祝!ベルリン国際映画祭での二冠受賞
今年公開される日本映画の中で最も重要な一作だと、自信を持って断言するのが『実録・連合赤軍あさま山荘への道程(みち)』。この銀ナビも、特集という形で全力バックアップします。
3月15日、東京・テアトル新宿の公開初日は全回立ち見という大盛況。3月20日の関西特別先行上映会@西部講堂も、通常定員300人のところ、実に430人来場という超満員の興行となりました。これから順次始まる全国公開に向けて、申し分のないスタートを切りました。
前回は、若松孝二監督単独インタビューの模様をお伝えしましたが、今回は約1ヶ月後に行われた合同記者会見の模様をお伝えしますね。
と、その前に、その一ヶ月の間に、本作は途轍もなく大きな勲章を2つも手に入れました。
第58回ベルリン国際映画祭NETPAC賞(最優秀アジア映画賞)&CICAE賞(国際芸術映画評論連盟賞)二冠受賞!!
日本映画が国際映画祭で何らかの賞を受賞することは珍しくありません。しかし、今回の受賞は特筆すべき快挙と言えます。【若松孝二がベルリン国際映画祭で賞を受けた】という事実には、多くの人にとって【知られざる歴史】とでも言うべき背景があるのです。
今を遡ること43年前の1965年。第15回ベルリン国際映画祭で、若松孝二監督作品『壁の中の秘事』は日本の公式作品としてコンペティション部門で上映されました。若松孝二、当時28歳の若さでした。彼は、この時、既に20本近い監督作品を発表していましたが、『壁の中の秘め事』は若松プロダクションの第一回作品でしたから、喜びも一層のものだったでしょう。しかも、この出品は、若松監督にとって、全く思いがけないものだったそうです。しばらく前に、映画を買い付けるため東京に来ていたドイツの映画配給会社社長が、『壁の中の秘事』を気に入り、購入。帰国した彼は、締め切り直前だったベルリン国際映画祭のコンペティション部門予選に、軽い気持ちでこの作品をエントリーしたそうです。その結果、見事に予選を通過し、その年のコンペ参加作品中、唯一の日本映画の座を勝ち取りました。
“国辱事件”から43年。
……と、これだけなら美談ですが、この後、若松孝二は苦々しい渦に巻かれることとなるのです。この選出結果に猛抗議をしたのが、なんと出品国である我らが日本。『壁の中の秘事』がピンク映画であったことから、「ピンク映画が国際映画祭で日本代表作品として上映されるなど、あってはならない! 国の恥である!」というのが、その理由でした。また、その年、日本映画製作者連盟が推薦した作品がことごとく予選で落選していたということも、抗議に拍車をかけたようです。メンツというものが、反感を生んだのでしょう。
国際映画祭への出品、しかも大規模なベルリン国際映画祭でのコンペ出品ともなれば、通常、日本国中が快哉を叫んでその栄誉を称えるものですが、この時ばかりは様子が違いました。日本側の猛抗議を跳ね除けるという毅然とした態度を貫き、上映を決行した映画祭側の気概や天晴れといったところでしたが、この作品は当時の大多数の観客に理解されず、上映会場はブーイングの嵐。この状況を、「ほれ見たことか!」と突付いたのが、日本のマスコミでした。直後、日本の報道には「国辱」の2文字が踊り狂ったそうです。これが有名な【国辱事件】です。
ピンク映画をピンク映画として撮り上げ、予選にエントリーされていたことすら知らなかった青年監督に一体何の罪があるというのでしょう? 国中がよってたかって、1人の青年をつぶしにかかったのです。普通なら、ここでめげてしまうことでしょう。しかし、若松孝二は今日まで、常に第一線で映画を撮り続けました。
あの屈辱から43年経ち、71歳になった若松孝二はベルリンの舞台で二冠受賞の栄誉を掴み取り、笑みを浮かべました。『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』は、『壁の中の秘事』と同じく若松プロダクションの製作作品です。そればかりか、映画祭期間中には過去の代表作3本も上映され、その中に『壁の中の秘事』もありました。当時、理解されなかった作品ですが、今回は熱狂的に受け入れられたと聞きます。若松孝二が噛み締めた喜びというのは、計り知れないものがあったでしょう。今回の受賞は、43年越しの勝利。諦めることなく映画を撮り続けたからこその勲章と言えます。そういったドラマがあったことを知っておくことは、決して無駄なことではないでしょう。
さて、ここから合同記者会見のレポートです。
当時映画化していたらもっと違う作品になったかも
―――東京国際映画祭での受賞に引き続き、ベルリンでの二冠受賞を果たされましたね。おめでとうございます。ベルリンでの受賞は若松監督にとって特別な意味があったと思われますが、いかがでしたか?
