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内声の政治学は、私たちの心というものを、複数の声が響きあい、せめぎあう空間として理解する。そのことによって私たちは、個人の意志や主体性といっ た問題を、現実政治の問題と重ねあわせて考える視点を得ることができる。言うまでもなく、フランス語で選挙の票のことをvoix=声というように、政治とはまさに複数の声が響きあいせめぎあうなかから、国家や共同体の意志を決定していく過程だからである。
ところで、この心の多声性という本論のアイディアと一見よく似た考えで書かれているのが、岡野憲一郎『心のマルチ・ネットワーク』(講談社現代新書)である。岡野が提唱する「マルチ・ネットワーク・モデル」とは、私たちの脳は複数の神経ネットワークによってコンピュータの並列処理のように同時にいくつかの心的活動を行っており、それを中央で制御するシステムはない、とする考え方である。この同時並列的な複数のネットワーク間の結合と解離が、私たちの心的活動を決定づける。多くのネットワークうち、表舞台となる意識野とたまたまつながっているネットワークの思考が、私たちの意識となる。こうした理論は、とりわけダニエル・キイスの小説に出てくるような多重人格障害を理解する上で有効であろう。また、内声の政治学を、現在の脳神経科学の成果と結びつけて考える上でも参考になる本である。
ただし、岡野は心の活動をあくまで脳の内部で起きていることとしており、もちろんその点で本論とは立脚点を全く異にしている。本論でいう心の多声性とは、あくまで「他者の声を聞く」ことからはじまるのであり、個体の外部へと開かれている。岡野の理論では、私たちの脳がマルチだから、人間は外に向かっていろいろちぐはぐな行動をとってしまう、という考え方になるが、本論では、心が多声的であるのは、私たちが人間関係や社会のなかで、現実に直面する声が多様であることに由来すると考える。
(2000/10/16号掲載)

               
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