2007年4月×日
桜か…。
日本の桜、もっと懐かしーかと思ったけどそーでもないな?
きっと、
ミラノから戻って来てまた好きな人と会えないとか、
イタリアが現実的に遠くなって来ているからかも。
その代わり、
この桜はこれから毎年の樣に見るんだろう。
十数年の空白があっても、
やっぱり自分の生まれ育った国の景色や習慣を取り戻すのは、
本当に雑作も無い作業で、
そのコトはダンナさんもアタシも帰国前から予感していて、
だからわざとオーサカとゆー縁もゆかりも無い土地を選んで暮らしてみてるのだけれど、
それはもしかしたら無駄な抵抗なのかも知れない。
花曇りの空の下、
満開の桜並木を仰ぎながら、
少し哀しくなりそーで、
ダンナさんの腕に絡みついた。
モノコトの意味合いは後から考えても結果は変わらないから、
そのコト自体が無意味だ。
今みたいな状況で、
何か考えてる時間が有るなら 行動を起こすべしと思うけど、
イタリアでの13年間の意味とか考えてみたくなる自分の気持ちも良く分かる。
あーでもそんなコトよりもまず、
自分の居場所を整えないと。
居心地の良い自分の居場所の確保とゆーコトをアタシは重要に思ってる節がある。
それは単に、
住み易い家と、
幾人かの好きな人と、
何軒かの好きなお店と、
幾らかの自由になるお金が有れば完成するのだけれど、
それらが整うまでは何もする気が起こらない。
今はまだ、
住む家があるだけだ。
白でもピンクでもない桜色の丸い房の、
枝と折り重なって風に揺れる様は紛れも無く美しいのに、
お花見客の誰彼に、
あなたの幸せって何ですか?とでも訊いて廻りたいよーな、
白けた気持ちになっている。
春は自然の力が特別で、
空気の中の見えない粒子が気持ちに複雑に働きかけるので、
そーゆートコロが少し難しい季節でもある。
2009年6月29日号掲載