タカシが居なくなってから、今年でもう五年になる。私はタカシと暮らしていた部屋に、五年ぶりにまた越してきた。私にはもう新しい彼氏がいて、仕事があって、あの頃のように自由ではなくなっている。タカシといた頃の私は、もっと刹那的で、暴力的で、今よりももっと必死だった。突き刺さるような時間の流れをこなす事に精一杯で、他のことは何一つ知らなかった。私はタカシとあの日一緒に死ぬべきだったのだろうか。最近、そのことばかり考えている。

 タカシは私の小学校の頃の同級生だった。その頃から私たちはいつも二人で、それ以外のことは何も知らなかった。私たちはいつも、何をしているときも一緒だった。二人でいて楽しいとか、一緒に居たいと思ったことは一度も無かった。それ以外に選択肢が無かった、というだけの事なのかもしれない。

 五年前、タカシは車ごとガードレールに突っ込んで海に落ちて死んだ。今でも、タカシは深い海の底から私を求めている。私は、あの日、タカシの居ない人生というものを求めた。タカシが持っていた深い沼は、今も私の生活のあらゆる部分に組み込まれている。

 引越し業者の人たちがこの部屋から去り、私はタカシの部屋でダンボールの中に取り残された。柱や壁に、五年前には無かった傷や、染みが新しくついている。私たちが住んでいないこの部屋で、知らない誰かが五年間暮らしていたのだ。それは私を安堵させ、同時に深く傷つけた。私たちの世界、私たちの部屋、私たちの全ては、誰か知らない他人の、私たちのそれとは全く違うものにもなりうるのだ。私はダンボールを開け、その中身を全て部屋の中心にぶちまけた。そして、また新しいダンボールを開けて、中身をその上にがらがらと落とす。それを何度も繰り返し、私の持ってきたダンボールは全て空になった。私はそのダンボールを全てたたんで紐で縛り、玄関のドアの外の廊下に出した。部屋の中心に、私の持ち物がうず高く積まれている。化粧品も、掃除用具も灰皿もオルゴールも、全てタカシのいない五年間で私が買ったものだ。私はそれ以外何もない私たちの部屋に座って、その塔を見ながらマルボロのメンソールに火をつけた。タバコの煙が、まっすぐに立ち昇り、部屋の中に充満していく。そして、私はタカシが私を呼びに来るのを待った。タカシが吸っていたたばこを吸いながら、あるはずの無い私の持ち物を積み上げて、それをタカシが否定してくれるのを待っている。

 突然、ガタン、と隣の部屋のクローゼットが音を立てた。タカシは、何か気に入らないことがあったときに、いつもクローゼットの扉を勢いよく閉めていた。私は懐かしさで息が苦しくなった。ねえ、つれて行ってよ、迎えにきてよ。私は目を見開いて、クローゼットのある部屋のドアをじっと眺めた。でも、クローゼットはそれきり何も言わなかった。私は、マルボロを一口吸って、白い煙をふう、と吐いた。

 夕方になって、新しい私の彼氏が引越しを手伝いに来た。私と新しい彼氏は、新しい生活の準備をした。楽しく笑ったりいちゃついたり、掃除機をかけたりした。食器棚やテーブルや、DVDを整理した。整頓が落ち着くと、私と新しい彼氏は蕎麦を茹でて食べた。ビールをグラスに注いで、お疲れさま、と乾杯した。職場のこと、新しい駅のこと、この前に二人で見た映画のこと。私と新しい彼氏はとても楽しく、引っ越しを祝った。新しい彼氏はラッキーストライクに火をつけて、私の新しい灰皿に灰を落とした。私たちの部屋の中に、ラッキーストライクの煙が広がる。私はリビングの窓を開け、夜の空気を部屋に入れた。

 私はシャワーを浴びて、新しい部屋着に着替えた。新しい彼氏は、少し酔っていて、今日はこの部屋に泊まろうかなと言った。私は笑顔でそれを受け入れ、新しい彼氏のために大きめのバスタオルを用意した。私は待っていた。息を殺して、じっと待っていた。

 私と新しい彼氏は、月明かりを浴びながらセックスを始めた。視線を感じる。すぐ横でタカシが私を眺めている。新しい彼氏は私をじっと見つめ、好きだとか、愛しているだとか、とてもいいとか、そんなことを言った。私は、性器の中のペニスの動きを頭の中で再現しながら、新しい彼氏の口の動きを薄目を開けて眺めていた。

  もう、呼ぶな

 私は驚いて飛び起きた。何?今、何て言ったの?

  もう、呼ぶな

 タカシは私の中に入ったまま、声を出してもう一度言った。タカシは私の両手を押さえつけて、腰を一段と激しく振った。私は身体をよじらせて、声を漏らしながら泣いた。

  いかないで、おねがい、いかないで

 タカシは昔と変わらない方法で腰をひねらせ、私の両手を強く握り締めた。ああ、いってしまう。終わってしまう。タカシが私の中に射精して、私に覆いかぶさった。私は泣きながら、性器からどろどろ流れ出る精液をなまぬるく感じた。ふ、と腐った泥のような匂いが、私の鼻を刺した。反射的に目を開けると、私の上にぱんぱんに膨れ上がった、新しい彼氏の死体が乗っていた。私は驚いて、その死体を突き放した。死体の足元で、黒い影が私を見据えている。

  うらぎ りもの うら ぎ りもの う らぎりも の うらぎりもの

 黒い影は低く低く繰り返し呟いた。私は、窓を開けて、ゆっくりと足をかけた。車が、赤く光りながら、下の道路を走っている。後で、携帯が青く光って、新しい彼氏からの、着信音を、鳴らした。
 
 
  う らぎ りもの うらぎ り もの うら ぎり も
 
          の

2006年10月2日号掲載
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