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金原ひとみが描く世界は、 |
たまにはイマドキの小説も読んでみようと思って、「文藝春秋」を買って、第130回芥川賞受賞の二作品を読んでみた。最年少受賞で話題となった金原ひとみの『蛇にピアス』と綿矢りさの『蹴りたい背中』である。作品に文句をつけるつもりはさらさらないが、意地悪かもしれない言い方をすれば、不登校とパチスロの日々を送る不良と、優等生だがクラスになじめない文学少女の二人がいかにも書きそうで、その意味でも耳目に入りやすい小説ではないかという気がした。作家とその作品のカップリングの齟齬のなさが物足りなく思うのである。 では作品そのものに即して言えばどうなのか。特に金原ひとみの『蛇にピアス』は、評者の高樹のぶ子が「おそらく作者の人生の元手がかかっているであろう特異な世界を実にリアルに描いている」と書く作品であるが、山田詠美は「良心あると自認する人々(物書きの天敵ですな)の眉をひそめさせるアイテムに満ちたエピソードの裏側に、世にも古風でピュアな物語が見えてくる」という。そのとおり、金原ひとみのしっかりとしとした描写が描く世界は、その素材(アイテム)にも関わらずむしろ常識的であり、それを描く筆致もあわせて不良のものとは言えなかろう。 例えば、主人公が、スプリットタンに曳かれて一緒に暮らし始めた恋人のアマの友人で、彫り師でSのシバさんとセックスする次の場面、
「私」は濡れているが、Sであるシバさんが何をするか分からないことには身を固くする。「私」の反応はごく常識的なものだ。「私」はMだと自称するが、SであるシバさんとSとMであることにおいて交感しているとは言えないだろう。「私」と結婚することを望み、Sで、「男でもイケる」というシバさんは、怒り出すと何をしでかすか分からない相当厄介な男かもしれないアマをレイプして、惨殺した犯人であるかもしれないことが小説の終わり近くで暗示される。しかし最後に「私」は思う。「シバさんは、もう私を犯せないかもしれないけれど、きっと私の事を大事にしてくれる。大丈夫、アマを殺したのはシバさんじゃない。アマを犯したのはシバさんじゃない。……私には、そんな根拠のない自信が芽生えていた。」主人公は、相当ヤバイかもしれない人物たちと交わり、かなりヤバイ生活を送っているけれども、そんな彼らの純真を信じることが彼女の生きる力なのである。山田詠美に「ラストが甘いようにも思うけど。」と書かれる所以であり、良識の人には喜ばしい限りであろう。
というあたりの描写のスピード感は小気味良い。繰り返されるマンコとチンコの乱暴なリズム感が悪くない。願わくば、「気づくと本当に涙が流れていた。私は気持ちがいいとすぐに涙が出る。満たされていくのが分かった。」という部分を削ってほしかった。
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