●桂枝雀(二代目)は、天才であった。天才が過ぎる程の超ド天才であったと思う。彼には、師匠の無形文化財人間国宝の桂米朝をして適うことのできない才能があった。何が惜しいといって、桂枝雀が大阪から居なくなったこと程重大的に惜しいことはない。
●師匠の桂米朝は、演芸やら落語やらを研究していた学徒であった。正岡容などと交通していたが、好きが嵩じて自身が落語家になった。戦後すぐには上方の落語家が十数人しか居らず、松鶴、五郎、小文枝、三代目らと共に普及活動に奔走した。古典の復活、勉強会の開催、東西の交流、後援者の発掘など。
●枝雀は最初、弟と共に漫才をして、ラジオの名人会などでも活躍した。落語にも注目しよく聞いていたが、得心のゆく噺家が居ないので、自分でなった。桂米朝に弟子入り志願してから神戸大学に入学し、通ったらしい。最初から異色である。
●『桂枝雀と61人の仲間』(1984年、徳間書店・刊)では「はなし家はイラチでコワガリでネクラでなければならない」と定義している。要は程度の差こそあれ、精神に不安定要素がある、と自白しているようなものと見る。
●小米時代には、師匠ばりの硬めの古典落語を演じていたが、勉強熱心で夜道にネタ繰りをしていて職務質問に合ったこともある。各種古典落語にも様々なアレンジや変更、付け足しや新しい落(さげ)を試み、研究と発表を続けた。
●あまりにも真面目に取り組み過ぎて、躁鬱病になって、高座に上がれないこともあった。二代目枝雀を襲名(1973年)する前年あたりがひどかったようだ。
●襲名直後の録音などを聞くと、すっきり晴々とした声で気分よく高座をつとめている様子が窺える。上方には真打制度はないが、襲名がひとつの節目だったのであろう。先代枝雀の芸風も嫌いではなかったと思う。
●その後は爆笑王として世を席巻するまでになるが、それは「笑い」「おもしろい」「可笑しい」というようなことの奈辺を探究し続けた結果であると思う。広範囲な読書と熱心な稽古。酒の肴にネタを繰るような性格。
●初代春團治のレコードからかなり影響を受けたようで、前述の著書にもそうある。初代の芸も爆笑型ではあった。初代春團治はにこりともせず、半ば怒ったような形相で面白い話を運ぶ。それが独特の型を作った。
●枝雀の芸にも同じような運びが多々見られ、初代の発明がかなり採用されている。落語家には演じる芸と語る芸があるそうであるが、両名共に演じ切る芸である。それを枝雀の場合は、アクションや鳴り物などを多用しながら、爆笑の渦を巻き起こすことに成功した 。
●古典の中から自分が演じるネタを60話にした。独演会でない限り、他の演者の演目との兼ね合いや季節などを勘案すると30から40の噺が出来た方が良い。
●並行して、英語落語や小佐田定雄との出会いから生まれた創作落語に取り組んだ。創作落語も現代ものはほとんどなく、疑古典的なものが多かった。
●上方落語協会を脱退したことも、「落語」の為を思い過ぎて出た行為だと思う。徒党を組まぬとも上方落語の振興はできる、としたのではないか。昨年、新しい会長に桂三枝が就任した。一門の協会への復活も近いのかも知れぬ。
●枝雀は病気になり、99年の春に自決した。古典の世界に生まれてきたかった寵児には、2000年は迎え難いものだったのかも知れない。現代に起こる諸々世事が彼には耐えられなかった。
●よく使う枕では、落語家のことを「至って気楽な商売」とし、主導権は全て噺家側にあって、客には「何の責任もな」く、自分にもそんなに大きな責任は無い、とした。彼には彼以上に落語を理解した人間が居ないので、本当は客にももっと分かった上で笑って欲しかったのだろうと思う。
●自分以外の人は何故笑っているだけで済むのか。何故本当に面白いことをもっと追求しようとしないのか。そんなことで人間として生きているといえるのか。そして自分は人間として間違っているのではないか。真面目に考えれば考える程に結論は出ないのであった。
●枝雀は「気」を使う天才であった。特に面白そうな気配には敏感で、その小さな切っ先を展開し、大きな笑いにまで運ぶ。笑いとは「緊張の緩和」であるとして、人の気を締めたり緩めたりしながら、「本当に面白いこと」とは何か、が更に不可解になっていった。
●「幽霊の辻」という創作落語では、タクシー業界によくある怪しい話の枕から、本編の終わりまで、少なくとも「笑わそう」と演じている箇所はひとつも無いように思える。本気で半泣きで怖がりながら語るのであった。
●この落語は、枝雀が本気で怖がれば怖がる程に客は笑う、という状況のまま終わる。彼自身が確立した落語の形式で、そこに意図せざる壁が出来ていた。客は落語の深みの所まで読み解こうとはせず、上澄みの部分で笑うのみであった。
●落語は世界にも類をみない希有な芸である。高座に単身座り、一人で何役も口演する多重人格者である。
●小拙は、「落語=夢」でないかと思う。夢ではたとえ一人でも全て自分が演じきらなければならない。枝雀落語はまさしく夢そのものであった。
(2004年2月9日号掲載)