日本映画界屈指の名優・三國連太郎インタビュー
明けましておめでとうございます。2006年4月に始まった『銀ナビ』連載は、今年で丸2年を迎えることとなります。昨年は映画上映会企画(ドキュメンタリー映画『日本心中 9.11−8.15』関西初上映)・劇場公開映画広報(劇映画『朱霊たち』)を経験させて頂き、当コラムでは、夏の戦争ドキュメンタリー映画特集や、『グラインドハウス』特集といった連続企画を試みるなどした他、映画ライターデビューを果たすという、目まぐるしくも充実した一年でありました。唯一残念だったのは、映画の鑑賞本数が激減してしまったということ。今年は、従来のペースで映画を鑑賞しつつ、その中から、皆さんに心からおすすめできる作品をご紹介していきたいと思っています。本年も何卒よろしくお願い致します。
さて、今回はお正月らしく、皆さんにお年玉企画を御用意しました。
日本映画界屈指の名優である三國連太郎さんが、最新主演作『北辰斜(ほくしんななめ)にさすところ』PRのために来阪され、合同記者会見を開かれるということで、私も取材させて頂いたのです。今回は、その模様をお伝えしましょう。
雑誌などのインタビュー記事というのは、大抵、その紙数に限りがあるため、往々にしてバッサリ刈り込まれるものですが、そこはこの『銀ナビ』ならではの <自由さ> をもって、当日の模様を、出来る限り詳しくお伝えすることにしますね。当コラム以上に詳細なインタビュー採録は二つとないことでしょう。日本映画界においてトップクラスの名優が紡いだ言葉の数々。日本映画ファンならば気になりますよね。じっくりとお楽しみ下さい。
さて、その前に、『北辰斜にさすところ』がどういった作品であるのかをご紹介しておかねばなりません。
太平洋戦争後、GHQの学制改革によって、日本から消滅した教育機関があるそうです。<旧制高等学校>。それは、現在の大学に相当するもので、明治新政府が社会のリーダーを養成するために立ち上げた学校制度であったとのこと。旧制高等学校卒業後は帝国大学へ進学できることになっていたため、入学できるのは、同世代青少年男子の僅か1%にも満たなかったといいますから、狭き門ですね。旧制高等学校は日本全国に38校あり、それぞれに各校の校風を示す <寮歌> が存在しました。本作のタイトルは、舞台となる鹿児島の七高造士館の寮歌である『北辰斜に』に由来しているそうです。
【大正15年7月12日。鹿児島の第七高等学校造士館(今の鹿児島大学)と、熊本の第五高等学校による対抗野球戦は3万人もの観客を集め、3対2の接戦の末、七高が勝利した。
5年連続となる勝利に酔いしれつつ、七高寮歌である『北辰斜に』が大合唱され、その中心には <ミスター七高生こと草野正吾がいた――。時は流れ、平成13年、夏。七高同窓生のメンバーらは
<七高野球部創部百周年記念試合> 実現のため奔走し、七高と五高の対抗戦を実施することになるのだが、かつて五高を3年連続で完封した伝説のエースである上田兄弟の兄・勝弥だけが、頑なに参加を拒んでいるのだ。勝弥の心に重苦しい陰として存在している
<戦争> は、5歳年下の弟・勝雄の命を特攻で散らせた他、多くの学友の命まで奪った忌まわしき存在だったのだ。勝弥は、鹿児島大学入学を決めた孫・勝男と海辺で語らう中、こう呟く。「南方の島々にも、こん先の海の中にも、帰ってこれん者がいっぱいおるとよ……」 ほどなく、七高と五高による伝統の試合が始まる……】
というストーリー。
原作は、室積光の小説『記念試合』。この原作を、映画化しようと思い立ったのは、大阪に事務所を構える廣田稔という弁護士です。映画に関しては全くの素人と言って良いでしょう。しかし、「伝えたい志がある。残したい想いがある」という自らの固い決意や、多くの支援者・寄付金に支えられ、約5年の月日を費やして完成を見たと言います。
監督は『ハチ公物語』や『遠き落日』などといった大ヒット作の監督として知られる一方、近年は『郡上一揆』『草の乱』などといった草魂逞しい <志の映画> を撮り続けている神山征二郎が担当しています。
