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text/安宅久彦

 幼いころ、満月の夜になると、母は私を小さな竹の筏に乗せ、家の裏手に広がる湖に流した。
 夕暮れが迫り、私を筏に乗せるときになると、母は私を寝床から抱きあげ、ごめんね、ごねんねと何度も詫びるのだった。私には、母がなぜ詫びるのかがわからなかった。筏に乗って、涼しい夜の湖を漂うのは、私には楽しいことだったから。
 私を抱きしめるとき、母の身体は木の実の匂いがした。満月の日、母はいつも朝から家をきれいに飾りつけ、夜になるとやってくる客のために木の実の入った菓子を焼いた。満月の夜にやってくるその客を、私は一度も見たことがない。どうやら、母はその人に私を見られることを恐れているらしかった。
 私を抱きしめる母の身体は、胸の骨のありかが感じられるまで、ほっそりとやせていた。母は、村の広場の井戸に水を汲みに集まる未婚で子持ちの女たちの中でいちばん年かさだったが、それでもまだ12歳だった。
 家の裏口は、小さな桟橋になっていた。母はそこで私をワラの匂いのする布団にくるみ、焼きあがったばかりの菓子をひとつ手にもたせて(まだ歯も生えていない年齢なのに)、筏の上に横たえた。そして舫い綱をゆるめ、そっと私を押しやると、おりから吹き始めた夕暮れの風にのって、筏はゆらゆらと湖に漂い出た。
 この話をすると、みんなは私のことをウソつきだという。赤ん坊のときに起きたことを、そんなにはっきり覚えているわけがないというのだ。どうやら私以外の人は、自分が赤ん坊だったときのことをまったく覚えていない、らしい。
 赤ん坊のころの記憶がいつ失われるのか、私は知っている。それはだいたいいつも、夏の昼下がりのことだ。赤ん坊が昼寝のために日陰の柔らかい筵の上に寝かされ、そして必ず親が何かの用事で目を離しているすきにそれは起こる。森に向けて開け放たれた窓から、涼しい風といっしょに、一羽のカゲロウが入ってくる。カゲロウはしばらく赤ん坊の頭の上を旋回し、そしてふと赤ん坊の温かく濡れた口の中に飛び込む。ちょうど水の上で産卵するときのように。
 赤ん坊は、気にくわない様子で顔をしかめ、クシャミをひとつする。それから、体が一回転するぐらい勢いよく寝返りをうつ。赤ん坊がそれまでの記憶をすべて失うのはこのときだ。
 それまで家事に没頭していた親が、気配に気付いて振り向くと、赤ん坊はいつもと同じように顔の前で手を振ってみたり、自分の足の指をなめようと躍起になっていたりする。しかし、それからほどなくして、親は小おどりしながら子供を抱き上げ、親戚や近所の人を呼びにやったりなど、大騒ぎを演じることになる。赤ん坊が、はじめて何か言葉を口にしたのだ。
 赤ん坊が言葉を話すようになったときから、頭のなかに大きな黒い壁ができあがる。そして、それまでの記憶はすべてその壁の向こうに隠され、いつしかそこに壁があることさえも忘れられる。宇宙の果てを、人が見ることができないように。
「いいかい?」と、その夜、ハスの葉の上に座った人は小さな指を立てて私にそう言った。「人は、新しい何かを覚えると、何かひとつ、別のことを忘れてしまう。でも、忘れてしまった何かは、頭の中から消えてしまったわけじゃない。それは、新しく覚えた何かの影に隠れて、見えなくなってしまっただけなんだ。」
 そして、彼は私に魔法をかけた。
 私が成長してからも、赤ん坊のころ――湖のそば、ニッパヤシの木陰の家で母と二人で暮らしていたころのことを忘れないのは、こうした理由があるからだ。
 私を乗せた筏は、涼しい夜の風に吹かれながら、湖の中心に向けてゆらゆらと漂っていく。満月の夜の湖は、長く暑い昼のあいだよりも活気があるぐらいだった。私は耳を澄ませて、風に乗り、あるいは水を伝わって聞こえてくる物音の響きを楽しんだ。
 岸辺の暗い森の中からは、鳥たちが仲間と鳴き交わす声や、物音に驚いてはばたく音、悪夢にうなされて目覚めたホエザルの鳴き声などが聞こえてきた。水の下からは、魚たちが鱗を擦りあわせながら泳ぎまわる気配が伝わってくる。
