●最早師走であって、気も急いてくるようなものであるが、最近では大阪の冬は「冬」という字にすまない位の暖冬で、師走の風情も薄い。
●失業率も相変わらず高く、「無職」の人が多い、という。そして新聞の求人欄は常にどこかが誰かを募集している。何とか率と云って、雇う側の数の方が少ないというのであるが、求人は常にある。履歴書などの職業欄に「フリーター」と書く人が居るそうだが、それは普通「無職」なのではないか。無茶をしてはいけない。
●求人があって無職が多いのは、職を求めている側が選り好みしている、ということなのだろうか。職が無いのでなく、何でもいいから働こうという気が足らないのか。向いていない、遠い、きつい、安い、様々な理由で職に就こうとしない。働く癖がついていないのだろうか。
●今、小拙の目の前にも、終点の梅田に着いても阪神電車から降りることなく、じっとしているオッサンが居る。梅田と姫路の間を一日中往復しているのかも知れない。移動中好きの小拙にとっては羨ましが過ぎる。どこに行く目的も無い程の贅沢はない。
●大方の人間は働かなければ食えないのであるから、働くことを癖にしておかないと食い逸れる。本当に職を求めているのであれば、就ける職に就けば良い。求人はある。
●人を求める側も求人して面接などをして中々決まらず、やっと決まってもすぐに辞めてしまったりするのであろう。改めてまた求人をすることになる。普通はリストラしたい位の時代に、どんどん求人が起こるのはそういう事情なんだろうか。
●働く方も向こう見ずというか自分知らずというか、分を弁えていないというか、職に就いた途端に「自分に向いていない」と、辞めてしまう。起業したり独立せず就職しているのである。一体就職に於いて「自分に向いている仕事」とは何か。
●会社は選べても職種は選べない、ということは最初から了解済みの話なのではないか。大きな企業であろうがそうでなかろうが、職種が選べたらおなぐさみ。単なる好運である。
●例え職種が選べたとしても、それは自分が本当にやりたいことである訳がない。自分が納得出来る形でやりたかったことをそこで発見するか、自分流のやり方を発明するしかない。それが出来なければ何度就職を繰り返しても続かない。
●普通職場というものには、ハゲかけた臭くてセコい上司がいて、面白くも何ともない先輩や同僚がいて、不細工で鬱な女がいるのである。勿論やりたいことなどやらせてもらえる訳もない。それが普通だと思う。
●仕事は仕事であって、遊びではない。多分別ものだ。就職した仕事が楽しかったり、面白かったり、職種が選べる訳が無いし理由もない。仕事はこなすものであって、過程にはほとんど意味がない。勿論遊びであればそれは過程が大事になる。
●だから、生き抜くポイントは、そういうことを普通だと思えるかどうか、だ。それが思えれば人生楽しい。ちょっとでも誰かに褒められただけで感激できる。そのためにまた頑張ってみようと思うかも知れない。そんな些細なことに喜びを感じ取れるか否か。
●美しいものが存在するだけでは、それは「美しい」ことにはならない。過去のどんな出来事も誰かが記憶していなければ「起こった」ことにはならない。それを見た者知った者の感受性の問題である。美しいものを美しいと感じられる感性、出来事を起こったことと認識する感性の問題である。「この世で一番キレイなもの」(早川義夫)を聴けば分かる。
●小中学校などでも「ゆとり教育」などということで、学習のカリキュラムが緩くなったり、円周率を「約3」と教えたりしている。詰め込み教育は本当にいけないのだろうか。何事も一番吸収出来る人間の或る時期に、教えるべきことを詰め込まなければいけないのではないか。
●辛抱したり我慢したりすること、物事を分類し編集すること、美しいものを美しいと思える感性、などをある時期に詰め込んででも教えるべきなのではないか。怠けること、惚けることサボることなどは教えなくても勝手に覚える。
●煙草を止めようと思ったら、一日20本の煙草を一日100本にすればいい。普段から辛抱も我慢もしていない輩とどこへ遊びにいこうが、面白い筈がない。褻があるから晴がある。毎日がハレということが人の一番の不幸であって、毎日ビフテキを食えば必ず嫌いになる。
●バカボンのパパの口癖は「これでいいのだ」であって、「これがいいのだ」でも「これはいいのだ」でもない。自分のしたことが他人から見た場合に例え不完全でも、自分の腹では一旦納得をする。これでいいのだ、と。俺は始めたぞ、と。そこから何でも開始すれば良いのだ、と。
●バカボンのパパのすることは、それが役に立つかどうか、と問われれば絶対に役に立たない事柄ばかりである。しかし、世の中役に立つものだけで成立することほど無味乾燥的で面白味のないことはない。
●赤塚不二夫の哲学は「世界のどこへ行っても風景なんかに興味ない。そこに誰がいるのか、だけに興味がある」、若しくは「女は誰でも一緒。ブスでも顔さえ見なければ同衾できる」なのである。益々誠に正し過ぎる程の正論だ、と小拙は日夜考えているのである。これで、いいのか。
●阪本順治監督の名作映画「傷だらけの天使」での真木蔵人の口癖は、「完璧だ!」であった。これは正しくバカボンパパの憑依現象かと思うが如何なものか。