●神戸に勤め、今年の9月で9年になる。それまで神戸といえばクールファイブの 「神戸 泣いてどうなるのか」であり、「長崎から船に乗って神戸に着いた」位で あった。西宮と三宮の違いも心許なかった。この9年の間に神戸を中心に、スコブる面 白い人達にお会いした。大阪人の小拙から見た「神戸な人たち」である。
●井上揚祐子サンは、「くるみカンパニー」という人材開発・派遣会社の代表で、NPO「キャリアアップ サポートセンター」の理事長。神戸という所は比較的ベンチャー企業のインキュベートも盛んだと思うが、きちんと成功している女性は意外と少ない様に思う。常に前向きな井上さんは、5月からあの「盛和塾」にも参加する、という。 http://www.cup-s.com/
●志賀敏哉さんは、大きく二面の顔を持つ。昼間はアートディレクター業で、様々な意匠を制作したりプロジェクトに参加する。イタリアの有名なワインのラベルも手掛ける。夜はバー「志賀」の店主として、カウンターに立つ。玄関は「店」というよりも「家」という風情で、専用のカードが無いと入れて貰えない。今や神戸は志賀さんのネットワークで成立しているのかも知れない。大阪大学体育学部(本当は大阪体育大学)のラグビー部出身で、神戸のスポーツ振興にも気を配らせる。驚くのは、日記をほぼ毎日更新公開されていて、モノカキ分野からも注目が集まっている。 http://www.bar-shiga.com/
●田中まこサンは、「神戸フィルムオフィス」の代表。『夜のヒットスタジオ』などで外人タレントが出演した際にチョンと横で通訳していた人である。神戸振興の為にフィルムコミッションを起こし、これまでに500本以上の映画、ドラマ、CF等の誘致に成功した。公道上での爆破シーン、地下鉄を停めての構内シーンが撮れるのは国内では神戸だけである。まこサンは今年「観光カリスマ」に選ばれた。観光誘致に尽力した人が全国で百人選ばれたが、映像関係ではまこサンだけである。 http://www.kobefilm.jp/
●吉川稔さんは、大阪で起業のためのインキュベーションをする会社をされながら、泣く子も黙るルシェルブルーのエライさんとして抜擢された。ルシェルやリステアの新展開や、携帯サイトのビジネスなどに確実に実績を重ねておられる。動物好きで、部屋でウサギと住んでいるらしい。 http://www.lcb.co.jp/
●大西淳浩さんほどマルチな人はそう居ない。大西さんにまつわる話は、「神戸ファッションマート」、「神戸ファッション美術館」、「神戸ストレッチ」、「安床兄弟」、「アレクサンダーテクニーク」、「TAPIX」、「神戸アスリートタウンクラブ」、等々で、多すぎて各論をここでは紹介できない。次代の神戸は、この人の手にかかっている。 http://www.kfm.or.jp/
●三宅大地さんは、学生ベンチャーで成功した。「デジタルサーカス」というITネットワークを使用するNPOで、神戸に新風を送り続けている。equivというサイトでは、神戸の主なカフェをネットワークし、カフェスクールを開催し、どちらも大きく成功している。今春神大大学院を卒業し、法人を幼馴染みの岡下君にまかせ、上京して単身赴任の父親と「同居」している。修行が済めば更に大きくなって神戸に帰ってくる。 http://www.equiv.net/
●新本孝幸さんは、働くロックバンド「レイン」のリーダー。学生時代からのバンド活動を、日本IBMの課長になった今でも続ける。レインがやっている事は何も変わらないのであるが、最近何かと注目されている。神戸のチキンジョージを動員無しに満席に出来るアマチュアは「レイン」だけである。5月9日に20周年の記念ライブを行った。 http://pws.prserv.net/sinmo/rain/rain.htm
●キラン=セティさんは、昨年の神戸青年会議所(JC)の理事長。頭に綺麗な紺色のターバンを巻き、立派なヒゲのインド人。大変に回転の早い人で、神戸市の「震災10年 神戸からの発信」の委員なども務める。月刊『神戸っ子』での連載対談なども。小拙は小拙以上に大阪弁の巧い人をキランさん以外には知らない。ターバン+ヒゲで「ちゃいますねんー。ポ−トピアホテルにはおったんですけどもぉ、うまいこと時間が合わんかったんで、あきませんでしたわ。エラいすんませんでしたー」と言われるのである。 http://www.jupiter-int.co.jp/
●久見瀬展也さんには現場がよく似合う。建築士の忙しい仕事をこなしながら、神戸・旧居留地の有名な「高砂ビル」にあった「LANDSCAPE CAFE」を経営していた。このカフェを「緑の基地」というコンセプトで、様々な活動の拠点と変身させるために、ポートアイランドに移す計画を開始させた。ここにある半廃墟と化した市の無料休憩所を新「LANDSCAPE CAFE」として鋭意改装中である。6月には前代未聞のカフェが始動する。 http://www.landscape-design.co.jp/
●慈(うつみ)憲一さんは、灘区のお寺の子息だ。灘区に住む自分たちをナディストと言い、灘区に特化したナディズム運動を展開する。灘区の名産・名品を集め「灘印良品」店(展)を行う。区内の小学校の校章を缶バッジにして、地元に大勢いる卒業生の大人と子供たちとのコミュニケーションのきっかけともなった。 http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/kobe/kioku/kio025.htm
●明石健司さんは、阪神淡路大震災で子息を亡くされた。長田区に供養のためのお地蔵さんを建て、この子のためにも一所懸命に生きよう、と誓われた。長田区のためになることを模索中にスティールパン奏者の村上氏の細君が地元出身であることを知った。村上氏を招聘してチームを作り、少しずつ楽器を増やした。現在では70人以上が演奏を楽しみ、様々な所で演奏活動もしている。ドラム缶からの楽器作り、周辺用具製作など、震災で沈んだ地場産業にも明るい光を差す。「スティールパンと言えば神戸・長田」と認識されるまでがんばる明石さんにエールを贈る人も多い。 http://www.asuta-steelpan.com/
●天川佳美サンは、コープランという町づくりの会社でがんばっておられる。震災で被災したが、「ガレキに花を咲かせましょう」という運動で成果を上げられた。運動に賛意を示 した和田誠氏がボランティアでトレードマークを描かれた。ご自身で「花咲かばあさん」と言われるが、中々若さ溌剌のお姿である。9・11後のNY現場にも足を運び、運動の幅は相当に広い。 http://www1.plala.or.jp/hos_a/CO-PLAN_KEIREKI.html
●坂本廣子サンは『1歳から包丁を』で一世を風靡した。物には仕方や目的から自ずと決められた形がある、という。そうした観点で作られた子供用の調理器具を使う。子どもたちに調理、料理を実習してもらいながら、正に食育を実践しておられる。今春から幼稚園や小学校へ出張して教室を開かれている。震災を教訓にした、サバイバルクッキングの第一人者でもある。 http://www004.upp.so-net.ne.jp/skskobe/
●飯田新吾さんは、神戸で唯一の厚生省認可のモデルエージェンシー「ノイエ」を経営されている。元高校教師で、進路指導をする中で、神戸に彼女たちの希望する職場が全くないことに気づかれた。神戸は30年以上前から「ファッション都市」宣言をしているのであるが、モデル事務所や撮影スタジオが一件も無かった。昨秋より新神戸にスタジオも開設し、長田区の近畿タクシーがロケバスも運営する。東京の大手出版社の雑誌の撮影で相当ブッキングされている。 http://www.neue-kobe.co.jp/
(2004年5月31日号)