出演は、平成パートの勝弥に三國連太郎、ミスター七高こと草野大吾に緒形直人が扮している他、林隆三、佐々木愛、和田光司、林征生、清水美那、神山繁、北村和夫、織本順吉、佐々木すみ江、鈴木瑞穂、犬塚弘、滝田裕介、土屋嘉男、金山一彦、絵沢萠子、高橋長英、斉藤とも子、河原崎建三、坂上二郎、永島敏行ら、若手から大ベテランまでが大挙して出演しています。惜しくも、名バイプレイヤーとして知られた北村和夫は本作が遺作となりました。
さて、作品の説明・ご紹介はここまで。ここからは冒頭で示したように、三國連太郎さんによる合同記者会見の模様をお伝えしますね。(もちろん、私、作品は鑑賞済でした)
© 2007映画『北辰斜にさすところ』製作委員会 |
司会者:三國連太郎さんは84歳になられました。『これまでに200本以上の作品に出演されていますね』とお話しましたら、『いや、あと18本で200本です』と仰いました。『釣りバカ日誌』はシリーズだから、シリーズで1本とカウントされておられるそうです。それにしても、きっちり覚えておられるのですね。それでは三國連太郎さん、どうぞ。
背筋のシャキッとした三國さんは、気品や威厳が漂う老紳士といった印象。合同記者会見は、三國さんの一言で幕を開けました。
三國:初めに、この作品の発起人であります廣田稔さんという方について一言申し上げたいと思います。彼は弁護士ですから映画に関しては門外漢ということになります。しかし、正攻法な映画を撮る方があまりいない中で、こういう人が出て来ることは素晴らしいことだと思いますね。
ここから質問形式の記者会見が開始。
Q:まず、この作品に出演された動機についてお聞かせ下さい。
三國:あの…… 実は、作品として、何故、今この作品を作るのか良くわからないんです。ただ、その上で何故出演したのかというと、先ほども申しましたようにね、廣田弁護士への期待というのがあります。この方は私たちの仕事にとって太陽となって下さる方ではないかと思ったんですね。あと、戦争体験者として、今の日本人に対してメッセージを届けることができるのではないか、という思いもありました。
Q:劇中にある『天才的なバカになれ。バカの天才になれ』というセリフに関する思いをお聞かせ下さい。
三國:私も好きな言葉でしてね。あの……作品の中で、郵便ポストを七高生が倒して壊すシーンがあるでしょう。今の映画の多くはそこで終わってしまうんですね。者をぶち壊すところで終わることが多い。しかし、この作品は壊した後で、ちゃんと直すところまで描いています。それが日本人にとって大事なことではないかと私は思うんです。それが <偉大なるバカ、天才的なバカ> なのではないかと。
Q:本作に出演を決めるまでのお気持ちをお聞かせ下さい。
三國:正直に申しますと、脚本の第一稿は精神的な土壌に欠け、あまり良いものではなかったですね。
三國連太郎という俳優は、シナリオに納得しなければ絶対に出演をしないと聞いたことがあります。三國さんと神山監督はこれまでに3作品でタッグを組んでいますが、それでもそのポリシーは貫かれているのですね。決して馴れ合いの関係には陥らないというプロ根性でしょう。三國さんが本作への出演を了承したのは、神山監督が三國さんに最終稿(3稿目)を送り、「もう待てない。三國さんが出演して下さらないなら映画作りそのものを諦めるしかない」と頭を抱えていた時だそうです。
三國さんのお応えは続きます。
三國:そして、経済界においてはですね、映画などというものに投資する ということは嫌悪感に近い感情があると私は思います。私なら絶対に映画には投資しませんよ(笑)。そういう意味では廣田さんはバカなプロデューサーです。しかし、その彼の姿にこそ、今の日本人が良くなる要素があると思います。それは <本当の番カラ> です。<番カラ> というのは、本来は非常に人間性に富んだものなのに、今は形だけになってしまっているんですね。しかし、現代人がそれを取り戻すことは不可能ではないと思います。本当の番カラになればいいのですよ。
Q:作品と三國さん御自身の戦争体験が重なるところはどこでしょうか?
