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本来、先週号に掲載すべき報告ですが、
遅くなり申し訳ありません。
とりあえず、とりとめのない私の目の中の記憶を、
急ぎ足で書き付けます。

 

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「殺すな」集合場所の様子。
 
「殺すな」のシールを貼った帽子をかぶる男性の向こうに林立する市民団体、組合系の旗や幟。彼らは皆、私たちとは反対の中央の集会側を向いている。
 
拡声器で演説する加藤好弘氏。左でタバコを渋くふかす堀浩哉氏。
 
デモ行進の様子。
 
突如現われたセクシー部隊。
 
セクシー部隊の名作「ブッシュの一万円札」が見える。
 
壁にかかる「殺すな」の額は私が作ったプラカード。「殺すな」の文字は岡本太郎筆(由来詳細は「殺すな」サイトをご参照ください)。実はこの日、たまたまデモの後、仕事で岡本太郎記念館に行く用事があり、岡本敏子館長にプラカードをお見せしたら、感激してなんとその場で額に入れて記念館のロビーの壁に飾ってくれたのでした。

 

 

 

>>>「反戦運動殺すな」の呼びかけ(2003/03/17掲載)

 すでに当日のテレビ報道などでご存知のことと思いますが、3月21日は、アメリカのイラク攻撃が始まった直後ということもあり、全世界で反戦デモが同時多発的に繰り広げられたようです。日本でも各地でデモがあったようですが、私が足を運んだ芝公園には、なんと5万人の市民が集結したとのことです(主催者発表)。

 そもそもこの集会・デモの主催母体は、およそ50ほどのさまざまな市民運動・労働組合等の団体が結集して組織された「WORLD PEACE NOW」 というものでした。確かに、いたるところに市民団体、労働組合の旗や幟が林立し、いかにも、という態をなしていましたが、しかし、また、いかにも「初めてデモというものに参加します」という様子の若者、家族連れの姿が目立ったことも事実でした。

 この5万人の中で、私が呼びかけに応じた「殺すな」の参加者は、のちの主催者側の発表によると約 300人だったそうです。この数を多いと見るか、少ないと見るか、それは立場によって異なるでしょうが、ほとんどネットだけの呼びかけによって催された初めてのデモとしては、それなりに評価できる数字なのではないでしょうか。

「殺すな」は、美術・音楽・演劇関係者の集団です。集合場所でざっと眺め渡した限りでも、発起人の椹木野衣氏、ヲダ・マサノリ氏をはじめ、かつて70年安保の際「美共闘」の中心メンバーだった堀浩哉氏、過激パフォーマンス集団「ゼロ次元」で反博運動をリードした加藤好弘氏、長老格では画家の池田龍雄氏、そして若手では自作「なすび画廊」を抱えた小沢剛氏やベビーカーに乗せた子供と妻と参加した会田誠氏などの美術家の姿が目にとまりました。生ギターばかりでなく、自分の腰に小型アンプをくくりつけたエレキ・ギター持参の人、台車にアンプを乗せてマイク片手の人等々、私は名前は分かりませんでしたが、そんな音楽家たちもいました。椹木氏は銅鑼を持ち、ヲダ氏は重そうなバス・ドラムを肩から吊るしていました。私はといえば、タンバリンを持参しました。それを、用意したA2サイズのプラカードの柄として利用したビニール傘の取手の部分に打ちつけながら歩けば、プラカードを掲げたまま音を鳴らせるというわけです。この作戦は、実際の行進時、なかなかうまい具合に成功しました。

 さて、12時に集合ということでしたが、デモはなかなか始まらず、私たちの隣では「ピースボート」の面々が、まるで北朝鮮かオーム真理教のように完璧に統制された歌と踊りを披露していました。一方、「殺すな」の面々は、一応椹木氏、堀氏、加藤氏などが拡声器で参加者への挨拶などをしていましたが、あんまりちゃんと聞いている人はいなかったように見受けられます。そのうち、発起人たちの凝った音響機材に合わせて参加者も鳴り物を鳴らしながら、「こー!ろー!すー!なー!」などとシュプレヒコールのリハーサルみたいなことを始めると、だんだんムードも盛り上がりつつあったのですが、しばらくすると、公園中央で開かれている集会の演説の邪魔になるとか、メインの主催者側から注意されるという始末。この辺がいかにも、他のゴリゴリのポリティカルな運動団体とはあきらかに異なる私たちの集団らしいところと言えたのではないでしょうか。なにか、かつての美共闘や反芸術運動家たちのデモ行進が髣髴されるような……。

