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内声はなぜ苛立たしいのか。

赤坂真理『ヴァイブレータ』の主人公は、冒頭からいきなり内声に苛立ってい る。
「死―ねよ、おっさん。
 あの女もだよ。
 やっぱり声はうるさい。
 なんであんたは黙ってたんだ、固まってたんだ反撃しなかったんだあいつら は有害だろ排除すべきだったろ?
 あたしを責めるあたし自身の思考が渦巻いている。違うだってあたしは。弱 々しく反論するあたし。ふと言葉が続かなくなり、思考が途切れた。その間隙 に、コントロール下にない声がした。
 血がうだってえ?
 あたしは思わず周りを見回す。その声は『違うだって』、という弱いあたし の言い訳と同じ音だ
が、声が違って、血がうだって、の意味で言っているのが、瞬時にあたしに了 解される。」(新潮社P.3〜4)

主人公の女性は、ルポライターとして取材の仕事を終えたあと、アルコールを 求めて深夜のコンビニエンス・ストアを徘徊している。不愉快な取材のあとの ためか、彼女の頭の中はさまざまな声がこだまするルツボのようになっている。

「いつ頃からだったか、自分の中のものを考える声がうるさくて眠れなくなっ た。それは大半はあたし自身の思考で、たまには、取材で聞いた誰かの話とな いまぜになっていて、それにあたしが任意の応答してたり、本当は感動したと 言いたかったことや、ふざけんじゃねえと言いたかったけど客観性を装ったり 相手の面子を立てたりして抑えた場面のことが思った通り実現されたりした。  それらは全部、あたしの声か、あたしが聞いた声だった。たまに、小学生の ときの友達のお母さんの言葉とか、突拍子もない記憶がそっくり甦って驚くこ とはあっても、経験にない声は、なかった。」(同P.8〜9)

しかし、彼女がコンビニで聞く声は、「男性のような無性の合成ヴォイスのよ うな、無機的な声」だったり、「いーかなくちゃ」と歌う森高千里の声だった りする。

そのあと、主人公はコンビニで出会った長距離トラックの運転手と恋に落ち、 トラックに同乗して東京から新潟までの往復の旅を経験する。いまや男との愛 の空間になったトラックのコックピットでは、全国からの通信が遠のいたり近 づいたりしながら入り交じるCB無線の声や、ザッピングされたラジオの音声 などが響いている。それらは、彼女の頭の中で響いている声とほとんど同じも のである。ただ違うのは、恋人がいっしょに聞いているということだけだ。

内声とは「他者の言語」である。それは「自意識」ではない。
(1999/8/2号掲載)

               
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