『片腕カンフー 対 空とぶギロチン』
   原題:One-Armed Boxer vs The Flying Guillotine
   1975年 台湾・第一影業
   監督/ジミー・ウォング
   出演/ジミー・ウォング カム・カン ルン・クン・イー

 クエンティン・タランティーノがその映画オタクぶりを遺憾なく発揮して趣味の世界を徹底追求している『キル ビル』。完結編であるVol.2がすでに公開中ではあるが、ここではVol.1での筆者のお気に入りゴーゴー夕張の“ゴーゴー ボール”の話から始めたい。

 ゴーゴー夕張はタランティーノの敬愛する深作欣二監督の事実上の遺作『バトル ロワイヤル』で鮮烈な印象を残した栗山千明を見初めたタランティーノが、彼女のキャラをそのまま生かして創作した女子高生の殺し屋である。女子高生の殺し屋というだけでもかなりおかしい(爆)のに使っている武器がまたモノ凄い。鎖のついた刺だらけの鉄球なのだ。これをブンブン振り回して、ブライドことユマ・サーマンに襲いかかるのだが、単に振りまわすだけでなく、かわされた鉄球をさらに蹴っ飛ばしたりして、この対決シーンは惚れ惚れするほどカッコ良く撮れている。ゴーゴー夕張だけで一本、スピンオフを制作して欲しいくらいだ。

 そしてこの“ゴーゴー ボール”には当然ながら元ネタがある。'75年の台湾映画 ジミー・ウォング主演『片腕カンフー 対 空とぶギロチン』がそれだ。

 ジミー・ウォングはいわばブルース・リー前史の天皇巨星とまで言われた台湾・香港映画界のスーパー スターである。当然、カンフー映画にも多数主演しているのだが、実は殺陣のレベルは笑っちゃうほど低い。ブルース・リー出現前のカンフー映画は、日本のチャンバラ映画同様、本当に出来るかどうかなんて不問で、俳優はただ武術家を演じていただけだったから、何もこれはジミー・ウォングに限ったコトではないのだが、そもそもジミー・ウォングは蹴ることすら出来ないのだからお話にならない… というわけで英語タイトルは実に的確に“片腕ボクサー”となっている。

 ただ、じゃあその殺陣のレベルの低さが映画のつまらなさに直結しているのか? と言えば、そんなことは全然なくて、映画自体はベラボーに面白い! スタジオ ミュージシャンのくせに、その下手さで自己主張しまくったジミー・ペイジの破壊的なギター サウンドが、後にアイディアと創意工夫とプロデュース能力の高さによってレッド ツェッペリンの看板となり、大英帝国ロック史に今も3大ギタリストとしてその名をとどめる様に、ジミー・ウォングの『片腕カンフー』もまた亜細亜アクション映画史の金字塔なのである。

  単刀直入に言えば、これぞ正に娯楽映画の王道、全編これ“けれん”のつるべ打ち、あのチャウ・シンチーの『少林サッカー』も真っ青、ツッコミどころ満載のバカ映画一直線なのである。

 “片腕”という単語自体、現在ではいきなり危ないのだが、腕のない人が足のない人を背負って闘う身障者のカンフー映画(『ミラクル・カンフー 阿修羅』 ’80年)なんてモノがまかり通った当時、何の問題もなかったのだろう(ホントか!?)。むしろ、ドラマの展開上、片腕を切り落とされた主人公が、艱難辛苦の果てにそのハンディ キャップに打ち勝ち、敵を倒すというストーリーは、その国民性もあってかウルトラ大ヒットしたのだ。問題は、その場のノリで勢いに任せて主人公を片腕(しかも右手がない)にしちゃった映画がウルトラ大ヒットしたために、ジミー・ウォングはそれ以降ずっと片腕の主人公を演じ続けるハメになったことだ(爆笑) CGでたいていのことは出来てしまう現在と違って、片腕といえば袖から腕を引き抜いて服の中に入れるしか方法のなかった当時、お腹の前をもっこり膨らませての芝居は、なんともマヌケでしまらない絵ではあった(苦笑) 『片腕カンフー対空とぶギロチン』はそんな片腕シリーズの第2弾として制作された同シリーズ中の白眉である。

 ネットを検索してみると、この作品、やはり見た人は必ず多くを語りたくなるらしく、膨大な量の記事にヒットする。実はそのほとんどが単なるストーリーの紹介でしかないのだが、ストーリーを追うだけでも十分、大爆笑を誘うのだからこの作品のポテンシャルがいかに高くまた凄まじい破壊力を持っているか、推して知るべしである。

 さて、そのネーミングたるや絶大なるインパクトの“空とぶギロチン”とは、そもそもいかなるものなのか? 一見、鎖のついた笠のようなもので、被害者の頭の上にちょこんと乗せると、鋭利な刃モノを仕込んだ輪ッカつきの蛇腹が被害者の顔をベールのように覆い、その状態で鎖を力任せに引っ張ると首がもげると言う壮絶な暗殺兵器である。実用可能なのかという点はどうであれ、映像的には実によく出来ている。この暗殺兵器を縦横無尽に操るギロチン マスター(カム・カン)こそがこの作品の真の主役である。

 このギロチン マスター、盲目(なんか身障者オン パレードって感じだな)の爺さんなのだが、全く油断のならないジジイで、オープニングからいきなり空とぶギロチンを自在に操って石仏の首を次々ともぎ取るというバチ当たりな大技を披露する。さらに爆薬で自分の住んでいた小屋を爆破し、火の海にして去って行く。全くもって理解不可能な行動である。第一、“空とぶギロチン”なんかよりもこの爆薬の方がはるかに実際的で、威力があるだろうに…

 この作品は稀代の暗殺兵器“空とぶギロチン”を片腕カンフーがその智謀知略を駆使し、いかに完封するか? を描いただけの作品であると断言して良い。しかも片腕カンフーは勝つためには手段を選ばない、勝つためには何をしても良いという思想に基づいて、卑怯な荒業を連発するのである。本来、敵役がとるべき片腕カンフーのこの態度には共感できないこと甚だしいのだが、それがまた大爆笑につながるところが凄い。そして最後の大決戦では、片腕カンフーはあらかじめ斧がビュンビュン飛び出す仕掛けを至るところに仕込んだ棺桶屋にギロチン マスターを誘い込み、圧倒的に有利な状況の中、斧の集中砲火を浴びせて半殺しにした上、全知全霊を込めた左のメガトン パンチでブッ飛ばすという壮絶なシーンで大団円を迎えるのだ。

 兎に角、百聞は一見にしかず。近くのレンタルDVDへ急げ!

2004年5月3日号掲載
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『片腕カンフー 対 空とぶギロチン』のテーマ曲として無断使用されています(苦笑)
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