 中央の集会も終わり、いよいよデモに出発するということで列が作られ始めても、それからまたさらに、何十分経っても動く気配はありません。しかし、芝公園に集結した人々は、そこから銀座方面と日比谷公園と二手に分かれて行進することになったのですが、「殺すな」の集団が、銀座方面の先頭に立つことが分かり、気持ちは少々引き締まる感じです。でもそれは、ひょっとしたら、一番派手そうだけど一番ノンポリそうな集団をさっさと先に行かしちゃえ、という主催者側の判断だったのかもしれません。

 ようやく列が動き始めたのが午後2時前。公園に来てから2時間近くも経ってからのことでした。そこから先は、ただもう流れる人の波に付いて歩きながら、ひたすらタンバリンを打ち鳴らしつつ「こー!ろー!すー!なー!」を叫び続けて、東京駅近くの終着点にたどり着くまでの1時間半ほどの時間が、ほとんど熱気に満ちたライブハウスの中にいるような感覚で、あっという間に過ぎていったいう私の印象でした。でもそれは、きっと私が、前夜ちょうど自分のバンドのリハがあり、そのノリのまま、かなりの大声張り上げて「肉体的に」参加していたからでしょうが、周りにはただじっと黙々と歩いているだけの人々もいましたから、そういう人たちには長く感じられたのではないかとも思います。ただし、そういう人たちはきわめて少数であったことを付け加えておきます。

 沿道には、銀座までの道のりが途中ビジネス街も多いためか、あまり多くの通行人に行き逢った印象もありませんが、ところどころに集団を作り声援を送る主催者関係者たち以外は、私たちのこの行進を、ほとんどが特に拒絶するようにも応援するようにも見えず、ただ珍しい「パレード」をぼんやり眺めている、という風情でたたずんでいる人々が多かったように感じられました。

 私たちのちょうど真横あたりで、道路の向かいの歩道を、5、6人のお巡りさんたちがずっと一緒に歩いていました。ご苦労さんです、という感じです。

 そうそう、銀座の中央通りに差し掛かったところあたりで、ピンクのビニールの布でを腰と胸を覆っただけの、とってもセクシーで、かつ、なかなか美形の若い女性たちが5、6人、巨大なプラカードを掲げて合流してきました。すぐ目の前を歩く彼女たち自身も思いっきり目立ちましたが、彼女たちが掲げていたプラカードが、ブッシュの顔を描きこんだ1万円札で、これもまた大いに目を引きました。いわば、60年代の反芸術の街頭ハプニングと赤瀬川原平の模造千円札事件をリミックスしたようなセンスで、しかもなにか強烈な明るさを発散しているところが、今回のこの「殺すな」のデモをとても象徴しているように感じられたのでした。

 しかし、かなり派手な印象を受けた「殺すな」でしたが、デモの先頭集団であったにもかかわらず、その夜のテレビや翌日の新聞報道などでは、あまり取り上げられていなかったようですね。当人たちが思っているほど目立たなかったのか、それとも、林立する「殺すな」の文字が、テレビや大新聞などのマス・メディアにとっては不穏当に過ぎたということでしょうか……。ちなみに、私の呼びかけに応じて3人の友人知人が参加してくれました。その3人が3人とも、本格的なデモに参加したのは今回が初めての経験でした。

 以下は、その3人それぞれがデモ中に発した印象に残った言葉です。
男性(41歳)「(大きな交差点を斜めに横切りながら)うーん、こうしてお巡りさんの前で堂々と信号無視して道路が渡れるなんて、感激だな」
女性(30代前半)「(歌って踊るピースボートを横目に)わたし、あの人たちと混同されたくない」
女性(30代後半)「(「殺すな」のシュピレヒコールに小声で応じながら)あっ、やだっ、アー、はずかしー」

なお、「殺すな」は、また4/5(土)に「WORLD PEACE NOW」が主催するデモに参加する予定だそうです。関心がおありの方は、下記の「殺すな」のホームページをご覧ください。まだ、一向に戦争は終わっていないので、私も時間の許す限り参加し続けようと思っています。

「殺すな」公式サイト
http://www.tententen.net/korosuna/

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