熊本市の小学校で今月18日、理科担当の男性教諭(59)が夜間の課外活動中、「肝試し」と称して児童に広島や長崎の被爆者の写真を見せていたことがわかった。
保護者らの抗議を受け、教諭は校長らとともに、参加した全児童宅を訪問して謝罪した。教諭は「軽率だったと反省している」と話しているという。長崎原爆被災者協議会の山田拓民(ひろたみ)事務局長は「被爆者をお化け扱いすること自体が理解できない」と憤っている。
(読売新聞) - 10月26日12時7分更新
59歳にもなっていまだに正常な判断能力のない教師に教わっていた児童達には心底同情するしかないし、こんなボンクラ教師は即刻、退職金の出ない懲戒免職でゴミ箱行きにしてもらいたい。実は筆者がこの記事を読んですぐさま思い浮かべたのは、不幸にして円谷作品最大の欠番作品となってしまったウルトラセブン 第12話『遊星より愛をこめて』である。そう、あの“遊星の悪魔 スペル星人”だ。ここで筆者が最大と記したのは、この第12話、なんとフィルムが既にジャンクされていて現存せず、その意味で状況は怪奇大作戦の第24話『狂鬼人間』よりもさらに深刻だからだ。
ただ幸いなことにこの第12話、ファンの間での評価はイマイチのようだ。実はこのような事件に巻き込まれなければ、初期の平凡なエピソードの一つとして忘れ去られたに違いない作品だったのである。
ネットで検索いただいても、おそらくおびただしい量の記事にヒットするだろうと思われるし、また本年10月太田出版から出版された安藤健二(著)『封印作品の謎』でも詳しく述べられているので、作品論としてストーリーやドラマ自体のレベル、当事者のコメント等々、本格的にお知りになりたい方はそちらをご参照いただきたい。
筆者が屋上屋を架す愚挙をおしてもここで強調しておきたいのは、この作品がフィルムのジャンクという作家(脚本:佐々木守/特殊技術:大木淳/監督:実相寺昭雄)にとっては最悪の結末に至る実に不条理に満ちた経緯それ自体のことなのである。ここには表現と放送禁止を巡る複雑怪奇な問題が集約されているのだ。正義の名の元に行なわれる無自覚な善意が、結果として“差別を作り出し、助長し、再生産する環境”を未来永劫保存するという結果を招いていることに早く気づくべきだろう。
事実関係を出来るだけ簡潔に要約する。
昭和45年(’70年)、小学館の学習雑誌『小学二年生』十一月号に掲載された“かいじゅうけっせんカード”のスペル星人の項に“ひばくせい人・(おもさ百キロ〜1まんとん)・目からあやしい光を出す”との説明書きがあった。それを発見した中学一年生の少女が、原爆被害者団体協議会の委員を務める父親に相談、彼女の父親は小学館に抗議の手紙を書いたが、その回答を待たずに朝日新聞が記事として取り上げたため、抗議運動が各団体に拡大し全国的な広がりを見せた。ちなみにこの二人は被爆者ではない。
抗議を受けた円谷プロは同年10月21日付で謝罪の意を回答し、スペル星人に関する資料を公開しないことを約束し、小学館をはじめとする各出版社もスペル星人を扱わないことに決めた。
なおここまでの過程において『遊星より愛をこめて』という映像作品自体の内容は一切検討されておらず、抗議団体の関係者に対する試写等も行われていない。以後、ウルトラセブンの第12話は欠番扱いとなり、映像・出版物共に封印された。
つまりこの市民運動においてはドラマそれ自体の是非ではなく、間接的にそれを取り扱った出版物の中の“ひばくせい人”なる名称が一人歩きし、あげくその名称はいつのまにか“ひばく怪獣”と都合よくすりかえられ、結局、その名称を巡って問題が雪だるま式に肥大化していったのである。曰く“被爆者を怪獣扱いするとは何事か!”と。そんなこと誰も言ってない。
正義を声高に主張するときそこに一片の自己陶酔もないとは言い切れまい。水戸黄門の助さん角さんが封建的な権威をかさにきて三つ葉葵のご紋のついた印籠を振りかざすかのように、正義の味方が絶対的な真理を口にした時、そこに反論の余地は全くない。何らの対話も生まれえないのである。とすれば、そういった発言をするとき、人々はより慎重に自覚的になるべきだろう。被害者の側から発せられた発言というだけで、それが特権的に認められ何らの反論も許されないものになってしまった時、そこには極めて不健康で後味の悪い消極的な同意しか残らないのだ。
正義の味方は常にスケープ ゴートを求めている。
参考資料:
『別冊宝島 怪獣学・入門』(初版のみ掲載の「幻の12話」を20年間追い続けた男)
“ひばく怪獣”問題資料集〜被爆者差別の固定化を許さないために〜←ひばく怪獣との表記に注目
印象派とは最も進んだ絵画表現だった
●1874年の印象派誕生から今年で130年を迎えることを記念して開催されているクロード・モネの展覧会。
●印象派の絵画をまじめに鑑賞したのは初めてだったがこれほどのものとは。至近距離で見たモネの作品は、実はなんだかよく分からない油絵の具の痕跡でしかないのだが、数メートル離れて見た瞬間、それはまるで躍動感に溢れた映像のようでもあり、奥行きがあり高さがあり深さがあり凹凸がありそして時間までもが表現されている。二次元の平面から明らかな立体感が立ち昇る。そこには3Dが表現されているのだ。
●波打ち際は音を立ててせめぎ合い、小川はキラキラと流れ、くさむらは風に大きくうねっている。鳥は低く高く飛びまわり、橋の上の車は渋滞にもどかしげだ。
●そのライヴな感覚は残念ながら印刷物ではなく写真でもなくモネのホンモノの作品を見ることでしか得られない稀有なものだ。展示の最終コーナーには、写真で同じ大きさにとらえられたモネの巨大な睡蓮の絵があったが、これも実物には全く歯が立たなかった。
●またモネの作品が物凄いのはピントがしっかり合っているのに、立体感が出てくることだ。けして輪郭をぼかす事によって、こうした効果を出しているわけではない。だから目の悪い人は絶対にめがね着用のこと。
●筆者と同じこの感覚を味わうには出来るだけ離れて見ること。だから大きな美術館の大きな部屋でたっぷりとスペースをとって贅沢に展示されることが必要不可欠だ。3m以上離れてイスにじっくり座り、のんびり落ち着いて眺めるのがベスト。その意味で、この奈良県立美術館での展覧会では非常にいいシチュエーションで鑑賞できた。今回は開催期間中の金曜日、土曜日は5時以降9時までの夜間鑑賞時間も設けられており、少ない鑑賞者の中、実にのんびりとこの稀代の作品群を楽しめる。