件の“ミスター高橋”本『流血の魔術 最強の演技』以来、プロレスに元気がない。“結果が決まっているプロレスは八百長で、本当に面白いのは真剣勝負のPRIDEやK−1である”と公言してはばからない自称格闘技ファン実は元プロレス ファンが増えた。
八百長とはそもそも相撲の言葉で、八百屋の長兵衛さんという熱烈なタニマチがいて、彼と相撲を取った力士が、彼を喜ばせるために、ワザと負けてあげた逸話から来ている。つまり八百長とは、辞書に載っているような“なれあいの勝負”“前もって約束した通りの勝敗をつける” といった不真面目な態度ではなく、観客のニーズとの真剣勝負であったわけだ。八百長はその根底に観客論がなければ意味がないのである。
プロレスの持っている観客論、すなわち、“観客は今、何を望んでいるのか?”というリサーチを皮膚感覚でリアル タイムに行い、それをベースにライヴに試合を組みたてるセンスは、他のどのジャンルも真似できないプロレス独自のものだ。あるいは、八百長を即興演出と言い換えることも出来よう。プロレスとはジャズで言うところのインプロヴィゼーションなのである。
八百長的要素こそプロレスの醍醐味であり、筆者に言わせればジョージ・ブッシュや小泉純一郎の摩訶不思議な詭弁の方が、はるかに救いようのない観客不在の八百長だ。嘘をつくのは悪いことだが、“嘘から出た誠”という言葉もある。また面白いことに、プロレスを知らない人が八百長と断罪する風景も、ひとたび他のジャンルで現れるとむしろ大歓迎、大絶賛されたりする。
卑近な事例をあげよう。
'95年の九州場所千秋楽、結びの一番は若乃花vs.貴乃花。史上初の同部屋・兄弟対決・優勝戦だった。この一番は兄の若乃花が勝利を収め通算2度目の優勝を飾ったが、大方のファンは相撲が真剣勝負であると思っているにもかかわらず“やっぱり、お兄ちゃんには勝てないよねぇ”と実に嬉しそうにコメントした。
'90年の第35回有馬記念では公営から中央へ進出した怪物オグリキャップが引退試合を行ったが、競馬を投資対象としか考えないプロの予想屋さん達を裏切って(オグリキャップは4番人気だった)、見事、優勝。競馬にロマンを求めるファンの喝采を浴び、引退の花道を飾った。武豊の圧倒的なテクニックによる見事な演出だった。
'59年6月、後楽園球場で行われたプロ野球史上初の天覧試合。村山のボールを長嶋が左翼席にサヨナラ ホームランしたシーンは明らかな共犯関係だった。村山は並の選手では到底打てないが、長嶋だったらもしかしたらホームランするかもしれない超一流の配球をしたのだ。長嶋は村山の期待も含め観客全員の期待に応え、それを超一流の技術でホームランした。明らかに演出された名勝負ではあるが、超一流同志の技術があってこその演出だった。しかもここには実にプロレス的な村山の敗者の美学すらあったわけで、なんとも観客論に富んだ試合だったのだ。
これらの事例は、事象だけを取り出してみると実にプロレス的と言わざるを得ないが、しかし同時に、プロレス的に見れば、まだまだレベルは低い。この程度のアングルだったら、プロレスでは日常茶飯事なのだ。一生懸命やるだけでOKなのは、アマチュアの世界だけだ。
問題はそこで得られた興奮が観客の主観において本物かどうか? ということなのだ。
●久しぶりにリング サイド 一列目での観戦。
●川田はこの春、長期戦線離脱から復帰したばかりであったが、彼が欠場している間に彼の故郷 全日本プロレスは急激な変化を遂げていた。ライバル団体であるはずの新日本プロレスから、猪木のDNAを持った武藤敬司が移籍、しかも馬場の妻でありオーナーであった馬場元子から社長の座を禅譲されていたのだ。
●実は全米でトップを取る活躍をし、凱旋帰国していきなりエースの座についた日本人レスラーは馬場と武藤しかいない。武藤の発散するゴージャスなムードは、猪木のカリズマよりもむしろ馬場の華やかさに近いものであり、おそらくそうした意味で元子未亡人は馬場の後継者として武藤を指名したものと思われる。
