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text/キムチ 執筆者紹介

結局のところ、プレステ2はゲーム機であるのか、あるいはそれ以上のものであるのか。この問題に、なるほどと思わせる回答を与えているのは、ラジコン技術臨時増刊「サイゾー3月号」の押井守だ。

ソニー・コンピュータエンタテイメント(SCE)から発売されたプレイステーション2とは何であるのか、SCEの戦略はどこにあるのか、については様々なメディアが議論をしている。ニュースステーションすらが取り上げてITたらゆう景気浮上のためのキー(夢)ワードとの関連で話題にしたぐらいだ。SCE自身が、最初はあくまでもゲーム機だと主張していたのに、ケーブルテレビ経由での通 信を視野におさめていることを発表して、がぜん情報家電時代への期待が高まっているようだ。マイクロソフトが通 信可能なゲーム機を自ら作って参戦を表明したことも市場のアドレナリンを高めている様子。

子供の活躍で、わりとあっさりと早々にプレステ2を手に入れた我が家では、RPGも一作やってみて、子供と一緒に船酔い状態になってしばらく寝込んでしまった。ポリゴンの3D空間を主人公の視線で彷徨っているうちに酔ってしまったのだ。リアルだから、とも言えるのかもしれないが、特に美しいと感じるほどの空間でもなかった。これは作品の質にも当然よるのだろうが。(私はといえば、64のマリオでも酔ったのだ。しかしマリオカートを何時間もガンガンやっている息子も今回は気分が悪くなって寝込んでしまった。本人は体調が悪かったと主張しているが。)TSUTAYAで借りてきたDVDで映画も見たが、これには別 に何の異存もない。テレビの性能もあるだろうし、こまかい画質のことまでは分からない。とりあえずのところ、概ね満足していて後悔はない。しかし、問題はそういうことではなかった。

プレステ2とは何か?という問いは、とりあえず二つに分けて考えられるべきだ。ひとつは、ITだの情報家電だのいわれている分野の問題であり、もうひとつは、ゲーム機としてのプレステ2だ。ゲーム機としてもネットを介しての配信や対戦が話題の中心に躍り出ているが、これも本当にゲームとしての必要な進化に駆られてのことなのか、情報産業への誘い水なのか、誰にもよく分からない。やっている本人たちにもよく分からなくなっていそうなのが怖いところだ。その点で、いつもハッキリしていそうなのは任天堂で、やばそうなのはセガだ。

さて、結局のところ、プレステ2はゲーム機であるのか、あるいはそれ以上のものであるのか。この問題に、なるほどと思わせる回答を与えているのは、ラジコン技術臨時増刊「サイゾー3月号」の押井守だ。「うる星やつら」や「甲殻機動隊」をアニメ映画化した押井である。

押井はいう。プレステ2は、プレステ(全世界で7000万台を売ったという)で、ゲーム機を真のゲーマー以外にも売ってしまったソニーが、真のゲーマー以外にも楽しんでもらうための機械なのだ、と。押井にいわせれば、ゲームを楽しめる人口は、日本であれば、せいぜいが何十万のオーダーであるはずだ。けれども、プレステはそれ以上の人口にゲーム機を普及させてしまった。そこで、ソニーは、ゲーム以外でも楽しむことの出来る機械を提供した。ソニーにしてみれば、別 にゲームでなくても、映画でも音楽でもそこに載せることの出来るソフトはいろいろとある。(その意味で、ソニーの一番の戦略商品は「メモリースティック」であると押井は言っているが、そのくせにプレステ2はメモリースティックに対応していない。)ゲーマーにとっての不幸は、プレステが何百万台も売れてしまったところにあったのだ、と押井は言いたげである。

押井の言葉に納得がいくのは、まずゲームを本当に愛しているのは何十万のオーダーであるという主張であり、そのゲーマーたちにとってみれば、プレステ2のスペックが本当に必要なものであるかどうかは、多分別 問題であろうと思われるところだ。たしか岡田斗司夫がどこかで言っていたと思うが、ゲーム機の本質はコントローラーにあって、その意味ではプレステ2に何の新味もない、という意見もあるが、逆にたとえモノクロ・ギザギザ画面 でも面白いゲームは存在する。(ことは、大作主義で疲弊した日米の映画産業の過去の推移にも似ている。)

ゲームを制作する人たちの中には、本当にゲームを愛する人が経営者であってくれたら良いのだが、そうでない場合には市場を混乱させて痩せさせるだけにもなりかねない。孫や大川がそうであってくれればいいのだか、と反語的な意見を述べている人がいる。

真のゲーマーでない私はといえば、とりあえずDVDが見られることで満足。当面 、プレステ2の登場を一番よろこんでいるのは、DVD関連の業者ではなかろうか。