その夜、ふと気がつくともう何時間も、川のことばかり男に話し続けているのだった。流れが横たわる景色やゆたかな水の気配、川をまたぐ橋の目をみはるフォルム、破線のようにとぎれとぎれに地図に現出する暗渠。そこまで川にこだわっていた自分に驚いた。意識したことなかったから。そうか。自分が好きなのは、川なのか。
川といっても、とりわけ人工の水流。といえばやはり運河。小樽に神戸、ミナトヨコハマ。ロマンチックな運河に惹かれるなんていい歳して告白するのは正直照れる。実際は街並というより運河そのものが好きなだけで、少し殺風景な金沢八景ぐらいがちょうどいいんじゃないか。佐原みたいな場所も好きだけれど、古い家や店のこじんまりしたつらなりに特別そそられるわけではない。あの街では、静かな水の存在感、玩具のような船着場で七、八段ばかりの階段を降りてかがむと指先に触れる水の近さが、ひたすら好ましかった。記憶にある流れは、聞こえるか聞こえないかぐらいのかすかな音しかたてていない。
まだ二十代だった炎天の夏、男と九州の柳川を訪れた。地面に黒ぐろと横たわった自分の影の中に、汗がぽたぽた零れた。歩いたほうが早いような船頭つきの舟の底に男と並んでうずくまった。まっすぐに伸びる水路を経めぐりながら眺めた、陽炎のゆれる景色にも、水音は響いていない。月がのぼればきっと聞こえたのかもしれない、移動する水のたてるたしかな音。
「水郷地帯なんかどーよ、茨城や千葉にあるじゃん。」
「あ。潮来のあやめ祭り。見に行ったことある。」
見渡すかぎりに群生するあやめ。一本いっぽん、かたちがちがう。水面が視線の高さに近いだけで胸が高鳴るのはどういうわけなのか。あそこでも舟に乗ったんだなあ。舟から降りた足のうらは、やはり意外なほど地面に近くて。大量の水をたたえた空気に圧倒される。海とも、湖とも、異なる静けさ。
川の記憶は、ふだんはにごった意識の澱に沈んでいるようなのだ。川底の泥に隠れるタニシみたい。途切れないようたぐりよせると、ずるずる果てしなく引きずり出されてくる。思いもよらないものまで出てくるので、ちょっとこわい。
「それ自体、川みたいだよね、東京の川。一本の川なのに、あちこち暗渠になってて、意外なところにまた現れる。」
「神田川とか、石神井川とか、違う街で出会うと、同じ川とは思えなかったりするね。」
「ぜんぜんちがうけど、琵琶湖疎水ってあるじゃない? 思いがけなく水がつながってるのって、なんか不思議だなあ。なんていえばいいんだろう。」
流れをまたいでぽっかりと空いた橋のうえの空間は、そこを横切る鳥や虫にだけ許された不可侵の場所。今にしてみると、そんな場所での逢瀬なんて、ありとあらゆる隠喩に満ちていすぎて、とても実際にあったこととは思えない。それもまた抑圧なのか。たしかに手に感じたはずの背中のかたさなどを甦らせようとするのだが、うまくゆかない。グレースケールの静止画のような記憶、発音できても意味がわからない文字のようなものだ。
そうだ、橋の上下で視線をかわしたこともあった、どこだっけ、木場? ひと目を避ける(破線のような)ありきたりな関係、手の届かないことすべてこれメタファと思い込んだ。手を変え品を変え現れる啓示に怯えて薄明を迎えたり。欄干にもたれて川面を見つめたりとか。あれっ、何を見降ろしていたんだっけ、私?
「なんのへんてつもない川も、好きなんだけどね。」
橋の半ばで、足を止めては、いけないのではないか。
見なくてもいいものを見てしまうから。見てもどうせ忘れてしまうのだから。
「朝、東海道線に乗っていると、大船のあたりから川が並行してるよね。」
「あれは柏尾川とかいうのかな。戸塚まで続いてるね。」
線路と川にはさまれた細長い土地が延々続いている。面白い。橋と橋が近いところもあれば、なかなか渡れない不便そうな区間もある。あそこに住んでいる人は、郵便局に行くときは東寄りの橋を、病院なら西寄りの橋を使うのかな、なんて想像して退屈をまぎらす。ただし川べりは頑丈な白い堤防でかためられていて水面は見えない。たぶん台風のとき以外、水量は少ないのだろう。
「小学校のときね、西部池袋線の中村橋ってとこにいた。駅の向こうに千川っていう石神井川の支流があったの、おぼえてる。」
「ああ。千川通り。」
見降ろす先には、あのひとのからだがたゆたっていたのではなかったか、なあ。
「そうそ、それ。3年生で駅の反対側に転校したら、川はとうになくなっていて、いつのまにか大通りになってた。千川通り。なんで道路にしちゃったのかなあ。」
「そゆの、あちこちにあるね。知らない人は、むかし川があったなんて夢にも思わない。」
そこでオーダーストップとなり、蝶ネクタイの女の子が先に勘定をしてくれと伝票を持ってきた。思わず窓の外に目をやると、建物に遮られて見えないはずなのに、そっと運河の気配がしのびよる。
「これ、川の話じゃないんだけどね。小学校入ったころ、父親が自動車免許とったの。」
「ほう。」
「はじめてのマイカーが届いて、親子三人、近隣をドライブしてみた。そしたら環七を野方陸橋のあたりにさしかかったあたりで、親が、うわあって驚くのよ。」
「へえ。なんで?」
「私が生まれたころ、野方の駅近くにアパートを借りてたんだって。そのころは線路との交差は踏切だったのね。その後すぐに巨大なガードが線路の下に刳りぬかれて、アパートがあった辺り一帯、まるごとなくなっちゃったのね。それで、ガード下の底を走り抜けたとき、父親が『おまえはここでうまれたんだよ』と言ったのよ。」
「ガード下で?」
「そう、環七の煤けた陸橋下の暗がり。自分は文字通りそこで生まれたんだと、私、思った。相当きょうれつに、そう思ったよ。」
ドアを押して、ひとけのすくない街に押し出されると、思いがけなく大粒の雨が降りはじめたところだった。銀色に光る細線にからだを貫かれ、私はあわてて折畳傘を出したが、男は構わず、けばだつアスファルトのうえをゆっくり歩いていく。みるみる濡れてシャツのはりつく背中を見つめ、ざわざわと予感に犯されながら、私もまた歩き、頭の中ではまだ、破線をつなぐ、自分で書いたきれぎれの読めない文字のうえを、何度も繰り返してなぞりつづけていた。
2005年2月28日号掲載