若松 「43年前、日本に帰ったら国辱と言われましたが、今回は言われずに済みます」とスピーチしましたよ(笑)。
―――現地での作品に対する反応は?
若松 期待していた以上に良かったですね。あるドイツの映画監督が、「今度は俺がドイツ赤軍の映画を撮るから、3年後に会おう」と言ってくれたりね。
―――受賞を受けて、日本国内での反応というのはありましたか?
若松 なんだか急に騒ぎ出されたという印象です。テレビや新聞でベルリンでの受賞が報道されたのが大きいと思いますが、急にザワザワと。「どうしてコンペ部門に出さなかったのか?」という声もありました。注:ベルリン国際映画祭ではフォーラム部門へのエントリーとなったが、本選と呼ばれるコンペティション部門に出さなかったわけではない。国際映画祭規定により、既に国際映画祭での受賞を果たした作品はコンペ出品が出来ないことになっているのだ。
―――この作品の企画・構想はいつ頃からあったのですか?
若松 構想は当時からありましたよ。ただ、当時映画化していたらもっと違う作品になったかも知れません。あの頃、やっぱり腹立たしく思ったし、今でも連合赤軍のやったことが正しかったとは思っていないけれど、当時だと、もっとボロクソに叩くような作品になってしまっていたかも知れません。
―――それが今になったのはなぜでしょう?
若松 ゴジがね。ゴジというのは長谷川和彦監督の愛称ですけれども、そのゴジが『連合赤軍』というタイトルで、ずっと映画化を進めていたから。彼がやるなら、喜んで協力するって言ってたんです。「俺が知っていることは全部教えてやるし、人も紹介してやる」って。でも実現しなかった。
―――脚本も完成していたのに、ですよね?
若松 そう。読ませてもらいましたよ。アレは俺には撮れないなあ。難解でね。でも撮って欲しかった。けれど流れちゃったんです。
―――それはどうしてでしょう?
若松 金を出す人が居なかったんだな。
―――そこで若松監督が映画化に立ち上がったというわけですね。きっかけは?
若松 最近作られた連合赤軍関係の3本の映画に納得がいかなかった。特に『突入せよ!「あさま山荘」事件』がもうどうしようもなくふざけていて。「許せない!」と思って。ある意味、あの作品がこの作品を撮らせたと、そういう事になりますね。
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撮影期間中、風呂に入っても顔と頭は洗わない
©若松プロダクション |
―――しかし、予算的な面は厳しかったと聞いています。劇中のあさま山荘は、若松監督所有の別荘を遣って、実際に壊してしまったそうですね。最終的にどれくらいの予算がかかりましたか?
若松 2億ちょっとですね。全部借金ですよ。それと別に別荘が3千万。カンパも募ったけれど、全然足りなくて。だから自分で借金して。映画監督や当時の運動家、カンパしてくれないんだもん(苦笑)。連合赤軍の基地となる山小屋は3つ建てました。
―――撮影、見事でしたね。特に雪のシーンは大変だったのでは?
