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text/ 高梨 晶
 
『コ
ミック・P』に「詩人ケン」の最終話が収録されていたのを読んで、あの「自虐の詩」の業田良家がこんなマンガを、と思っていた。「自虐の詩」はご存じだろうか?『週間宝石』に連載され、最終話で誰もが泣いたという伝説の4コマギャグ。『ガロ』『ビックリハウス』出身の漫画家、イラストレーターが「ヘタウマ」と呼ばれて一世を風靡していた時代、業田良家もそんな一人として扱われていたように思う。ろくでなし亭主がえんえんとちゃぶ台をひっくり返し、妻に暴力を……というパターンがミニマルミュージックのように繰り返される、そんなマンガだった。「ちゃぶ台をひっくり返す」という常套パターンを畳までひっくり返すことでパロディにしてしまうその勢いが気になって毎回本屋で立ち読んだ。そして最終話。こんなラストを迎えるとは。ああ、幸せとはこんなにも哀しく切ないものであるのか、ああ……。いや、今回は「詩人ケン」の話である。タイトルは「市民ケーン」のだじゃれ。たぶん。最終話を読んだ段階でどんなストーリーなのか気になっていた。そんな矢先、偶然、友人が「面白いから読め」とこの単行本をくれたのだ。
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※上の写真とは異なります。
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   罪    
   の    
   意    
   識    
   と    
   情    
   は    
   我    
   々    
   の    
   中    
   で    
   ど    
   う    
   絡    
   み    
   合    
   っ    
   て    
   い    
   る    
   の    
   か    
    ゜   
1話の最初のコマのせりふが「オレ詩人/ホントウの自由を探している」である。女房子供をおいて旅に出るケン。「ケンちゃん……/いい詩書いてね」涙で見送る妻ルル。2コマ過ぎたところで空腹に襲われるケン。「ちきしょうもう腹がへってきた/なんてこった/詩人の放浪にも金がいるんか」かわいい。カツ丼を食べるコマに書かれている詩を引用する。今回はペデストリアン風である。

ぼくは旅に出た
女房も子供も捨てて
旅に出た
夕焼けに出会った
あかね雲にたたずんだ
野の花を見た
いい人に出会いたい
優しい人を見てみたい
野の花は摘まないでいく
ぼくは詩人なのだ
おなかのすいた詩人なのだ

 最後のコマ「旅の出発は一日遅れた」。結局代金が払えず妻に迎えに来てもらい家路につくケン。
パンクロッカーで今はバイトをしながら妻と子を養う詩人。北朝鮮からのミサイル攻撃、右翼の大物との出会い、アパート大家のピストル自殺など破天荒なエピソード。そして絶望、救済。「自虐の詩」での罪と罰に対して、この「詩人ケン」では倫理観について語っている。娘の敵をとるという大家に拳銃を調達してやるため右翼の大物のところへ。なぜそんな危ない話に乗るのだと言われ「詩が書きたいから」と答えるケン。罪の意識と情は我々の中でどう絡み合っているのか。
 
 
p r o f i l e
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田良家については実はよく知らないのだが、小林よしのりに市民運動について助言したり、最近では川柳の選者になっていたりするらしい。手元にあるのが『詩人ケン』だけなので今日最近の作品『ゴーダ哲学堂・空気人間』を買ってきた。『詩人ケン』の完成形がここに。「混沌」が「豊饒」に向かっている。(高梨・A・晶、00/12/25号)

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