今年の秋は読書づいていた。今から約70年も前の'36(昭和11)年5月18日に東京都荒川区尾久(現在の都電荒川線 宮ノ前駅付近)の三業地の待合(三業地とは芸妓置屋、待合、料亭の営業が許可された区域のことで、花街とほぼ同義。待合は今で言うところのラヴホテル) “満佐喜(まさき)”で起きた殺人事件に関する本を立て続けに何冊か読んだ。例えば、その一つは『艶恨録――予審訊問調書』という。
被害者はいなせな格好をした遊び人風の男性、石田吉蔵、42歳。一週間程前から31歳位の玄人らしい美人をつれて連泊していた。その日の朝、女性が外出し、その後、石田がなかなか起きてこないので、不信を抱いた待合の女中が午後3時頃、確認に行ったところ、石田が蒲団の中で絞殺されていた。その死体からは男根が切り取られ、太股には血で“定、吉、二人”と書かれていた。
阿部定事件――あまりにも有名な情痴事件であり、そのアウトラインについてはネットで検索すれば、うんざりするほどヒットするだろう。しかし活字になった場合のそれは、事件のセンセーショナルな側面をことさら面白おかしく煽ったものや定を評して世直し明神といった不用意な表現が多く、閉口させられる。
犯罪仲間を募る携帯電話の闇サイトで知り合い、面識のない女性を拉致、殺害して7万円程度の現金、キャッシュカード、等々を奪った名古屋市千種区の事件(この3名の犯人を死刑にできないのであれば、もはや日本は安全を補償された場所の存在しない無法地帯ということになる)等々、ここのところ被害者と何のゆかりもない加害者が金品目的で凶悪な犯罪に走るケースが目立って増えている。
こうした事件は、現代の犯罪を象徴しているのかもしれないけれども、報道などで接した際の後味の悪さ、やりきれなさは結局、不条理極まりない事実を突き付けられて理解不能に陥る感覚の居心地の悪さに他ならない。
多くの犯罪は制御不能となった感情の爆発が原因であり、それを指して情状酌量の余地と言うのである。なかでも情痴事件は性愛感情の歪みであり、当事者同士でしか分かりえない複雑怪奇な人間模様である。結局のところ、無粋な司直が乗り込んで事実関係をつまびらかにするのは、当事者同士にとっては大きなお世話なのかもしれないし、それはまた社会的な秩序を維持するために必要最低限やらざるを得ない通過儀礼のようなものなのかもしれない。
いずれにしても、情痴事件の当事者同士には単純な加害者・被害者という二元論的理解では到底語り尽せない関係性が残る。そしてそのことが、不埒なのかもしれないが、昨今の凶悪犯罪に辟易させられた筆者にある種の癒された感覚を起こさせるのだ。
裁判準備として作成された予審訊問調書の中で定は “私は石田を殺してしまうと、すっかり安心して肩の重荷が下りたような感じがして、気分が朗らかになりました” と供述している。
愛人の男根を切り取って持ち歩いたという点から安易に猟奇事件と呼称されるが、切り取ったのは殺害後である。例えば、ミルウォーキーの食人鬼 ジェフリー・ダーマーが'78年から'91年にかけて17名を殺害した事件のように、生きたまま性的暴行を加えたり、頭蓋骨に穴をあけて塩酸を流し込んだりしたわけではないのだ。
“それは一番可愛い大事なものだから、そのままにしておけば湯棺でもする時、お内儀さんが触られるに違いがないから、誰にも触らせたくないのと、どうせ石田の死骸をそこに置いて逃げなければなりませぬが、石田のオチンチンがあれば石田と一緒の様な気がして、淋しくないと思ったからです。何故、石田の足や敷布に定、吉、二人と書いたかと云いますと、石田を殺してしまうとこれですっかり石田は完全に自分のものだと云う意味で、人に知らせたい様な気がして、私の名前と石田の名前とを一字ずつ取って定、吉、二人キリと書いたのです”
定の動機の純粋さには、ある種の崇高さすら漂っており、感動的である。そしてこの感覚はどうも筆者一人のものではないようだ。下卑た笑いの下に語られる猥談としてのそれは論外としても、世の有識者の多くがこの事件にある種の救いをもって接したという。
『座談』('47年12月号)で定と対談した坂口安吾は、“阿部さんをほんとに悪い人間だと思っている者は一人もありませんよ。あらゆる人間はそういう弱点を持っている。ただ阿部さんはそういうことを率直におやりになったというだけで、だからみんな同感して、なにか懐かしむような気持ちがあるんじゃないかと思うのですよ” とさえ述べた。
定の逮捕は各新聞の号外で報じられた。国会では開かれていた2つの委員会を中断してまで、委員全員が号外を読み耽ったが、その雰囲気は一様に和やかであったという。
同年2月に起こった2.26事件の醸し出す殺伐とした気配、軍靴の響きがやがて来る軍国主義への不吉な予感を拡大させていたという世相的な背景も見逃せない。
定を精神鑑定した東京帝国大学の村松常雄教授は、彼女を先天的なニンフォマニア(nymphomania:淫乱症)と診断している。定と関係した男たちも、彼女がオーガズムに達すると体が震え出し、それから1時間近く失神していたと証言した。間接的にだが、定を石田と引き合わせた張本人である中京商業高校校長・大宮五郎は、最初に定と関係したとき、濡れ方が極端(いわゆる潮吹き状態)であったことに驚いて、病気ではないかと思ったと述べている。
