彼と会ったのはちょうどわたしが地下倉を改造したバーを開いてから一年がすぎたころのある夏の雨の夜でした。わたしは叔母が五年前に他界しましたときに彼女がひとりで暮らしていた古い屋敷を譲り受けたのですが、その登記簿を見てはじめて、母屋から二軒他人の家を隔てて小さな蔵があることを知りました。おそらく、遠戚かなにか、あるいは店子かなにかとの複雑な関係があって母屋と蔵の間の不定形な形の土地を他人にゆずったのであろうと思われます。母にそれとなく聞いてみましたが、母も知らないことでした。その家は祖父ではなく大叔父が叔母のために残したものだったので、母がそのことを知らなくてもなんら不思議はありませんでしたが。
蔵を開けてみると、なかはがらんどうで15畳ほどの板間になっていました。なかに入ると古い建物特有のほこりとカビの入り交じったにおいが鼻の奥をつんと刺激しましたがそれは懐かしいようなあたたかみのあるにおいで、蔵の梁や土壁なども手入れの行き届いた清潔さがあり、叔母がなんらかの理由でここをとても大切な空間としていたことが感じられ、どんな形見にふれたときよりも叔母の生きていた証がわたしのなかになだれ込んでくるようで、胸をつまらせその場でしばし涙ぐんでしまいました。部屋のすみには小さな水場があり、蛇口はずいぶんと古く黒く変色してはいるもののきゅるきゅると音をたてながらも容易に開き冷たい水もすぐにでましたし、唯一のあかり取りとなっているはめ殺しの丸い天窓からは南東からよく陽が入るようになっていて、部屋の中空にはひとすじの光の帯がはっきりと現れ、晴れた冬の日など蔵の中の空気はまるでフェルメールの絵画のような輝きを携えるのでした。
なにより不思議に思えましたのは、古い細工のほどこされた真鍮製のベッドが部屋の真ん中にぽんと置いてあり、よくのりのきいた白いシーツが敷かれていたことでした。叔母がここで寝起きをしていたとは考えられませんので、なんのためにベッドが整えられていたのかはわかりませんでしたが、わたしはそのうえに腰掛けることすらしないにもかかわらず、まるでベッドそのものが生きていて自らにその世話を申し付けられたかのような律儀さで、週に一度は寝具を洗濯してアイロンをかけきちんとメーキングをほどこしていました。光の帯の中で陰影をかたちづくりながら横たわる無用のベッドは、どこかの前衛芸術家が、やがて朽ち果てるのだという事を予想すらしない無邪気さをもって、幻の未来へと置き忘れた白いオブジェのようでもありました。