●拙宅では長く朝日新聞と毎日新聞の二紙をとっていた。昭和60(1985)年まではそうだったと思う。浮世のことにトンと疎かったので、当然どこの家庭でも新聞は二紙位は配達させているものと考える莫迦な小学生であった。
●実情は違っていた。普通の家では一紙しかとらない。また大阪の下町では朝日や毎日よりも購読料の安い産経新聞の読者が多かった。小拙自身は成人するまで朝毎二紙以外は読む機会がなかった。
●何故かその安い産経新聞だけが、漂白された青みの勝った紙で印刷されていた。当時の大莫迦小学生に言わせれば、それは「新聞」の道から外れた邪道・外道の新聞という認識で、何かの拍子に目の前にあっても触ることも無かった。
●朝日の第一面コラム「天声人語」に書かれていることが「正しい」ことで、「正解」であると思っていた。入試などに必ず引用されるという話にも違和を感じることはなかった。かなりひねくれた今でも、朝日しかとっていないので少し引きずられる。
●「天声人語」の近くに、大岡信が選ぶ「折々のうた」という囲みの連載があって、 親父はそれを切り抜いてスクラップしていた。v好事家の親父は、「折々のうた」を切るためだけに、もの凄く良く切れて、分解して研ぐことができるハサミを使っていた。確かに切れ味のいいハサミを使うと何ともいえない快感がある。
●その行為が伝染したのか、 小拙も「折々のうた」は少し切った。 新潮社『マイブック』に貼って遊んでいた。今はほんの折々にしかやらなくなった。確か呉智英の本に『折々のバカ』というのがあった。それも読んだように思うが何も覚えていない。
●唯一の自慢は、椎名誠の朝日紙連載小説『銀座のカラス』を全部欠かさず新聞紙の切り抜き実体で持っていることだ。確か秋頃から春頃まで年を跨いで9カ月程連載していた。顔で笑いならも芯のところでは早く連載が終わってくれないかな、と思っていた。止める訳にもいかず、少し辛いような気のものでもあった。
●その間様々な障害があり、中々苦労した。新聞販売店のミスで配られなかったときは、電話して配達してもらった。家人が早々に捨ててしまった場合や、酔って連載が見つけられずに困ったことも多々ある。どうしても調達できなかった時はバイト先にある新聞の山を崩したり、朝日の大阪本社から取り寄せたりした。
●『銀座のカラス』には、挿絵とは別にタイトルの近くに黒いカラスが一匹描かれていた。小拙にはそのカラスも毎日違う絵のように思えたが、真相は未だに知らない。
●そんなこんなで朝日の活字だけは見分けがついた。何かの拍子に記事のコピーが出回ってきても、朝日か朝日以外かだけは分かった。今はまた当時よりも大活字になって、小拙も朝日かどうかすら判別がオボツカない。
●江戸時代には読売瓦版と呼ぶ制度というか人がいて、ニュースの見出しを読んで、ぞろぞろ集まってきた人に瓦版を売っていた、と落語『阿弥陀池』のマクラで桂枝雀が説明を加えている。時代劇にも良く登場したように思う。「読売新聞」は由緒ある紙名なのだ。だが、今それを全く読む気がしないのは何故なのだろう。
●読売瓦版は今でも河内屋菊水丸が受け継いでいて、河内音頭「新聞(しんもん)詠み」を展開している。耳で聞く節つきの社説のようなもの、か。
●どちらにしても小拙は近頃どんどん新聞が嫌いになっている。木鐸か何か知らないが、報道する権利や価値や義務に関する既得権のようなものから出される情報は、小拙には不要である。新聞の記事にはオッサンの臭い灰色吐息は感じるが、淡色の愛は感じない。社外の執筆陣の記事には多少愛がある。
●関西学院大学のワンゲル部が山で遭難したが、無事生還してきたニュースがあった。マスコミは結構な分量で報道した。降雪が多く積雪が深く夜になったりで、捜索に時間がかかった。その間は安否を気づかう式の報道姿勢であった。
●果して何人居たのか忘れたが、凍傷になりながらも全員無事で生還した。良かったやん。ブラボー、お帰り!である。しかしそういう感情を本心から抱けたのは、友達と家族だけであった。マスコミは安易な「冒険」に対する責任を問い、警鐘を鳴らすのであった。
●そういう反省や責任云々は当事者のハナシであって、少なくとも小拙には不要である。良く生き延びた、どうやって生き延びた、良く助けた、どうやって助けた、の詳細こそ欲しいが、反省なんて要らない。
●詳しくは知らないが、殺人事件の数やら凶悪事件の件数は減少傾向にあるという。新聞記事を見る限りそん風説は一切分からないことになっている。現世は暗く殺伐としており、他人を見たら泥棒と思え、である。オモロナイヤン、そんな世の中。
●マスコミはオウム真理教の麻原某に死刑の判決が出た、と騒いだ。小拙は死刑ではいけないと思う。マスコミは死刑で喜んでいる。なぜそんなに温度差があるのか。あのオッサンが死刑であっていいはずがない。何故そんな軽い刑で済まされるのか。
●有名な松本サリンや地下鉄サリン、坂本弁護士の一件だけをみても死刑以上の更なる極刑に値すると思う。林郁夫の述懐を何とするのか。一審で死刑判決が出るのは予想されていたが、その事実を報道するだけで、何がどうということはない。
●大阪には「産業情報化新聞社」という日本一明るい経済新聞がある。同じソースでもポジティブに調理されるとやはり面白い。見方を変えれば全て良質な広告であるともいえる。山本夏彦翁の「広告=真実」説が実体で証明されているように思う。
●四国の宮武外骨は大阪で『滑稽新聞』を刊行した。最高八万部までいったという。明治の庶民もマスコミと社会に辟易としていたようだ。
(2004年3月1日号掲載)