若松 その年、全然雪が降らなくて困ったんですよ。もうホントに降らなくて。で、ある朝、ピンと来たんです。「今日は降る!」って。俺は東北の生まれだからわかるんですよ。それで「撮るぞ―――っ!」って言ってバーッと車飛ばして。そうしたらやっぱり降った。もう30分くらいで一気に撮ってね。で、撮った直後に陽が射してきたという。なのに、ある映画監督がこの作品を見て「うまくCG使ったね」って言ったんですよ。バカか!!CGだったら見たらCGだってわかりますよ。1カットもCGは使ってません。
―――出演者の殆どが当時を知らない若い世代ですが、いかがでしたか?
若松 俺も彼らのことを全然知らなかったから(笑)。いや、でも最初はホント、全然ダメでしたね。どのセリフを言っても現代の若者という感じで。けれど段々と変わってきた。皆、工夫していましたよ。あさま山荘に立て篭もる5人なんかは、撮影期間中、風呂に入っても顔と頭は洗わないとかね。森恒夫を演じた地曳豪君なんて、カットをかけないでいると、どんどんアドリブで芝居を続けられるようになったし。皆、物の見方や読む本が変わっていったみたいです。半年くらいは役が抜けなくて困ったんじゃないかな? それまでは「何でもいいから芝居をやる」というスタンスだったのが、「あれから作品を選ぶようになりました」って言うんだよ。
―――出演にあたって「一人で合宿撮影に参加すること」「衣装・メイクは自前」という条件を出したそうですが、他には?
若松 「いつでも撮影できるような状況にしておいてくれ」と言いました。「ココからココまでは体を空けられるようにしておいてくれ。でないとダメだ」って。あと、もう一つ。「心配するな。この作品が公開されたらジャンジャン仕事が来るようになるから」って。
「自分のかさぶたをはがされるような思いだった」
©若松プロダクション |
―――「何故、今このテーマ? 」という声もあるようですが、現代へのメッセージもしっかりと刻み込まれていますよね。その辺り、お聞かせ下さい。
若松 「嫌なものは嫌と言える人間になれ!」ということですね。「戦争は嫌だ!」くらいはっきり言える人間になれってね。テレビゲームと違って、戦争っていうのは一度死んでしまうと生き返らないんだから。相手を殺すだけじゃない。自分だって殺されるんだよ。そこ、今の若者はわかっているのかなあ? あと、「『なぜ?』という感覚を持て!」と。これについてちょっと説明すると、「親を尊敬しています」という子に限って親殺しが多いんだよ。ホントだよ。盲目的に尊敬するからいけないんだなあ。「なぜ?」という感覚を持たず、理由がないまま尊敬するから。「なぜ?」というのは大事なことですよ。あと、 <いじめ> の問題があるでしょう? 最近だと、相撲部屋での新弟子いじめが死を招いて話題になった。あれも連合赤軍が抱えた問題と同じですよ。
―――観客の反応はいかがですか?
若松 当時運動をしていた方からは「よく撮ってくれた」と言って貰えますね。「自分のかさぶたをはがされるような思いだった」という声もありました。
―――あさま山荘事件についてどう思われますか?
若松 「あの事件のおかげでやっと運動をやめることができた」という人、多いですよ。あの事件は、カミソリ後藤田と言われた後藤田長官が指揮を撮った。後藤田が絵を描いたんです。「5人全員を生け捕りにしろ。絶対殺すな!」って。で、TV中継10日間ですよ。最高視聴率89.7%という大変な注目を浴びて。あれは警察による大衆の心理操作。マインドコントロールですよ。それが成功した。さすがは後藤田だ。それまで連合赤軍を支持していた知識人たちが、一転して批判的になったんだから。俺も疑われて15、6回もガサ入れ喰らいましたよ。もう、ガサ入れ来るのがわかるんです。「あ、そろそろ来るな」と思ったらやっぱり来る。雪と一緒(笑)。
―――本作の製作のために、当時の関係者にはお会いになりました?