裁判は約半年後の'36年12月21日、東京地裁にて懲役6年と結審した。殺人事件にしては軽い刑であった。この裁判を担当した細谷啓次郎は、自らと二人の陪席判事それぞれの妻の生理日まで考慮に入れて公判期日を決めたという。裁判に立ち会った彼らが、審理中に興奮しても、帰宅後に性的な欲求を解消できる方途を残しておいたのだ。それほどに定には妖婦としての性的インパクトが絶大であったということか(苦笑)
予審訊問調書は『艶恨録』と題され地下出版された。警察が押収し原本と照合したところ、内容が全く同じで、さらにプレミアムがついたという。文庫本の『阿部定手記』(中央公論社)及び『阿部定伝説』(筑摩書房)に収録されているのはこの調書である。
一説によれば研究のため、特に調書の筆録を許可された性科学者 高橋鐡が、研究費捻出のため少部数刷り、好事家に高値で密売したものが、暴力団によって地下出版されたと言われているが、当の高橋は当然、否定している。
'38年5月21日に岡山県津山市で起こった通称 “津山30人殺し”の犯人 都井睦夫もこの『艶恨録』を写筆し、“阿部定に負けんような、どえらいことをやって死にたいもんじゃ” などと語っていたという。
'41年5月17日、定は前年の皇紀2600年祝典による恩赦で減刑され出所した。事件と一日違いのこの日、丸5年が経過していた。
戦後、開放的な世相もあいまってエログロ関係のカストリ雑誌が横行した。
'47年9月、定が著者と出版社を名誉毀損で東京地検に告訴した『昭和一代女お定色ざんげ』を端緒に、阿部定事件は好奇の目で再発見されることとなる。河出書房新社版の鈴木敏文の解説にもあるように、この『昭和一代女 お定色ざんげ』は、定が訴訟を起こしてまで抗議するようなひどい内容にはなってないと筆者も思う。告訴の対象として定がこの小説を選んだのは、10万部以上を売ったというその出版部数であろう。
また同年、作家の長田幹彦主催の劇団で、自ら『阿部定劇』のヒロインを演じて全国を巡業した。その際、インタヴューに答えて “私という女が間違って世間に伝えられているのが一番つらいので、いわば汚名をそそぐ意味で、少しでも社会のお役に立てばと思ってやることにしました” と語っている。
日活ロマンポルノに対抗して東映が展開した異様性愛路線の中の一本、『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』(監督 石井輝男 '69年)で描かれた“阿部定事件”のエピソードの中で、数分だが定本人(当時64歳)が出演している。
“人間というものは、一生に一人じゃないかしら、好きになるのは。ちょっといいなぁ と思うのはあるでしょうねえ、いっぱい。それは人間ですからね。けどね、好きだというのは一人…”
定の言葉は、自らの損得勘定の下に他人を平気でふみにじる恥知らずな21世紀の日本人が、疾うの昔にゴミ箱に捨て去った感覚に満ちている。
暗黒舞踏派 土方巽(カルト映画ファンにとっては、奇形人間 菰田丈五郎だろうな(苦笑))が何とも恐縮した雰囲気(あの天下の土方巽が である)で定とのツーショットに収まった写真がある。まるで、『江戸川乱歩全集・恐怖奇形人間』の中に出てきた婚礼のシーンのようである。ここでの定はなんとも毅然とした雰囲気で映っているのが好ましい。昭和44年8月に撮影されたこの写真が定、最後の公式写真となった。
現在、戸籍上、阿部定の死亡は確認されておらず、定が60歳を過ぎて開店したおにぎり屋“若竹”への'70年6月1日付国税納付通知書は、“若竹”の閉店後入居した皮革加工業を営む現在の住人の手元に保管されたままになっている。
参考文献
木村一郎/城市郎・監修『阿部定の告白―お定色ざんげ』(河出書房新社)
前坂俊之・編『阿部定手記』(中央公論社)
七北数人・編『阿部定伝説』(筑摩書房)
堀ノ内雅一『阿部定正伝』(情報センター出版局)
●スナッフ フィルムが恐ろしいのは、記録映画ではないという点だ。例えば戦時中に制作された記録映画なら、本当の殺人シーンはふんだんに出てくる。広義の解釈なら、爆撃シーンだって殺人シーンだ。
●問題は殺人が先にあるのではなく、映画を撮影するために殺人を行うということなのだ。パートノンフィクションとでも言うべきか、まさに血も凍るという感じがする。
●スナッフ フィルムを製作することあるいは鑑賞することは、反社会的な秘密を共有することでお互いの結びつきを強化することと、第三者の生命を自由に操れるという実感がそのグループに途方もない権力の存在を錯覚させる効果があるらしい。
●いずれにせよ、もちろんこの作品はそうしたものとは全く無縁のどうしようもない駄作、誰が見ても単なる作り物のコケオドシということだけはハッキリしている。ある意味これを作って金儲けを目論んだ連中は、そうとう頭が良いと言うべきだろう。
●現在ではこのフィルムの出所も制作の経緯も明かにされているので、どうと言うこともないのだが、逆にこんなチンケなSFX で観客が、“映画の中で本当に殺人が行われている” と思った! というのはなんともノドカなお話。最後の女優を殺すシーンとそれまでのフィルムが全く別々に製作されたモノであることは初見でも分かる。こうなると騙された方も確信犯、プロモーションに一役買ってるとしか言い様がないナァ… と。当時の風俗を知るにはちょいと面白いかもしれないが、ま、単なるバカ映画という扱いで十分だ。
●中学生の頃、映画雑誌にとんでもないノリで掲載されていた記事に心を痛めていた頃が懐かしいよ。
参考文献=ヤーロン・スヴォレイ+トマス・ヒューズ 翻訳・浜野 アキオ『スナッフ フィルム追跡』(扶桑社ノンフィクション文庫)