●老舗の全日本プロレスももはや生粋の選手は、渕と川田の二人だけ。後は下手すると彼らの嫌っていたインディーズ出身選手の寄り合い所帯になっていた。だからこそこの頂上決戦では “全日本プロレスとは何なのか?” を川田が身をもって証明する必要があった。
●川田の長期欠場の原因は、レスラーの宿命とも言えるヒザの故障。7月6日に両国国技館で行われたZERO−ONEとの対抗戦(橋本真也&小川直也 vs. 武藤敬司 &川田利明)で、橋本にヒザを引かれてTKO負けを喫したばかりの川田にとって、この試合でもヒザを巡る攻防が最大のポイントになった。武藤の正確無比なヒザへのピンポイント攻撃と打撃を主体とした川田のスティフなプロレスが、独特の風情を醸し出す緊張感溢れる一戦を作り上げたのだ。
●まったく異なった道を歩んできた二人のメジャー リーガーの邂逅。それは馬場と猪木という永遠のライバル関係の代理戦争である。ところが、武藤には猪木のギラついた陰性の迫力はないし、川田には馬場の太陽のように真っ直ぐな華はない。実はこの対決は猪木の弟子でありながら馬場的なアスリートの武藤と馬場の弟子でありながら猪木的な格闘家の風貌を持つ川田の代理戦争であったところに、何とも皮肉な人間模様があった。
●それは武藤と同じく天才型レスラーと評される三沢光晴(プロレスリング−ノア 主宰)との試合とも、また違った風景であった。三沢と川田の試合がともすればプロレス鉄人レース、カウント2.9 の応酬に終始するマラソン マッチになるのに対して、武藤はここに緩急自在な間(ま)のプロレスを持って来た。序盤戦におけるゆったりとしたスタミナの奪い合いから、チャンスと見るや一気に変速ギアを入れ、攻撃のポイントを絞り込んでいく。これはハイスパート レスリングが主流となった今日的なスタイルからするとむしろ古典的なプロレスの奥義であり、故ジャイアント馬場の得意としたスタイルである。
●またヒザへのドロップ キックからドラゴン スクリュー(ヒザに対して一本背負いを仕掛ける投げ技)、フィギュア4レッグ ロック(四の字固め)へのフィニッシュ コースは、新日本プロレス時代の武藤が'95年10月9日、東京ドームでのUWFインターとの対抗戦において高田延彦(現PRIDE統轄本部長)を破った際、編み出した打撃系選手との試合における必勝マニュアルである。
●武藤の獲物を狙う猛禽類のように鋭い視線、川田の痛みをこらえる鬼気迫る表情などがダイレクトに伝わるのは一列目ならではだろう。リング中央でがっちり決まったフィギュア4レッグ ロックにセコンドの渕が思わずタオルを投入しようとすると、会場のファンから悲鳴にも似た祈りが上がる。ZERO−ONEとの対抗戦をタオル投入で落した川田にしてみれば、ここで再び同じ轍を踏むわけには行かない。しかもこの試合は橋本に取られたままになっている全日本プロレスの至宝、三冠ヘヴィー級挑戦への一里塚なのだ。川田は決死の表情で渕のタオル投入を拒否する。この試合、最大の見せ場である。
●武藤のフィニッシュ コースを凌いだ時点で川田の勝利が一気に近づいた。武藤自身、現在は無傷ではない。同じくヒザに重大な故障を抱えており、もはや受けに回ればそれほどの耐久力はないのだ。フィギュア4レッグ ロックで川田をギヴ アップさせられなかった時点で、ほとんど勝負はついたと言っていい。後は、川田がどのような形でその決着に説得力をもたせられるか? それだけである。24分49秒、川田は武藤を渾身のパワー ボム2連発でマットに叩きつけ、試合を終わらせた。
●残念ながら公式発表では入場者数 3800人(府立は満員で約6500人)で、この名勝負の立会人数としては実に不本意なものであったが、これもまた時代の流れなのか…