届けられた箱は、リンゴかなにかが入っていたのでしょうか、段ボール箱を器用に再利用して62%ほど縮小をかけたような大きさにしており、梱包の際にぐるぐるとしつこくガムテープを巻いたせいで「土」という文字や「蜜」という文字の一部がやっと判別できるくらいの割合で残っているというものでした。こわれもの注意というシールを無視して、上下左右にがたがたとゆさぶりながらそのしつこいガムテープを引きはがし中をひらくと、そこにはびっしりとこぶしくらいに均一に丸められた新聞紙がつめられていて、ひとつを取り出すと、残りもポップコーンのようにぽんぽんぽんといくつも驚くほどの数がはじかれたようにでてくるものですから、わたしはそれがおもしろくてしかたなくなり、しばらくそれを掘り起こすことに夢中になっていました。やがて奇妙な、まるで鍾乳洞を裏返したような、突起が表面からでているかたまりが姿をあらわし、ようやくそこで手を止めました。

「パパ、まさか、パパがAVなんていうものを家族の寝静まった夜中にこっそり、しかもあろうことか、憂い気味なまなざしでみていたなんて知らなかった。それだけならまだしも、ねえパパ、パパはわたしたちの生まれる前に黄泉への入り口をとうに見つけていて、その木戸口にいつも立って、遠くの、近くの、死に想いを馳せていたのでしょう。わたしたちと一緒に笑っているときもずっと。そんなこと、ちっとも知らなかった。」

 わたしはその白いかたまりをそうっと箱の中から取り出して、そう話しかけました。そのかたまりには中心線に沿って切り込みがはいっていて、そこに両手の親指を掛けて力を込めると、みしみしと、やがてばりばりばりと大きな音をたて、そうあるべき果実のようにまっぷたつに割れました。なかは空洞ですが、そこには愛すべき造形がネガとして存在しておりました。指で丁寧になぞっていきながら、よおく眺めてみると、中の表面にはいくつもの紙魚のようなものが見えました。それがパパの存在証明なのかもしれませんが、一体何の紙魚なのか、いまのわたしにはどうにも知りようがありません。ただひたすら、わたしの知っている男性の知らない内側を何度もいとおしくなぞるばかりなのでした。

2006年7月10日号掲載

 

 

 
p r o f i l e