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田中外相と外務官僚との一連の角逐の過程で起こったのは、外相と外国高官との密室のやりとりを官僚がマスコミに「リークする」という事態だった。(leakとは「水が洩れる」ことからアナロジーして漏洩を示す言葉。leaky vesselというと「洩れやすい甕」=「おしゃべり」ということになる。)「内輪の言葉が外に洩れる」という点では、森喜朗が「失言」を問題にされ、首相を降ろされる経過でも同じことが起きていたわけだが、同じように「本音が暴露され」ても、森は悪玉にされ田中は善玉にされるのはなぜか、興味深い点である。
キムチが『社会人日記』の森前首相を論じた部分で執拗に「分からない」と問い続けていたのは、この「本音」というものの存在の不可解さであろう。人には本音というものがあるように、だれもが信じている。しかしこれは、交換が始まる前から商品に価値が内在すると信じるのと同じように倒錯的な信念である。実際には「洩れる」ということの可能性があって始めて、洩らされる「本音」が発生するのではないか。
(マルクスは『資本論』でこう書く。「ひとは見る、――商品価値の分析がさきにわれわれに語ったいっさいのことは、亜麻布が他の商品たる上衣と交わりをむすぶや否や、亜麻布それ自身がこれを語る、ということを。ただ亜麻布は、それのみが精通する言葉たる商品語でそれの思想をもたらす、というだけのことである」。河出『世界の大思想−マルクス1』49ページ)
前回にも少し触れた、沖縄駐留米軍の調整官がメールングリストで書いた言葉をなぜかマスコミに報道され、謝罪に至ったという事態も思い合わされる。「密告する」ことをinformと言うが、こういうことがたびたび起こると、IT(information technology)革命とは密告技術の進化のことか、とまぜ返したくなってくる。

前回取り上げた映画『サトラレ』もまた、「本音が洩れる」ことに関する映画である。原作となった佐藤マコトの同名マンガのコミックス帯に、映画のストーリーが巧みに紹介されているので引用しよう。
「ココロで思った事すべてが周りにいる人に『悟られ』てしまう不思議な能力の持ち主、それが『サトラレ』。サトラレである若き天才外科医・里見健一(安藤政信)は、今時珍しいくらいにピュアな好青年だ。しかし、健一は自分が『サトラレ』であることを知らない。『サトラレ』の持つ天才的な能力を保護するため、サトラレ保護監察官・小松洋子(鈴木京香)達は国中をあげて彼にウソをつき通す。しかし、彼のピュアなココロの声を聞くうちに、自分達が見失いかけた『本音で相手と向き合う』事の大切さに改めて気づき始める…。」

次回は、この内容を詳しく論じる。
(2001/06/18号掲載)

               
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