、うどん屋で。そこは手打ちの麺をセルフ(讃岐式?)で食べさせる新興で、「かけうどん(小)」が一杯百円。ネギとカツブシが乗り、麺はシコシコのダシも上々気分で、今や人気店。後から白ゴマや天カスがかけ放題で、更にご機嫌である。小拙はスリ生姜も入れる。旨い。
●大阪では「かけうどん」という呼び方はしなかった様に思う。青ネギと薄いカマボコのみのうどんを「素うどん」と呼んだ。最近「スウドン」という言い方をほとんど聞かなくなって、何故か寂しい。
●「都そば」チェーンを頂点とする立ち食いうどん業界でも、メニューは「かけうどん」である。それにはネギを放り込むだけで、薄カマボコは無い。あれに薄カマボコが入ると「素うどん」になるのに。
●生協食堂の様にトレイという名のお盆を持って、蟹になって横に進む。ビールの入ったケースや関東煮や天麩羅各種、おにぎりや冷奴などを好みによって取り、うどん製作現場の作業員にうどんを大声で発注する。湯気まみれの現場には大声が似合う。
●メニューによって、うどんはオーダーを聞いてから茹でる式で、少し時間がかかる。小拙は一刻も早くビールが飲みたい人。うどんを発注後、ビールだけを先に会計してもらおうと、キリンビールを持って一気にレジへ進軍した。
●とりあえず、小銭は五百円玉が一個しかなかったので、それを使おうと思い、敵(店員)に「五百円で足りますか」と聞いた。敵(店員)は「ちょっと待ってください」と言ったので小拙はもう一度「これで足りますか」と聞いた。
●敵(店員)は、「ちょっと待ってください。グラスは何個要りますか」と言った。そしてグラスを用意し、レジを打って「472円です」と言った。
●勿論うどんも買うのであるから、その小銭だけでは済まず、いずれ紙幣用皮財布も使うのである。だから別に良いといえば良いのであるが、その時は少しでも早くビールだけは先に飲みたかった。
●小拙の質問は、その店ではキリンラガービールの中瓶が、一本当たり五百円より高いか安いかを問うたものである。だから一言「足ります」か「それでは足りません」という答えを期待しているのであって「ちょっと待って下さい」とは何事か。
●ははん、恐らく敵(店員)は、ビールの値段、というか自店の商品の価格を知らんのだな。であるから、自分がレジを打つまでは価格が判明しないので、レジを打つまで「ちょっと待って下さい」としか言えないのだな。「世界チョトマテ教」教祖の座がその狙い、か。
●しかし小拙の質問は、五百円で足りるか否かを問い合わせているものであって、ちょっと待てでは何の解決にもなっていないのではないか。値段を知らないのであれば、「分かりません」が正答なのではあるまいか。
●或いは「レジを打つまでお待ち下さい。当店はレジを打つまで値段を教えないシステムをとっております」か。というか、良く見れば壁に値段が張ってあったりするのではある、が。イラチな客は困るのだ。
●本屋での話。買いたい本があって、でかい本屋に行く。その本のジャンルからしてこの辺りであろうと思う棚を探す。あまり時間が無く少し急いでいる場合、それは見つからない法則に則って見つからない。
●ヒマでヒマで仕方なく、本屋でも行くか、という気分で行った場合、欲しい本は2分位で見つかって、あまりにもあっけなくて、欲しいのに買わなかったりする。そういう本に限って次に行った時に何故か見当たらず、文庫本になるまで読めなかったりする。
●前者の場合、仕方なく店員に軍秘のメモを渡して、「この本はどの棚にありますか」と聞く。小拙は極力店員の力を借りずの自力発掘派であって、問い合わせはあまりしない。
●メモには、書名と著者名と版元の三点セットで良い、ということになっている。これにISBNコードか。最近はカウンターにある画面で調べてからどこかに内線したり。そして敵(店員)は「少しお待ち下さい」と言って消える。ちょっとが少しになっているが、うどん屋と同じだ。「世界チョトマテ教」教祖妃がその狙い、か。
●その敵(店員)は件の本を持って現れる。そしてはあはあ言いながら「こちらですか」という。小拙は本の題だけ見て触りもせずに「それ下さい」と云う。もうそこまで来られたら気の弱い小拙は、そう言ってしまう。
●結果的に小拙はそれを買うのであるから、別に良いのではあるが、敵(店員)は小拙の質問には答えていない。小拙の質問は「この本はどの棚にありますか」なのである。
●自分の欲しい(読みたい)本がその本屋のどの棚にあるのか、ということは小拙にとっては関心事である。まして、自分が予想していた棚には無かったのであるから、それがどこにどう含まれているのか、という関心の度合いと期待度とモチベーションは更に高まっているのである。
●だから本屋に在庫があるのであれば、その場所を教えて呉れるだけでいいのである。自分の欲しい(読みたい)本の周辺にどの様な本があるのかが見たいし、棚の編集のセンスも見極めたい。一冊買うのがもう一冊、になる可能性もある。
●以前、中国映画を見る前に原作を読んでおこう、と『至福のとき』(平凡社)という本を買いに行った。その本屋の目と鼻の先で上映している映画の原作本である。小拙は迷わず「映画」の棚へ行ったが、そこには無かった。それは違うフロアの「外国文学」というコーナーにあった。その本の帯には件の映画のことも宣伝してある。映画の棚にも置く方が良く売れると、幼稚園児でもそう思うのではないか。
●しかし、本屋に来る客もロクなもんじゃない。メモや切り抜きを投げる様に突き出して「買ってやるから、早く持ってこい」と偉そうにしてるのが多いのであろう。そんな客に「あちらの棚の下から二番目でございます」などとは言えまい。小拙ゃ本屋にはなれませぬ。