ユニバーサルスタジオが版権を取得して以来、このシリーズ本のキャラクターは携帯ストラップから食器まで様々なグッズを生み出している。読んだことのない女の子たちにはおそらく「ひとまねこざる」ではなく「ジョージ」としてポピュラーなのだろう。「うさこちゃん」が「ミッフィー」だということにおぼえるのと同じ大きな違和感がある。第一、こっちにとっては、「ジョージ」ではなく「じょーじ」なのだ。
 実写の映画を制作中であることが話題になったのをおぼえておいでだろうか。封切られた話を聞いていないと思ったら、すでにポニーキャニオンからビデオになっていた。入手できていないのが残念。実写 といってもじょーじはアニメ合成だそうで、「ひとまねこざるときいろいぼうし」と「ひとまねこざるびょういんへいく」の2話が入ったストーリーらしい。

 筆者自身はあまりこの本を好きではない。誰もが懐かしそうに語るように、筆者の年代にとっては <はじめて読んだ本> に近いものがあるし、本表紙をめくるとあらわれる「この本は  のものです。」というページに、自分の名前を書き込んだ記憶もある。小児科の待合室に行けば必ずこのシリーズがあったこともおぼえているし、ページをめくれば、(たとえば「じてんしゃにのるひとまねこざる」のまねをして三輪車を後ろ向きに漕いだことなど)その頃の記憶がみるみるよみがえってくる思いもするのだが。

 これはノスタルジックな1940年代(第二次大戦中だ)の本で、出版されたのはもちろんアメリカ(作者のユダヤ人夫妻はナチのパリ侵攻直前にニューヨークに逃げてきたらしい)。人気があるのは日本でばかりではなく、ブッシュ大統領夫人も子供に読んできかせたらしいし、映画『フォレストガンプ』で、トム・ハンクスが拾う鳥の羽がはさまった絵本がこの『Curious George』だった。彼がそれを持ち歩くのは少年時代にその本を母親に読んでもらったからである。

 curious とは、言うまでもなく幼児性を意味している。それぞれの本に描かれたスラップスティックな事件の数々は、じょーじが「どうしても じぶんで やってみたくて たまらなくな」ったことに端を発している。幼児性というか、幼児のリアルな欲望をあらわしているのだが、かならずそれは失敗する。しかし「きいろいぼうしのおじさん」は決して怒ることはなく、逆に、じょーじが危険な目にあいつつも無事だったことを無条件に喜ぶのである。この「きいろいぼうしのおじさん」は非常にアメリカ男性的で、子供のころスクリーンで見たハリウッド男優はみなこのおじさんのように見えたものだが、今読み返すと、非常に中身のないうさん臭い人物であるような気がしてならないのは何かのやっかみか。この本を好きになれないのは、もしかしたら、自分が子供たちのいたずらに対してこのおじさんのように寛大に振る舞えないからなのかもしれない。

 このシリーズの特徴は、実は非常に長いということにある。最初の巻「ひとまねこざるときいろいぼうし」は(ノンブルの振っていない本なのだが)48ページ、いま手元にある「ろけっとこざる」も同じ。後者の字組みは横組みでかなり細かく、幼児に読んで聞かせると小一時間はかかるだろう。もっとも、物語の波乱万丈さ、というか能天気なトリトメのなさは、長さを少しも感じさせない。
「ろけっとこざる」のあらすじを追ってみよう。

 黄色い帽子のおじさんの留守中、郵便配達夫から手紙を預かったじょーじは、自分でも手紙を書いてみたくなるが、インクで部屋を汚してしまい、さらに掃除をしようとして部屋を水びたしにしてしまう。水をかい出そうと考えたじょーじは、重いポンプを運ばせようとして豚をとじこめた囲いを開けてしまい、群れを放ってしまう。あわてた百姓親子が追いかけるのを牛に乗り、さらにトラックに飛び乗って逃れ、科学博物館にやってきたじょーじ。ここでも悪戯をして実物大の恐竜の模型をめちゃくちゃにしてしまう。捕えられたじょーじは動物園に連れていかれそうになるが、ここへ黄色い帽子のおじさんが、冒頭の手紙を持って登場。それはそこにいた科学博物館館長のワイズマン博士が書いた、テストパイロットとして宇宙ロケットに搭乗してほしいと懇請する手紙だった。「そうか、きみが じょーじくんなのか!」と博士。「なにもかも ゆるしてあげるよ。ろけっとに のってくれさえすれば」。いよいよ打ち上げの時間。ちょっとしたスリルのあとに予定通 りパラシュートで降下するじょーじを報道陣が大歓迎。これまで迷惑をかけられた大人たちもみんな大喜び。「きょうは、せかいじゅうのひとが、きみをじまんに おもっているだろう!」黄色い帽子のおじさんが興奮しきって叫ぶ。そして締めの言葉は、「じょーじだって、うまれてから、きょうほど、うれしい日はありませんでした。

 なんとも狂騒にみちていて、楽天的である。ストーリーのヤマ場がいくつもあるのが興味深い。「ろけっとこざる」と言いながら、ロケットの話が出てくるのは48ページ中の39ページ目である。そこまでずっと「…してしまう」ばかり続いているが、この本の主なギャグもここまででほぼ出つくしている。筒井康隆はかつて自身のドタバタの発想法を「事件の系統的発生」と解説してみせたが、この物語は文字通 りそのように進む。そして、近年の児童文学に見られるような寓意性や幻想性、内面 性などはかけらも見られないといってよい。幼児の欲望を描くことに成功したこのシリーズは、その意味では、非常に特異な位 置にあるような気がする。

 このシリーズは8巻まであるらしい(「ひとまねこざるときいろいぼうし」「ひとまねこざる」「じてんしゃにのるひとまねこざる 」「ろけっとこざる」「たこをあげるひとまねこざる」「ひとまねこざるびょういんへいく」「ひとまねこざるのABC 」。ヴァイパー・インタラクティヴという制作集団(?)が量 産しているものも第3集まで出ているようだが…)。紹介文によると、動物園から逃げ出し、「食堂の台所にとびこんでおさらを洗ったり、高いビルの窓ふきそうじをしたりしますが、やがて映画俳優になります」というのだが、最後のくだりは、読んだかもしれないが、記憶にない。

 

 

 

【ハンス・アウグスト・レイ】1898年ハンブルグ生。幼な馴染みのマーガレット・レイとリオデジャネイロで再会、結婚。ハネムーンに訪れたパリで新聞に掲載した漫画が出版社の目にとまり、最初の児童書「セシリーGと9ひきのさる」を発表。時はナチズムが吹き荒れる30年代終わり、ユダヤ人の二人は、1940年6月14日の明け方、ドイツ軍の侵攻直前にコートとわずかの食糧と「ひとまねこざる」を含む5編の原稿を携え、自転車でパリを脱出、リスボンからブラジル、そしてニューヨークへ。1941年、ホートン・ミフリンから発売された「ひとまねこざる」は世界中で2500万部以上のベストセラーに。

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