若松 板東國男には年に2回ずっと会ってたから。ベッカー高原まで行くわけです。行く度に餅と餡子と明太子を持って。するととても喜ぶんですよ。「真っ黒に染まっていた自分が少し元に戻る」って。彼は「誰にも話す気はなかったけど、若松にだけは話してやる」って言って、あさま山荘の中で起きたことを話してくれた。だからこの作品を見せたかったけれど、まだ鑑賞して貰ってはいません。他の人も大変協力的でしたよ。ただ、加藤兄弟だけはどうしても会えなかった。残念だけれども。
―――これから日本での公開が始まりますね。
若松 実は色んなところから上映オファーがあったんです。大きいところからも。でも全部断った。「俺は、これまでに俺の作品をずっと上映してくれてきたところでやる!」って。あと、東京のテアトル新宿は、単純にここで上映したかったというのがあって。新宿の街にこの作品で行列を作りたかったんです。シネコンだけは嫌だ。あんなビルの中。だからテアトル新宿なんですよ。
俺はこの映画で、あの時代を説明したつもりです
―――パンフレットを兼ねて朝日新聞社から書籍(『若松孝二実録・連合赤軍あさま山荘への道程』 1,470円)が発売されましたね。とても充実した内容で、この価格は非常に安い。素晴らしい書籍ですね。
若松 「映画の鑑賞料金より高くするな!」って言ったんです。内容、良いでしょう? 色んな人がとても良い文章を寄せてくれたし、内容もしっかりしているし。
―――これから全国で公開が始まりますが、期待していることはありますか?
若松 これをきっかけに、何か火がつくといいですね。大体、当時を知ったかぶりする連中は真の自己批判をしていないですよ。自分の考えが絶対的に正しいとして、対立する意見を出されると必死に自己弁護をしようとする。そして今の若者を批判頭ごなしに批判する。そうじゃないだろうと。説明してあげないとわかんないんだから。俺はこの映画であの時代を説明したつもりです。その結果、 <火がつく> といいなって。だから、若い人たちに見て欲しいですね。
―――本日はどうもありがとうございました。
P.S.
2回に渡ってお届けした『実録・連合赤軍あさま山荘への道程』特集、如何だったでしょうか? 私は若松監督の <志> に溢れた本作に大変感動し、以来、宣伝の一助になればと努めています。これは若松監督の
<志> に対して、私も <志> を持って返答しようとした結果です。この素晴らしい作品が、1人でも多くの方に届くなら、 私はその労を惜しみません。書籍への寄稿(素晴らしい出来栄えですよ!)や、京都・西部講堂上映会のお手伝いなどを通して、改めて映画というものの素晴らしさを教えて頂いたように思います。本作の存在に心からの感謝します。
それではまた劇場でお逢いしましょう!!
実録・連合赤軍あさま山荘への道程(みち) http://wakamatsukoji.org/
「革命」に、すべてを賭けたかった……
2007 190分 日本
監督・製作・企画:若松孝二 原作:掛川正幸 脚本:若松孝二/掛川正幸/大友麻子 撮影:辻智彦/戸田義久 美術:伊藤ゲン 音楽:ジム・オルーク ナレーション:原田芳雄出演:坂井真紀/ARATA/並木愛枝/地曵豪/伴杏里/大西信満/中泉英雄
公開中 シネマスコーレ(名古屋)
公開中 テアトル新宿(東京)
公開中 テアトル梅田(大阪)
公開中 第七藝術劇場(大阪)
公開中 京都シネマ(京都)
公開中 シネテリエ天神(福岡)
4月12日 シネマ5(大分)
4月19日 シアターキノ(北海道)
4月19日 桜坂劇場(沖縄)
4月26日 アートビレッジセンター(神戸)
5月3日 Denkikan(熊本)