「顔面パンチ事件」の次の日は、ほんとうなら5時間目まである曜日だったけど、先生たちは湯河原で研究発表大会とかいって、ほとんどいないので、朝か らずっと自習続き、ということになった。

 ぼくがそのことを話すと、パパは「ハハ、それはきっと先生たちの宴会だよ」といった。「本当? だって、小山先生はお酒が飲めないんだよ」とママに訊くと、ママは急に怖い顔になってパパに向き直り、「いい加減にしてちょうだい、何が引き金で学級崩壊になるかわからないんだから」と言った。

 何がどうなったときにそれを学級崩壊と呼ぶのかはわからないけれど、先生が授業を続けられないほど教室が騒がしくることは、じつは、そんなに珍しいことでもない。たいていは、先生(みんなの嫌いなニノミヤ)がつまらない冗談をいったときで、ニノミヤを天敵としている近藤ゆかりが「先生、つまんないと思います」と宣言し、みんな、それ以上ニノミヤの話を聞く気がしなくなって、ソワソワと落書きを始めたり、隣の人と話を始めたりする。みんながいっせいにそんなふうになるので――ひそひそ話というレベルではなくて、もはや、ふつうの話し声で、休み時間になったかのように話している――ニノミヤも、誰を注意したらいいかわからなくなる。近藤ゆかりもぼくたちも、内心いい気味だと思いながら、ますますエスカレートするというわけだ。

 ……そんなわけで、その日のサッカーの練習はめちゃくちゃダレていて、パス練習の後で、コーチが話し始めたとき、「また“セッキョー1時間”だ」とばかりにみんなうつむいて、足もとの土をつま先でほじくりはじめた。

 うちのサッカー少年団チームは、パパに言わせれば「てんで気合いが入っていなく」て、理事のお母さんたちは、「子供たちの心の健康」が損なわれているサッコンの社会的状況なのだから、練習や試合より、旅行や遊園地に行ったりする「家族のふれあい」のほうを優先すべきだなんて主張して、それでなくとも塾やピアノだってあるのだから、少年団がいちばん優先度が低いということを思い知らされて、監督やコーチは苦い顔になる。朝練なんかもトンデモナイないので、けっきょく練習不足で、よその学校と試合をやってもほとんど勝ったためしなんかない。

 でも、ぼくや安田は、ちっとも上達しないし、ぼくらにとっては貴重な休日である日曜日をしばしば犠牲にしなければならなかったけれど、けっこうサッカーの練習に行くことは気に入っていた。

 それで、その日は安田がいつまでも2年生とふざけてばかりいるので、コーチがキレて、「お前らもう帰れ」といい、といっても、いつも終わる時間の15分前だったんだけどね。それでもコーチはコーチらしさを保てたし、ぼくたちも、しょっとシュンとした気分になった、というのはウソだけど、昼間の自習時間から始まった興奮がようやくおさまって、なんとなくホッとして帰る気になった。クラスで唯一冷静な山岸蝶(やたらハデな名前だけど、ふだんはすごくめだたなくて、そのくせキツイひとりごとををいう、ぼくの隣りの席の女子)にいわせれば、「ハッとわれにかえった」って感じかな。

 彼女によれば、ぼくたちは、やたらと興奮したかと思うと、次の瞬間にはもうキョーミない、という感じで、そのようすはまるでちっちゃい子供みたいにみえる、という。うちの南は、幼稚園児で、「ちっちゃい」のだが、たしかにそんな感じで、あれは「目移りしてる」ってことなんじゃないかな?と言うと、山岸蝶は、「あんたたちのは、目移りするための次の何かを探してるように見える」というのだった。

 騒ぎの張本人である安田は、むっつり黙って、同じマンション仲間と離れて、前のほうを歩いていた。黒い道路はまっすぐで、白いセンターラインがずっと向こうでゆらゆらしている。その先にぼくたちのマンションが要塞みたいにそびえているのが見えた。

 ぼくは、土谷と、ホームレス事件のことを話しながら歩いていた。

 それは前々週の日曜にあった試合の帰りのできごとで、ぼくはあとで(なぜか少年団とぜんぜん関係ないはずの山岸蝶から)聞いたのだが、市の運動場からの帰り、中学生のOBたちが合流してきて、隣りにある公園で、そこにゴロゴロしているホームレスたちに石を投げたっていう話だ。