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それにしても、マーケティングの話をはじめるのに、なぜ選挙の話からはじめる必要があるのか。しかしながら、選挙とマーケティングを結び付けて考えることは、むしろありきたりなことと言えるだろう。 まず選挙がマーケティングの対象になっている。何年も前から、各党首が、衆院選に向けた選挙用のスローガンを作り、選挙用のCMやポスター作りに真剣に取り組むようになったことは知られているが、マスコミ、とりわけテレビが大衆に与える影響を有効に利用して選挙を勝ち抜いた最初の大統領がJ・F・ケネディであったことも良く知られている。ケネディはニクソンとのテレビ・ディベートで自分のテレビ映りをコントロールして、無頓着に青白く不安げな表情をさらしたニクソンに対して、そこまで数ポイントのビハインドだった支持率を逆転し、僅差で大統領選を制する。以後、アメリカの大統領選がマーケティングの戦略を駆使して繰り広げられていることは、さまざまな映画にも描かれ、周知のこととなっている。経済的、あるいは経営的な技術・手法であるマーケティングが、政治という領域に利用されているのであるが、ここでしばしば問題とされるのは、マスコミによる人心の操作であり、そのことによる民主主義の危機である。しかしながら、このことが問題とされたのは、大衆=マスがアメリカで発生した第一次大戦後以降のことであり、すでに『世論』のW・リップマンがそのことを語っている。あるいは、それはデモクラシーということばがギリシアで生まれたときから存在していた危惧といえるのかもしれない。 しかし選挙とマーケティングの間には、もっと直接的な関係が存在する。例えば『痛快!経済学2』の中谷巌の言葉を聞いてみよう。
中谷が言わんとするところを、さらにもう少し聞いてみよう。
小泉純一郎は今回の選挙において、優れたマーケティングセンスを見せたと誰もが指摘している。 彼は、 大衆を惹きつける魅惑的で分かりやすい惹句(キャッチフレーズ)を用い、敵味方をはっきりさせるストーリーを組み立てた。その錦の御旗は「郵政法案」であったが、それは「改革を止めない」ためのシンボルであったとされる。ここで改革とは、中谷がいう経済民主主義を機能させるために、官僚が作り上げたさまざまな規制を取り払うことに他ならない。選挙とマーケティングとは、とりわけ今回の選挙において、深い契りを交わしている。
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