三國:我々、戦争体験者は、戦時中は混乱期でしたから、『自分』というものをじっくり考えることができなかったんです。そして、その中で失ったものは大きかった……その失ったものを自覚する運動を個人レベルで展開していくことが大変重要です。例えばですね、主演役者が『この映画の主役は自分である』と思う。それは大きな錯覚なんですよ。『他の人が主役だ』と思わなくてはいけない。そうすることで様々な対話が生まれるわけです。これが今の日本映画の現場に欠けているのではないかなと……。
Q:共演者の方々についてお聞きします。緒形直人さんの印象をお聞かせ下さい。彼のお父さんである緒形拳さんとも共演経験がおありの三國さんだからこそお聞きしたいところです。
三國:いやあ、こういうことを言うと怒られるかも知れないですが、直人さんの方が本物ではないかという気がしますね(笑)。あのですね、彼のような人は別として、近頃の俳優は自分のことしか考えない人が多いです。誰かは言いませんけれどもね。『調和』であるとか『人間を表現する』ということ、これが遅れているんですよ。これは、戦後が生み出した歪みの一つだと思っています。しかしですね、自己主義には限界があるんですね。お芝居はチームワークなんですから。
「お芝居はチームワーク」という言葉が、その前に出た「調和」や「他の人が主役だと思わなくてはいけない」という言葉に繋がり、ハッとしたものでした。
Q:同じく共演者の方についてですが、北村和夫さんについてお聞かせ下さい。本作が遺作となってしまわれましたね。
三國:北村は自己主張が強くて人の話を聞かない人でした。いや、そこにある彼の本当の姿は『人に心配させまい』『仲間に同情を求めない』というものです。彼はそういう意味では座員のために生きたとも言えますね。文学座のね。また、これは今村(昌平監督・故人)組の姿勢でもありますね。小沢昭一なんかもそうです。私は、すぐに『疲れた』と人に甘えてしまいますから(笑)。しかし、亡くなったと聞いて驚きました。私はまだ自分の歩く道を確かめている段階なので、今も生きているんでしょう。その時々の自分が出来る役目を探して、求めているんですね。84歳だからできる役目としては、今持っている『身に付けたリズム』で、『自然体で社会の矛盾を示す』。若い頃だともっと『痛烈な告発』という感じになるのでしょうが、今はそうじゃないでしょう。と、こういうことを考えるということは、それは自分を見つめる機会を自分にプレゼントするということなんですね。
Q:これからやってみたい役柄というのはありますか?
三國:『ラブシーン!』と応えたらいいのかな?(笑) もちろん、そういうのも四六時中求めているよ(笑)。うーん……どんな役……ヤクザの親分とかいうのは嫌いですから、依頼があっても断ると思いますしね。ただ、もっとこう、『こういう役』というのではなくて、『燃やすこと』のできる役ですね。自分の中で燃焼させる何かを感じる役。燃焼し尽くしてはいけないのですけれども。そして、『人間として何かを訴える』ことができる役柄ですね。これが役者の使命じゃないかなと。それができる監督と役者の関係というのもありますね。例えば新兼(兼人)さんの場合、昔は乙羽(信子)さんだった。うん、乙羽さんでしたね。で、今は大竹(しのぶ)さんなのでしょうね。
司会者:では私からも質問を……神山征二郎監督という方はどういう方でいらっしゃいますか?(←そ、それ、私が今から質問しようと思っていたのですけど……)
三國:気骨の人というイメージとは裏腹に、現場では意外とニコニコしていますよね。口調も妙に柔らかいですし。僕は『これはポーズなんじゃないか?』と思っていますけど(笑)。
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私のQ:三國さんと神山監督は『三たびの海峡』『大河の一滴』で御一緒されていて、本作が3度目の映画作りとなりますよね? その中で、『大河の一滴』は東宝系公開のメジャー作品。神山作品の中では、松竹系公開の『ハチ公物語:』や東映系公開の『遠い落日』などといった作品と同じライン上に位置する作品だと思います。その一方で神山監督という方は、特に近年、草の根を分けるような映画作りをしておられます。『三たびの海峡』もそうですし、その後ですと『郡上一揆』『草の乱』がありました。それらの作品に共通するのは、独立プロダクションの精神、つまり新藤監督の影響であるように感じるのです。先ほど三國さんが仰られた『気骨の人』というイメージです。今の神山監督は、手作りの映画づくりをしておられますよね。本作もそうだと思うのですが、『俺はこれを撮らなければいけないんだ!』という使命感のようなものを感じます。そこで、メジャー会社が制作費をドーンと用意する神山作品と、本作などのように、一般の方から寄付金を募ったりという、ミニマムな神山作品の両方をご存知の三國さんとして、そのあたりの神山監督の映画づくりについてもう少し深くお聞きしたいのですが」(長い…)
