○鶴見和子先生、本日は本当にありがとうございました。やはり鶴見先生には「艶」がありました。また鶴見先生の大変なる「情」を感じて帰阪致しました。
○鶴見和子先生をムラサキホコリカビという粘菌に例えたのは、酔狂な心で云った訳ではなく、私には本当にそう思えたのでした。南方熊楠が生涯にわたって研究したのは、隠花植物、特に粘菌でありました。
○学問の領域が現在よりは細分化されていなかったので、科学、生物学から植物学、人類学、民族学、そして民俗学に関する幅の広い学問を野学で勉強が出来たのです。不思議なのは、茸などの観察された細密図譜は多数作っておりますが、粘菌の図譜がない、ということです。
○南方熊楠が一番に執心した粘菌の図譜がないことに関しては諸説ありますが、ここではそれに触れません。が、私は鶴見和子先生ご自身に南方熊楠の描いた粘菌の世界を見たのです。
○南方熊楠は粘菌のことを「原始動物」とし、服部広太郎博士と対峙しました。当時の日本で南方熊楠以上に粘菌を観察していた人は居ません。「領域」の中に閉じ込めようとする世界から常に自由な存在の粘菌はまさに南方熊楠そのものでもあったと存じます。
○鶴見和子先生が病に倒れられ、そして現在は車椅子生活であられることは、一般の社会通念で考えると不便で不幸なことなのかも知れません。しかし、私は鶴見和子先生のお姿を拝見したときに、南方熊楠の見た粘菌と重なって観えたのです。
○粘菌は、アメーバ状の生態と乾いて胞子を発する茸状の生態とを繰り返します。一見アメーバ状の状態の方が「動」に見えるのですが、こちらが「静」で、留まって見える方が「動」なのです。云い方を変えれば、アメーバ状の時に養分となるものを摂取し、茸状の時に胞子を発して、すべての情報を次代へ伝えようとしていることになります。
○鶴見和子先生もこれまで長年にわたり、様々なご研究と活動、思考内の対峙と編集を繰り返しされてこられました。そして、病の後の現在、今このときが粘菌でいう「動」となって、これまでの経験則が最大に活かされている瞬間であることが瞬時に理解できたわけです。
○鶴見先生はいよいよ華やいでおられる様に見えました。南方熊楠が大好きであった粘菌の世界そのままに、自由に高く変革されておられるお姿が拝見できて大変嬉しく感じました。
○イラクの人質問題に関しての議論がございましたが、私の心の中にブッシュ的なるもの、フセイン的なるもの、あるいは三文マスコミ的なるものが存在していることを否めないのです。私の中にそういうものがあるということは恐らく万人の心の中にもあるのかも知れません。
○人類は有史以来、戦争と紛争を繰り返してきました。スポーツは戦いだといわれますが、戦争をゲーム化したものかも知れません。鶴見先生が言われた、金銭欲、名誉欲、物欲などを満たさんがための理屈で道理を曲げてきた結果なのかも知れません。
○日本は江戸時代と全く同じであるということは、相当ショックです。大黒屋光太夫が帰朝後に苦労を重ねなければならなくなった時代と同じことを私たちは冒してしまっています。現在の日本人には、鎖国の時代は解けていないということにショックを受けなければなりません。
○鶴見和子先生が鶴見俊輔さんの心配を余所に、繰り返し会場内からの発言を求められたのにも関わらず、実際に手を上げられた方々は数人でした。この変革塾では、自己変革から公共や社会の変革以外に手立てはないという話でした。
○やはり私たち個人の心の中に鎖国をしていると云わざるをえません。鶴見和子先生が反論せよ、手を上げよと言われたのには理由がありました。個人の心の鎖国を解かなければ国家の鎖国時代は変っていかない、ということです。個人を核として社会を考え、変えてゆくには、その核となる個人が議論し、手を上げてゆかなければならない、ということだと受けとめています。
○今般の会に、滋賀の田中武氏をご招待させていただいて良かったと思います。鶴見先生が95年に南方賞を受賞された時にかなえられなかった「南方熊楠曼陀羅之図」の寄贈を、昨年させていただくことが出来て良かったです。その後も南方熊楠研究の「熊楠フォーラム」より南方賞受賞者に田中武氏のこの作品を寄贈させていただいております。田中武氏も大変喜んでおられました。
○当の「南方熊楠曼陀羅之図」では、若き南方熊楠がはにかみながら腕組みをしてこちらを見ています。鶴見先生はその自室でいつも南方熊楠に見つめられているのです。
○南方熊楠が愛したのは粘菌の自由性です。鶴見和子先生が愛したのは南方熊楠のパッションです。鶴見先生が粘菌に見えた理由がここにあります。鶴見先生が最初にして最大に愛した南方熊楠に見つめられて、ご自身が粘菌と同義になられた。これは先生が病に倒れられなければ得られなかった境地だと思います。
○とまれ、内から発する活私を開公してゆく時代の幕開けに相応しい会の第一回目に、鶴見和子先生のお話を聞かせていただき、大変に嬉しかったです。本当にありがとうございました。
○これからも益々いよよ華やぐ鶴見先生のご活躍と御身のご安泰を祈念致しております。本当にありがとうございました。
謹言
2004年4月25日
(2004年5月10日号掲載)