 筏は、私の背丈よりひとまわり大きい程度のもので、少し首を傾ければすぐ近くに水面を覗きこむことができた。湖の水は昼間の熱気を温かく保ち、毛布のようにふわふわと私の筏を浮かべていた。私が身体を動かして筏を揺すると、水は私の耳のすぐ下でかすかな音をたて、柔らかい波紋をゆっくり広げた。
 水の表は、金の絹糸で織った薄い布のようだった。月の光がさしこみ、水中の光景をゆらゆらと揺らめかせながら、私にいろいろなものを見せてくれた。互いに絡み合いながら、器用な動きでダンスを踊っている水草たち。そして、そのあいまに銀色の肌をきらめかせながら泳ぐ魚たちのすばやい動きは、水中で私の読めない字を書いているかのようだった。
 何よりも、私は水の表面の美しさに魅せられた。水面は、微かな風や生き物の動きに反応して絶え間なく動き、月の光を映してなめらかに、無限に変化しつづける模様を描いた。私は、何時間でもあきることなく、その水の万華鏡を見続けることができた。
 湖の中心には、村人がトカゲの島と呼んでいる中ノ島が、黒いずんぐりとした姿でたたずんでいた。遠く湖の対岸には、拝火教の村人たちが夜中燃やしているたき火のあかりがちらちらと見えていた。そして、月がいつも目を見開いて私を見下ろしていた。
 湖の上では、恐ろしいことは何ひとつ起こらなかった。
 ただ、いちどだけ、ハココウモリが私の乗った筏にやってきたことがある。そのコウモリは、私の足のあたりにとまり、まず私がおとなしい動物かどうかを見定めるように慎重にのぞきこんだ。そして私が十分に無力であることを見抜くと、長い翼を頭の上で交差させて箱のように四角い姿になり、頭を中心にくるりと横に回転してから、意地の悪そうな顔つきで私を見た。
 これをあげる、と心のなかで呼びかけながら、手に持っていた菓子をさしだすと、コウモリはヘビのように長い首をすばやく伸ばし、くちばしで私の手をつついた。見上げると、頭上には2、30匹のハココウモリが群れをなして飛んでいる。どうやらコウモリたちは、菓子よりも、私の温かい血が目当てのようだった。
 そのとき、筏の下で、何かが動く気配がした。強い力で水中に引き込まれるように筏が傾ぎ、続いて急速に一回転した。そして、異常に気付いたコウモリがあわてて飛び立つのと同時に、筏を跳ね上げるような勢いで、大きなものが水中から空へ跳びあがった。
 月の光の中におどりあがったそのものは、家の裏にヤシの実を盗みに来るサルほどの大きさで、さびた銅のような緑青色の鱗をギラギラときらめかせていた。一瞬、空中で赤く濡れた目が光り、小さなものを見下すように私を見た気がした。そのものは、月に届くのではないかと思うくらい高い天空でコウモリの一匹を口にくわえ、激しい水しぶきを私に浴びせながら着水した。そして、赤銅色の背びれをくねらせながら、悠然と中ノ島の方向へ泳ぎ去っていった。
 そのときが、私がはじめてリュウノウオを見た日となった。
 湖の上を漂い、いろいろなものを見たり聞いたりしているうちに、私はやがて眠気をもよおし、月の光に優しく揺すられながら眠りに落ちていく。
 やがて月の光が薄らいで日が昇るころ、筏は舫い綱で静かに岸にたぐり寄せられた。そして私は、朝の光のなかで温かい母の胸に抱かれて目を覚ますのだった。
 ある日、母は朝から空模様を気にして落ち着かないようすだった。その日は満月の日だったが、めったにないことに空には曇が流れ、大気は湿り気を帯びていた。スコールが降る前兆だった。
 スコールが来るなら、夜、筏を出すことはできない。しかし、夕方になっても天気ははっきりしないままだった。日が沈みかけてようやく意を決した母は、少し泣きべそをかきながら私を寝床から抱き上げ、頬に唇を押し当てた。母が裏の桟橋から私の筏を送り出したのとほとんど同時に、夜の客が扉をノックする音が聞こえた。髪の乱れを直しながらあわてて戸口に駆け戻った母は、前かけについたバターのかけらが舫い綱の上に落ちたことに気がつかなかった。
 しばらくして、夕闇に包まれた桟橋に2匹のホタルネズミが駆け寄ってきて、バターのしみこんだ綱をかじりはじめた。やがて、脂肪分をとって元気になったホタルネズミは、半透明の尻を提灯のように光らせながら夜の草むらに消え、あとには、噛み切られた綱の片端が残された。
