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text/キムチ

 

 

知人のマーケッターが、荷宮和子の『若者はなぜ怒らなくなったのか 団塊と団塊ジュニアの溝』(中公新書ラクレ)という本の話をしてくれる。荷宮和子は団塊と団塊ジュニア世代にはさまれた「くびれ世代」の女子供文化評論家(われわれと同世代だ)。この本は基本的に、一世代前のオバサンとして怒らなくなった団塊ジュニア世代に対してもっと怒れとアジっているらしい。
知人の解説によると、団塊と団塊ジュニアは、つねに供給側がこれでいかがですかと欲しいだろう物を提供してきたから、自分から欲しいと思うものを要求する必要がなく、流行に対して受身であるという。それから彼は片山恭一の『満月の夜、モビイ・ディックが』(小学館)を持ってきて、「この人の『世界の中心で、愛をさけぶ』(小学館)を読んだんですけれどね、どうってことないんですが、30万部も売れているんですよ」という。
ハリーポッターもそうだけれど、流行に対して受身だから批判意識というものがあまり働かず、あれだけの部数が出るのだということらしい。だとすれば、宇多田ヒカルがあれだけヒットするのも何ら問題ではないことになる。ただ、そういう訳であってもヒットするには何らかのキーが存在しているはずで、マーケッターとしてはそれを考える必要があるのだけれど。
その話を聞いた後で、だけど、と思った。昔からくだらないのに大ヒットする小説というものはあって(小説はくだらない方がヒットしやすそうだ)、例えば『マディソン郡の橋』だったり『一杯のかけそば』だったりする。(この二冊についてインターネットで検索しても、もはや正確な情報がなかなか手に入らない。)
『世界の中心で、愛をさけぶ』のことは分からないが、『マディソン郡の橋』は大概ばかばかしい。『失楽園』もいい線行っている。『一杯のかけそば』は筒井康隆版しか読んでいないが保証する。

 


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