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福沢は、その偉大さ故に、彼の時代にすでに、現在私たちが獲得することのできた自由で民主的な歴史観を獲得していたのだ。
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福沢諭吉の『文明論之概略』は、当時彼が読むことのできた欧米の最新の文明論を駆使して、日本が進むべき道を説いた本です。
私が今回、丸山真男の『「文明論之概略」を読む』の手引きにしたがって福沢諭吉のこの本を読み進めたときに、何よりも新鮮であったのは、福沢諭吉のいる場所が、我々に思いの外近かったり、或いは遠かったりするその偏差の感覚であったように思います。 例えば、丸山真男の『「文明論之概略」を読む』の第3講「西洋文明の進歩とは何か」に紹介されているところですが、福沢は文明がその極度に至れば、「何等の政府も全く無用の長物に属す可し。」と書いています。福沢は、こういうアナーキズムに近い理想のもとに当時の西洋をすら相対化してしまう論点に立ちます。そしてこの批判的な位置は、現代においても通用すると思われます。 またあるところでは、福沢は、ミルやトクヴィルから「多数による暴政」をひもといて、民主主義の弊害を見透かしてしまっていますし、別のところでは同じくミルを用いて男女平等を説いていたりもします。こうした論点も、欧米の最新理論を翻訳しただけだといえば身も蓋もなくなってしまいますが、福沢のこの時点において、こうした論点がすでに提出されてしまっているということ、そしてその意義を福沢が充分に理解しているということもまた、私の中の歴史に対する遠近法を狂わせてくれるように感じられます。 福沢が日本の国体論を批判するその厳しさや言葉遣いにも驚かされます。神武天皇を「征服酋長」であると言ってみたりしますし、明治維新における人民の精神を如何に導くかという最終章の議論においても、天皇がむしろ人民には縁のない遠い存在であり、それは無理のないことである所以を言明しています。そもそも福沢は、政体というものが手段に過ぎず、文明を進捗せしめること、すなわち人民の民度を高めることこそが重要であることを、議論の初めから喝破しているのです。人民なくなして国が存在しないということを福沢は何度も繰り返しています。 こうした福沢の議論を、丸山は戦前の重苦しい思潮の中で、密かに拍手喝采の思いで読んだということが書かれています。大澤真幸という社会学者は、『<不気味なもの>の政治学』に所載の「トカトントンをふりはらう 丸山真男と太宰治」という論文の中で、丸山真男の思想的な水準は、戦中から戦後にかけて微動だにしていないという話を書いています。丸山は、それ以前から、日本の思想における「近代的なもの」を荻生徂徠から福沢諭吉という流れで追ってきていたのであり、その学究的な態度は、戦後もまったく変わらなかったからです。 丸山真男と福沢諭吉が強靱な思索力をもつ偉大な思想家であることには異論はありません。しかし、ここで丸山真男がそうであると書かれているように、福沢諭吉もまた、現代に通用する思想を彼の時代にすでに展開し得ていたから偉大であるのだというべきなのでしょうか。それは少し違うのではないだろうか、というのが、ここで私の言いたいことです。 私たちは、先の戦争において、間違ったイデオロギーのもとに多くのアジア人を犠牲にしたということを教えられてきました。その間違ったイデオロギーとは、(言葉遣いが正確であるか自信がありませんが)一言でいえば天皇制ファシズムということになるでしょうか。そこでは、日本国は天皇の元に二千六百年もの長い純粋な歴史を持った国であるとされてきました。こうした理解からすれば、福沢諭吉の存在は、それ自体がひとつの発見です。福沢諭吉は、こうした誤った歴史観が形成される以前の思想家なのです。 そこで、誤ってはいけないと思われるのは、現在私たちが獲得することのできた自由で民主的な歴史観を、福沢は、その偉大さ故に彼の時代にすでに獲得していたのだと、考えることです。例えば、私たちは、日本という私たちの国民国家を自明のもののように考えてしまいがちです。しかし、国民国家は、福沢の時代において決して自明なものではありませんでした。それは福沢の(「パセティックな」と丸山によって形容される)文章に酌み取られるように、戦いながら獲得されなければならないものだったはずです。したがって、福沢の説く主権的国民国家論が、いささか血なまぐさい趣を持つこともやむを得ないことだというべきです。 問題は、ここで是非の価値観を持ち込むことではないと思われます。福沢を、あの時代にあって、意外に先見的で進歩的な思想家であったと見なすことも、逆に軍国主義につながる危険性を持った思想家であると見なすことも、同様に、現在われわれがとらわれているイデオロギーの色に染まった評価の仕方ではないかと思われるからです。現在、われわれが安穏と暮らす現代日本の気風から遠く離れて、近代国家を如何に形成するかという問いと福沢が格闘せざるを得なかったが故に、いま、近代国民国家の基盤が揺らぐという未曾有のこの時代に、福沢の著作は新たな可能性を見せてくれているような気がします。 丸山は、『「文明論之概略」を読む』を福沢諭吉の世代論から説き起こしていますが、福沢諭吉は「天保の老人」たちと呼ばれ、徳川時代と明治維新の二世を一身に生きた人物だということになります。福沢には、この時代の狭間を生きたからこそ、見えるものがあったのではないかと私には思えます。その福沢と私たちとの間に存在する偏差にこそ、福沢の可能性が存在するのではないか。 そして、そう思ったときに、丸山真男には、自身が偉大であったが故に、その偏差を偏差として語るのではなく、時代を超えた偉大さとして語ってしまうきらいがなきにしもあらずではないかと思えるのです。丸山が福沢にやや過大な期待を寄せすぎているように見えるのもそのせいではないか、というのが、私の感想なのです。 おそらく、福沢諭吉の前には、日本の国家をどうしなければならないか、という問題が、自分たち自身で決定しなければならない自由な選択肢として現れていたように思うのです。福沢諭吉の前には、歴史が可能性として現れていた。そのような感覚は、現在のわれわれには嗤うべきナイーフなもののように見えるかもしれないが、福沢諭吉の前には、歴史が可能性として現れていたに違いない。私に新鮮に感じられたのはきっと、歴史が可能性であるという、この感覚なのでしょう。 |