目 線 の 角 度
15×cm。私の現在の身長である。
昔から小さかった。
身長にまつわる一番幼い記憶は幼稚園。先生が園児を集め、だいたいの感覚でそれぞれの園児の身長を見極める。「はい、○○ちゃんはこっち、あなたはそっち」と前へ後ろへと振り分け、順番を決めていく。私は少々ぽっちゃりしていたせいか(これも昔からである)、どうも第一印象ではめちゃくちゃ小さい子とは思われなかったようで、はじめは半分より少し前あたりに配置されていた。それが、先生がひととおり園児を振り分けた後、次に微調整がはじまった。私はどんどん前の子と背を比べられては入れ替えられ、左腕を先生に握られながら前へ前へと進められた。
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4歳の子が誰に教えられたというわけではないだろうに、なんだか前にいくことが屈辱のような気がした。できればなんとか一番前にだけはなりたくない、と必死に背すじをのばしたような記憶がある。
そんな願いがかなってか、結局、私は前から2番目に配置された。そのときはじめて、いちばん前の子だけが「前へならえ」で格好が違うことを知った。
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それから毎年、新学期になると、きまってこのような背の順に並ぶための確認行事がとりおこなわれた。
私は、幼稚園、小学校、中学校と、幸い一番前になることだけは免れたが、だいたいいつも前から2〜5番目あたりをキープした。一番多かったのは前から3番目だったと思う。それに比べ、小さい頃からずっと一緒だった同級生のかなちゃんは、いつも一番後ろだったな。。。彼女は彼女なりに私とは逆の立場で「一番後ろだけにはなりたくないな」とか思ったりしていたのかな。。。悲しいかな、背の高い人の気持ちは私にはわからない。
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突然だが、私は「甘え上手」と他人からよくいわれる。自分でも最近自覚するようになったのだが、そういう性格(性格か?)は決して嫌いではなく、なかなか気に入っている。とはいえ、他人が私を「甘え上手」と評する理由、原因は少々異なる。
みんなは、私が一人っ子だから、甘え上手はそのせいだ、と思っているようだ。が、私の考えでは、この「背が小さい※」という点が多分に影響しているように思うのだ。
※「背が小さい」と書くと、「ちがうよ、『背が低い』と言うのだよ」とご指摘をうけそうだが、私の中では「背が小さい」という方がぴったりくるのでお許しください。
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「一人っ子」については、いつか別の機会で自分の考えを語りたいので、ここではこれ以上触れないが、「一人っ子=甘えん坊」ではないと私は思う。なぜなら、一人っ子は甘えなくても、甘やかせてくれるから、である。甘える必要はないのである。
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とまれ、これほど幼い頃から、背の小さい自分を経験してくると、当然だが相手する人はほとんどが自分より背が高い。自然に目線は上をむいてくる。極端な話、大地を見つめるより大空を見上げる方が多いのだ。そう考えると、自分の性格が楽天家なのもなんとなくわかる気がする。空を仰いで「人生ってなんとかなるものよ〜タリラリラ〜」という感じに。反対に大地を見つめる人はなんとなく「人生って。。。何なんだろう。。」とか深く考える人が多かったりして。。。
よく背の高い人はヌボーッとしているとか言われたりするけれど、きっと心の中ではいろいろ人生について生真面目に悩み考える人が多いのではないかと(勝手に)思う。
とにかく、私が上目づかい(甘えん坊の一つの特徴)になるのもムリはないのだ。
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大人になってからの私は、ほとんど毎日ヒールがある靴を履く。最近は、ヒールがないと生きていけないくらいの依存症。ただ、それは背が高くなりたい、というのとは若干ニュアンスが違う。「背が高くなりたい」というよりも「スタイルがよくなりたい」から履いている。一緒、か。。
繰りかえすが、私の場合、「ヒールと共に十何年」の生活を送っているので、別にヒールが9cmくらいあっても平気なのだが、とはいえ多少は不自由を共にしている。短距離を歩いたりする分には何ら問題は生じないのだが、寝坊した朝にそんな靴を履いたら絶対に遅刻だし、一所懸命走っているつもりでも、他人から「それで走ってるんですか?」と小馬鹿にされる。でも、ここで私はまた一つ発見したのである。きっとそんな状況だから、「待ってぇ〜」(甘えん坊の一つのセリフ)なんてことをつい口走ってしまうのだろう。
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そんな、たまにしんどいとき、さすがに私もぺったんこのヒールなしの靴を履く。そうすると、あまりの自分の不格好さに自己嫌悪するのだが、纏足から解放された娘のように自分自身が開放的になる。当然、駅までの道のりを走ることだってできるし、大股でスタスタと歩くことだってできるのだ。バンザイ!ヒールがある靴のときとは大違い。
毎日みている自分の世界が一段低くなって、一緒に歩く人との目線も変わり、会話も変わる。隣にいるのが男性だったりすると、いつもよりうんとその彼が格好良くみえてしまう。気恥ずかしくもなる。男性自身は何もかわってはいないのに不思議だ。
それは私と彼との距離感、というよりも二人の目線の角度がそうさせるような気がする。
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人と人との距離には関係があって、自分との距離が45cm以内だったら「密接距離」、45〜 120cmは「個体距離」、次に遠いのは「社会距離」その次は「公衆距離」と、エドワード・ホールという人が言っていたが、私はそれ以上に目線の角度がとっても重要で深いかかわりがあるように思う。
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結論。ぺったんこの靴の私が本当の自分なのだから、低い靴を履いたらその彼が格好良くみえるのではなく、実は本当にカッコいいのだ。
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2004年12月20日号掲載
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