念願のパリ、ペール ラシェーズ墓地にジムのお墓参りに行ったのは、'92年1月のことだった。ペール ラシェーズ墓地はパリ市内北東にあり地下鉄で行ける。

 冬のパリは寒い。空気中の水分が針のように凍ってそれがイチイチ、突き刺さってくる感じなのだ。その寒さは明らかに攻撃的で、異邦人である筆者を拒否しているようにさえ思えた。寒さに極端に弱い筆者は、すっかり無口になってしまった。

 墓地の手前の花屋で供花を買う。

 入り口にある事務所で確認し、場所のあたりを大体つけたのだが、村松雄策氏の本なんかで読んだ通り、“←JIM”という落書きがレンガの壁からゴミ箱から果ては他人の墓石にまで、やたらあって、ほとんど迷う事もなく、たどりつけた。近くまで来ると、ある一角だけに墓地に似つかわしくない妙なにぎわいがあり、数人の参拝者の姿が見えたのでなおさら簡単だった。

 残念な事に、有名な鼻の欠けたジムの胸像(梅毒病みのジム・モリソンという強烈な落書きがあった)も分厚い石板で出来た墓石もすでになく、味も素っ気もないソリッドな墓石に変わっていた。

 オリバー・ストーン監督の『ザ ドアーズ』はまさにこの場所で終わるのだが、そのシーンが(やたら画面が暗く、手ブレがひどいことからも、おそらく)素人のプライヴェート フィルムだったのは撮影当時、すでに胸像も石板も盗まれていたからだろう。

 その代わりと言っては何だが、ジムの墓石にもまわりの墓石にも、とにかく落書きがメチャ クチャ凄い。ジムのお墓は比較的低く、むしろ地味なくらいなのだが、看板のように立派な墓石が、ジムのお墓を守るようにその回りを取り囲んでいて、これ幸いと格好の落書きの餌食にされているのだ。実際、これを見るだけでもかなり楽しめた。しかし、他人の墓石に落書きしまくるというのは、日本人には理解し難い発想だな。ちなみに現在はこの落書きもキレイに消されているらしいが…

 お墓の前には、ネイティヴ アメリカンのようにカラフルな布地でハチ巻をした年齢不詳の男がいて、墓守のように居座っていた。傍らのラジカセからはもちろんドアーズの曲が流れている。“どこからきたんだい?”“日本です” 片言の英語で会話する。にっこり微笑む彼。彼から握手を求められ、筆者もしっかり握り返した。ドアーズのファンというだけのつながりしかないが、音楽で国境を越えられるというのは本当だ。

 ジムの墓石の横で3〜4枚、記念撮影した。パティ・スミスが撮ったようなしょぼくれたものではなく、何故か妙にニヤけたものになった(苦笑)

 毎年、ジムの命日や誕生日(なんとジョン・レノンの命日である12月8日)には、ここに世界中のファンが集まって夜通しとんでもない騒ぎになるそうだ。それは治安の問題もあって、地元ではあまり歓迎されてはいないようだが… ここはもはやパリでも有数の観光スポットになっていて、年間 150万人のファンが訪れるという。死してなお、ジムに平穏な日々は訪れないようだ。


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[猟盤日記]
パリに消えた
MR. MOJO RISIN'(後)

w r i t e r  p r o f i l e




今回の推薦盤
The Doors『The Doors』


エレクトラ

●作家の最高傑作は処女作であるという使い古された言辞を今更ながらに再確認することになるドアーズのデビュー アルバムである。

●発表は '67年の夏であったが、ジェファーソン エアプレーンの『シュールリアリスティック ピロー』、ビートルズの『Sgt.ペッパーズ ロンリーハーツ クラブバンド』が同時に発表され、後年、この時期をマジックサマーと呼んだ。
 ファンのイメージとは関係なく、ドアーズがグループとしてのピークを迎えたのはこのアルバムのレコーディング時期であり、その後、ドアーズはなだらかに退潮して行く。

●後々までそのイメージがジムを苦しめることになる代表曲「ハートに灯をつけて」、レコーディング出来たこと自体が事件と言える「ジ エンド」、ジムの投げかける真摯なメッセージが時代の空気を醸し出す「ブレイク オン スルー」、静謐なたたずまいが美しい「夜の終りに」、さらにブレヒト−クルト・ワイルの戯曲「アラバマ ソング」をカヴァーするセンスの良さも見せつけて、完璧なバランス感覚のもとに制作されたアルバム。

●'60年代とは、いったい何だったのか? その全ての答がここにある。

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