 綱を失った筏は、少し強い風にあおられて、滑るように湖面を進んでいった。いつもなら綱の長さいっぱいで止まる筏が、その日はどこまでも止まる気配を見せなかった。はじめのうち、私は上機嫌で、いつもとは違う湖の風景を楽しんだ。
 湖の一角に浅瀬があり、タコの足のように絡まりあったハスの根のまわりに温かい水がよどんで、霧のような湯気を立ち上らせていた。そのあたりにさしかかると、サッカーボールぐらいの大きさに絡まりあったヒルの固まりが、筏の近くまで流れてきた。恐くないよ、と私が心のなかでつぶやくと、ヒルたちはにやにや笑いながらそばを離れていった。
 岸辺の木々のへりを、数十頭の白い蝶が、私の手のひらよりも大きな羽を月光にきらめかせながら飛んでいくのが見えた。そのあとを追って、足のあいだに大きな皮膜を広げたトビモグラたちが、ブーンというコマを回すような音を立てて飛び去っていった。
 しかし、動くものが見えたのはそこまでだった。まるでトビモグラが幕を引いていったように、黒い雲が月を隠し、湖は闇に閉ざされた。生き物の気配がいっせいに静まり、風がやんだ。一瞬の静けさのあと、闇の一部が大きく裂けたように大気が揺らぎ、スコールがやってきた。
 空の水槽の底が抜けたような大雨だった。水面は激しく波立ち、筏はもみくちゃにされた。容赦なく降り注ぐ雨粒は、ひとつひとつが拳のように大きく、一粒に打たれるごとに私は息が止まりそうになった。あたりは本当の闇に包まれ、泣いても叫んでも雨粒をよけることはできなかった。手にもっていた焼き菓子はわずかの間に雨に打たれて崩れ、とけて流されてしまった。布団も服もすっかり水浸しになり、身体の芯まで寒さがしみとおった。
 闇の中で震えながら、私は一瞬、家にいる母の姿を思い浮かべた。台所でニワトリを追いまわしている母。そのニワトリは、いったん首をひねって殺したはずなのに、折れた首をブラブラさせて台所を平気でかけまわっている。それを追う母の顔は涙だらけで、手は血にまみれていた。
 そんな幻を描きながら、私はいつか気を失っていた。
 気がつくと、私の筏は飛ぶような速さで闇の中を走っていた。雨は弱まっていた。しかし、私の頭は熱っぽく、意識が自分のいる位置から少しズレたところに漂っているような気分だった。自分の身体が自分のものでないように思えた。何ものかが私の筏を後ろから押している。何かは分からない。しかし、強引に筏を前に押し進めるその力強さに、思い当たるものがあった。
 やがて雲が切れ、月が姿をあらわした。筏のうしろの波間に見え隠れする赤銅色の背ビレから、筏を押しているのがリュウノウオであることがすぐ知れた。リュウノウオは、私の筏を湖の中心に向けて全速力で走らせていた。すぐに、トカゲ島と呼ばれている中ノ島の姿が、目の前に黒々と近づいてきた。
 けわしく切りたった島の岸壁の一角に、薄明るく光る何かが見えた。洞窟の入り口だった。その明るみに向けて、筏は浅瀬に生い茂るアシの茎やハスの葉を押し分けて進んでいった。
 その男は耳当てのついた帽子をかぶり、絵本で見た中国人の苦力のようにダブダブのシャツを着ていた。男はハスの葉の上であぐらをかき、さびついたハサミで足の爪を切っている最中だった。リュウノウオに押された私の筏が、ざわざわとあたりのハスの葉を押し分けて洞窟に入ってくると、男は驚いて爪を切りすぎてしまい、痛さに悲鳴をあげた。
 洞窟の壁には、虹色の肌を光らせたトカゲがびっしりはりついていた。よく見ると、そのトカゲたちは自分で発光しており、その光が洞窟のなかをぼんやりと照らしているのだった。そのトカゲと変わらないぐらいの身長のその男からみると、筏に乗った私はちょっとした大きさの白い軍艦のように見えただろう。
「えらくでかいもんを連れてきてくれたな、おまえは」と男は、ハスの葉の上にあごを乗せて一息入れているリュウノウオに向かっていった。「人間の子供じゃないか、こいつは。」
 そのとき、私はリュウノウオの顔を始めてまともに見た。リュウノウオは人間より長く生きる。その魚はかなりの年寄りらしく、目の下がたるみ、ブヨブヨになったしわの中に顔の造作が埋もれそうになっているようすは、村の広場でいつも藤の椅子に座って女たちを眺めている長老にそっくりだった。