三國:なかなか難しい質問ですが、ちゃんとお答えしますね。今の神山監督は、作品内で描く時代は違ったりしますけれど、現代に通じる社会問題を一つの対象としていますね。ただ……ただ、『郡上一揆』は僕に言わせると駄作です。あの作品は人間一人一人にピントが合っていないのです。もっと、人間個々の問題意識をとりあげないと。描かないと。そんなことを感じていたので、今回はその点を意識しましたよ。
「『郡上一揆』は駄作」と言い切った三國さんの応えを、書くべきか書かざるべきか迷いましたが、よくよく考えて書くことにしました。誤解して頂きたくないのは、三國さんがこの答えを通して神山監督を貶しているわけでは断じてないということです。
三國さんはプロの俳優であり、神山監督はプロの映画監督。一作一作が真剣勝負であるわけですよ。その中で、苦言をこうして呈すことのできる関係が、三國さんと神山監督の間ではしっかり構築されているのでしょうね。三國さんにとって、『郡上一揆』は「違う」と。それは決して、神山監督を信頼していないということではなくて、むしろ、それをはっきり明言しながら、最新作の主役を務めておられるわけです。そこは、この答えに込められた真意を取り出す上での重要なキーであると感じます。この答えを三國さんから引き出せたこと、手前味噌ながら私は「やった!」と思いました。
Q:これまでで一番三國さんご自身がお好きな作品を教えてください。
三國:うーむ。私は、どの作品がというより、本当に監督に恵まれたと思っています。戦争で中国から引き上げてきた時に木下恵介さんと偶然出会った。あの出会いがなければ、今の私はないと思います。他にも、名匠と呼ばれる監督たちと、とても良い関係が築けたと思っています。これはね、運ですよ。ラッキーなだけです。名匠たちとの出会いを他の人にも分けてあげたいと思うこともありますけど、これだけはやっぱり譲れないですね。だから、私はその名匠たちの良心に応えようとして今までやってきました。その誇りは誰にも負けないし、自分自身妥協しません。あ、関係がダメになった監督もいますけれども、それはもう夫婦の離婚みたいなものでね。まあ、しょうがない(笑)。これからは、こちらから芸術家を選ぶ。つまり、自分から対象を探していくというバイタリティが重要かなと思っています。こちらから探すというのも大事なことですよ。映画もテレビも自分ひとりでは出来ないですからね。あと、これは言っておきましょう。名匠たちと仕事をしてきて後悔したことは一度もありません」
お話は更に続いた。
三國:それから、尊敬している俳優は藤山寛美さんと森雅之さんです。特に寛美さんは本当の意味での俳優・喜劇人でいらっしゃった。『他人の芝居の邪魔をしない』というね。つまり、『共演者のために自分の芝居をしている』んです。『演劇は大衆のものでないといけない』と言いますが、寛美さんのはそういう部分で『本物の大衆演劇』でしたね。実は、『それができないか?』と思って出演しているのが『釣りバカ日誌』のシリーズなんですけども。寛美さんに少しでも近づこうと思って。
司会者:では、今日はここで写真撮影に……
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三國:一言忘れていました。最後に一言だけ。プロデューサーの廣田稔さんの『映画を作る』というバイタリティを尊敬しています。彼の青年のエネルギーに。彼はお幾つでしたっけ? 61歳? うん。やはり僕から見たらまだまだ青年ですよ(笑)。この作品を一本作るのに、やっぱり4〜5億の製作費がかかってますよ。4〜5億。私なら銀行に預けて楽に暮らしますよ。そういう意味では半分バカです。バカ。ましてや、映画の世界をご存知ない。海の物とも山の物ともわからないのに。そういう青年のバイタリティが、この『北辰斜にさすところ』で輝いている。そこを皆さん、よろしく宣伝して下さい。お願いします。では。
三國さんは、廣田さんの姿勢に惚れ込んでいらっしゃるに違いないですね。会見の挨拶と最後の一言、どちらも廣田さんのお話でしたから。一人の男が、全く未経験の世界に単身で飛び込んできた。
「バカだな……」
けれども、その情熱は本物だったのです。その気持ちに応えた人々は、
三國さんだけではありません。多くの人の心を動かしたわけです。 <伝えたい志・残したい想い>。それが本物だったからこそ、多くの人が協力されたのでしょう。
三國さんはインタビューでこう仰いました。
「映画もテレビも自分ひとりでは出来ないですからね」
そう。三國さんが、どんなに良い映画を作りたいと思っても、三國さん一人ではどうしようもないのです。三國さんは、廣田さんの心にご自分と同じ想いがたぎっておられることを感じ取られたのでしょうね。感動的な話です。
貴方も、『北辰斜にさす』から <心> を受け取って下さい。
それではまた劇場でお遭いしましょう!
北辰斜にさすところ http://hokushin-naname.jp/
伝えたい志がある。
残したい想いがある。
2007 111分
監督:神山征二郎 原作:室積光『記念試合』 脚本:室積光 撮影:伊藤嘉宏 出演:三國連太郎/緒形直人/林隆三/佐々木愛/和田光司/林征生/清水美那/大西麻恵/河原崎建三/笹村浩介(特別出演)/坂上二郎/永島敏行
東京:シネマスクエアとうきゅうにて上映中(終了日未定)
大阪:テアトル梅田にて上映中(終了日未定)
京都 京都シネマ 1月26日〜
ほか全国公開