*M・コズモ02号
(1987年12月20日)より転載

text/安宅久彦who?

 お手紙有難う。いま海に来ている。

 海辺の民宿の電気スタンドは電球が悪くて、その下でものを書いていると目がいたくなってくる。

 夜、窓を開けはなしていると、海からの湿っぽい風と一緒に、たくさんの蛾や小さな羽虫が部屋に入ってくる。

 この部屋は民宿の二階にあり、窓の下には人家や木々のあいだを抜けて海岸道路のほうへ登っていく暗い未知を見下ろすことができる。夜ともなれば人通りもなく、まばらな常夜燈の下を風と波の音だけが通ってくる道だ。

 煙草の葉が口に入って熱のある夜は、東京にいてもいつも波がうちよせ、白い泡を残して引いた。波が引くとそこは岩だらけの海岸で、潮にけずられ断面をムキ出しにした断崖を前に、白い帽子をかぶった小学校の先生が、子供を相手に地層の講義をしている。沖積紀、洪積紀、白亜紀、ジュラ紀、三畳紀などと聞きおぼえのある名称がつぶやかれ、男の手にした教鞭が土層の重なりの下方へとたどっていくにつれて、太古の生物の亡骸の上に砂礫が降り積もり、微熱を帯びて岩戸なっていく長い年月が手にとるように蘇った。そして、その遥かな記憶の底からこちらへさかんに呼びかけ、歯をむいて害意を示すものがいることを感じ、とたんに下腹が冷たくなって、不安が光景ののどかな印象を打ち消していく。

 不安を感じた子供たちが、蒼冷めうなだれていくのを叱りつけるように、「怖がることはありません、もうとっくに死んでいるのですから」と、教師は言い、崖の下層を手で掘り起こすように子供たちに命令する。(どうやらこの教師も奴の仲間のようなのだ。)

 生徒たちは気の進まぬようすで、細い指を使って砂礫を掻きのけはじめる、作業が進むにつれ、ますます色濃くムキ出しになっていく不安に息が詰まりそうだ。違う、化石なんかじゃない、いまでもそいつは生きていて、虎のようなどう猛な殺意を岩の中に育て、爪をみがいて俺を待ちかまえているのだ。そう頭の中で叫んだとたんに、それまで輪郭の定かでなかったそいつの形姿が焦点を結ぶようにクッキリと思い浮かび悲鳴をあげる。

 しかし、夢を見ている自分にはそれをどうしても止めることができない。とたんに強い吸盤に覆われ鋼のような脈に貫かれたそいつの触手が岩の隙間から踊り出、小学生の柔らかい二の腕にキリキリと巻きつく。そして水と鮮血が跳ね散らかされ、水際を哀れな悲鳴がみたし、惨劇が進行していくさまを夢の光景は冷えたまま肩を落として映しだしつづけるのだ。

 海へやってきてからは、そんな夢も見なくなった。毎晩砂に埋められたように深く眠り、貝柱のように元気よく目をさましている。

 南の海とはいえ、十月ともなればさすがに海水浴のシーズンは終わりで、やる事といえば人けのない海岸を散歩するぐらいしかない。人家の間に鄙びた店屋が点々とまじる細い小路を抜けると、海岸通りに出て不意に眺望が広がる。海の色はインクを流したような濃い紺だが、波は静かである。土地の人たちがゲバサモと呼んでいるホンダワラに似た海藻を、あちこちで広げて干している砂浜をぶらぶらと散策する。湿った砂が土踏まずを圧迫する感触が新しい。これがあるために浜歩きは体に良い、とも言うが、慣れないためか半キロも行かないうちに全身がグッタリ疲れてしまう。

 海を左手に、海岸通りを右手に灯台のほうへ歩みながら、波打ち際に打ちよせられた様々なゴミや漂着物を物色する。お定まりのスイカの川やしぼんだビーチボールなどにまじって、遠くから流されてきた珍しいものがありはせぬかと思うからだ。しかし、これまでに見かけた目新しいものと言えば、

 貝のように固い舟形のイカの甲、
 流されているうちに角がとれた、海女の使う箱眼鏡、
 ドンベ(ガラスの浮子のことを父の郷里ではそう呼んでいた)、
 やはり角がとれて読めなくなった木の表札、
 紐と見分けのつかないウミヘビの骸、

 などである。その他に、大きなセミダブルベッドの鉄製の枠が半ば砂に埋もれてあったのは奇妙な眺めだったが、これは流れ着いたのではなく誰かが浜に打ち棄てていったのだろう。このベッドは、後で書く映画祭の前日には片付けられてしまった。

 無論そうした大きなものを拾うわけにはいかないが、珍しい貝殻や丸くなったきれいな小石などを拾い集めていると、いつしかヨットパーカーのポケットが大きくふくらんでいることに気付く。


      2005年3月28日号掲載