 リュウノウオは、私には関心がないかのように口からピュッと水を吐いて、洞窟の壁を這っているトカゲを水に落し、それを器用に捕まえて食べた。
「人間は嫌いさ、馬鹿だからな。」そういいかけて、男は私の顔が熱で真っ赤になっていることに気づいた。私の息は火のように熱かったが、逆に心臓の鼓動はしだいに弱まっていた。そして、身体は小刻みに震えていた。おそらくそのとき、私は死にかけていたのだと思う。
「いやだね、こんなでかいやつにここで死なれたら、水が腐ってきちまうよ。」そういって、男は私の頭の上に張り出した大きなハスの茎を傾け、葉の上に溜まった水を額にかけてくれた。焼けた鉄板のように熱くなった私の肌に触れて水はたちまち蒸発し、金色の水滴をあたりに飛び散らせた。
 洞窟の壁が、火をたいたように明るくなった。気がつくと、男が私の頬に小さな手を当て、目を閉じて私の身体に力を送り込んでいた。男の手が触れているあたりから、強い光がさしていた。光とともに、私のなかに温かい力が流れ込み、止まっていた血が通いはじめ、氷がとけるようにこわばった身体が楽になっていくのがわかった。どこからか、心地よい音楽が聞こえてきた。しかし、それは私の身体のなかから聞こえてくるのだった。
「かわいそうなやつだな、おまえ。」男は、すっかり元気をとりもどして自分の指を吸い始めた私を見ながらそういった。最初のうち老人のように見えた男だったが、改めて見ると、あんがい若い男だったことに気づいた。
 男は、目をとじてもういちど私の頬に手をあて、「ずいぶんいろんなものを見てきたんだな」といった。
「人間は馬鹿だ。自分がせっかく見たり聞いたりしたことをすぐに忘れてしまう。いや、もしかしたら、最初から見たり聞いたりすることができないのか、あるいは嫌いだからそれをしないのか。」男はひとりごとのようにつぶやき、深爪をした足の指に手をふれた。深爪はいつのまにか直っていた。
「そうだ、おまえにはいいことを教えてやろう。」そういって、男は私の目の前で小さな指を一本立てた。「いいかい? 人は新しい何かを覚えると…。」
 朝がやってきた。
 気がつくと、私の筏は朝風に吹き寄せられて、ゆらゆらと岸の方に近づいていた。私の住むこの地方では、日が昇るのが早く、朝はあっというまに訪れる。日の光があたりにあふれると、温度がみるみるうちに上昇し、鳥たちは元気に鳴き交わし、ハスの花が咲きだすはじけるような音が湖面に響いた。
 やがて、懐かしい家の桟橋が見え、その上で放心状態でひざまづいている母の姿が目に入った。雨のなかで流された私の筏を夜のあいだ半狂乱になって探し回ったらしく、髪は乱れ、着衣はぼろぼろで、ほとんど裸の状態だった。
 沖の方から近づいてくる筏を見つけると、母は泣き叫びながら湖に飛びこみ、胸まで水に浸かりながら筏の上の私を抱き上げた。
 ごめん、ごめんね、と母は何度もあやまりながら私を抱きしめ、それから西の空の方を振り向いて、沈みかけている満月に深々と頭を下げた。この子を守ってくださって、ありがとうございます。
 その日から、母は満月の夜に客を迎えることをしなくなった。私を筏で流すこともなくなった。そして、あのころの母と同じぐらいの少女になった今日まで、私は母の手ひとつで育てられてきた。
 そのあいだには、私のもとにも、子供に人間の言葉を与えるあのカゲロウの訪れがあった。私は黙ってカゲロウを飲みこみ、そしてあの日ハスの葉の上に座った人に教わったあるふるまいをした。
 そのおかげで、私は大切なこと、人生のいちばんはじめの日々に起こったことを忘れないですんだ。
 私は、普通の子供たちと同じように言葉を覚え、そして同時に赤ん坊の記憶を保ちつづけた。その代わり、失ったものがある。少し大きくなると、私は自分の足で立ち、歩くことのできない身体であることがわかった。そんな私を、母は車椅子に乗せて育てた。母はそれを、幼い私を何度も湖に流した報いだと考えていた。
 夕暮れになると、私は湖に面した家の裏窓を開け、二度とその上を漂うことがない湖の水面を見つめる。風が吹き、湖水の表面に細かいさざ波が立つ。その波をじっと見詰めて、心をうつろにすると、不意に波とは反対の方向に自分の足元が滑りだすのがわかる。私は歓声をあげる。そんなとき、私は船の上にいるのだ。

(北垣憲仁さんに、感謝をこめて。)