*B’7号(1986年3月3日)より転載

text/安宅久彦who?







 いったい何処へ行っていたのですか。

 お母さんは心配しました。

 河を越えてお部屋へ行きました。貴様のお部屋にはけものの匂いが満ちているだけでした。何カ月も帰ってらっしゃらないのが手に取るようにわかるのでした。近所の方々も知らんぷり、まるで伸夫のことなど見たこともないような態度です。

 私はご飯もいただけませんでした。胸がくるしく、法主様から頂いたお魚を見ても進みません。

 でも、そうしているうちに伸夫の荷物が実家へ届いたのです。吃驚しましたこと! さっそくそれを運んできた黒猫ヤマトの者等に住所を教わって、手紙を書いているのです。

 その塔のそばの家とはどんな所ですか。そこにもマラリアやショウジョウバエがいるのですか。

 一緒に棲んでいる女とはどんな人なのですか。それは仏教徒ですか。

 法主様のお言葉を思い出して下さい。断じて畜生道に落ちてはなりません。伸夫の今いるそこもやはり畜生の国だろうけど、貴様まで畜生になってはならない。苦しんでいる哀われな人々をそこから救い出すのが貴様の仕事のはずです。

 どうかくれぐれも御自戒くださいませ。お母さんはどんなことでも力を貸します。云ってきなさい。手紙を書きなさい。

 電話はいけません。電話口であいつが聞いてしまいます。手紙を書いたら、人をやって裏の木戸のところの朝顔の鉢の下に入れさせなさい。

 夏になりました。お庭にも、黄芙蓉はまだ開きませんが、朝顔が毎朝咲きます。一つがしぼんでも、また別のが次々と花開くので嬉しい。勿論私が全て手入れをします。砂をかけられないように用心せねばなりません。砂をかけると開くのは昼顔なのです。

 一ト月前に土門の悠香里伯母さまが不意に見えられ、本当に数年ぶりのことなので私たちは涙を流して再会を喜びました。伸夫は土門の伯母さまを覚えているかしら。お母さんにとってはたった一人の姉なのに、めったに会えないのは非道いことです。

 なぜいけないのか。

 貴様も知っている通り、あの男が土門のものの顔を見ると不機嫌になるからなのです。その日もあいつが眼をさますので、その前にとまだ朝顔の花のあるうちに裏口から姉を逃がしたのでした。

 あの男は榊原のが死んで以来、することもなくなって家に閉じこもり、相手にするものもないのでいよいよ頭がおかしくなるばかりです。お母さんがおとなしいものだからますますつけあがり、乱暴な口をききますが私は聞き流しています。まだ榊原が生きているものとばかり信じていて、その秘書として羽振りのよかったころの調子が抜けない。それどころか増長する一方で、やれ「榊原が幹事長になれば、自分も議員になる。」だの、「法主様の寺も自分と榊原とで建て換え、喜ばれた。」だの、「やがてはこのあたりの立ち入り権が自分のものになる。」だのと浅ましい空事を並べています。

 最近ではもう自分と死んだ榊原との区別も付かなくなった様子で、東の書斎の窓ぎわに机を出しては、死んだ男の声色を使い、すっかり国会議員になりきった身振りで、自分に呼びかけてみたり。

 恥ずかしいことです。

 これもみなあいつが榊原の家に入りびたっているうちに頭に染みこんだ毒のためです。

 榊原の、貴様の父親は外道でした。いえ政治家はみな外道で畜生です。

 それにひきかえ、伸夫は貧乏人のために一生をささげるという潔い目的をお持ちです。それこそ本当に私たちの家にふさわしい、宝石のような貴様のおこころざしです。

 どうか立派なお医者になるよう、身を正しく持って精進なさって下さいませ。いえ、医者になどならずともよいのです。とにかく御自分の気持ちを貫かれますよう、お祈りしているます。

 送られてきた蚊帳と御本は貴様の昔の勉強部屋にしまっておきました。時にはお母さんに会いにきておくれ。

 そして一刻も早くくわしいたよりを。首を長くして待っています。その時はくれぐれも先に書いた注意を忘れぬようにして下さい。

 八月に入って朝晩が寝苦しく、食欲もないので梅の実ばかりをかじっていたところ、医者にいけないと言われました。伸夫がどんな御飯を食べているのか心配でなりません。梅の実は呼吸器に悪いそうですね。

 蓮の花もまもなく開くことでしょう。本当に、元気な顔がみたい。

八 月 × 日
       伸 夫 様       亜 耶 よ り

2005年1月17日号掲載