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              ……とてもびっくりしました。まだまだお元気そうでしたし、ついこの間の運動会のときも園児の皆さんと一緒にリレーで走ってらして、こんなことになるとはいまも信じられません。それはお年がお年でしたけれども。こちらのほうは随分忘れっぽくなってしまったけど足腰だけは達者なのよといつもおっしゃって、あるとき、これが元気の秘訣かもしれませんわとつけ足していました。ちょうど石段を上ってこられたところだったのです。 
               園長先生は、私はせっかちだから、と車路の緩い坂道からではなくて学園の森の石段を上り下りされてました。バス停からだとそちらのほうが近道なのです。生徒や園児はそちらを使うことは禁止されていたはずです。昔はそうではなかったのですが、いやな時代になりました、何だか中学部のお子さんが変質者に首を締められそうになったとか、そういう事件が起こったのでそうなったのだそうです。 
               たしかに昼間でも鬱蒼として、石積みもところどころ苔むしていて、少し恐ろしげな道ではあります。でも私たちが学生のころは普通にその道を使ってました。足が太くなってしまうわとか言いながら、石段を数え数え通ったものです。たしか二百五十九段だったと思います。それが増減するのだという怪談ももちろんありました。 
               でも、こんなことになってしまうと、どちらかというと私にはよい思い出しかないあの石段が、不吉ないやなものに見えてきます。 
               長年慣れ親しんできた道で、あのような恐ろしい事故が起こって、お優しい園長先生が亡くなってしまうなんて本当にショックです。頭部に最初に受けた傷がすさまじく、恐らくそれが致命傷で、転がり落ちる間はすでに意識がなかったと思われるということが唯一の救いでしょうか。あの長い長い石段をなすすべもなく落ちていく気分など想像したくもありません。 
               私たち母親だけでなく、子供にとってももちろん大変な衝撃だと思います。園長室でしかつめらしくしているよりも庭で園児と遊ぶほうがよほどお好きな方でしたから、園児からも大層慕われていました。入園当初どうしてもお母様から泣いて離れられないでいたお子さんも、園長先生が微笑みながら話しかけると、嘘のように泣きやんでしまいます。涙をこらえてお母様に向かって手を振る子供の姿は感動的で、まるで魔法のようですね、ご立派ですねと先生に申しましたら、立派なのは子供なのですよと優しくおっしゃってました。 
               また、先生はシンプルな無地のワンピースをお召しになっていることが多かったのですが、その襟元や胸には、いつも園児の手作りのアクセサリーがつけられていました。それはビーズやどんぐりや数珠玉のネックレスであったり、落ち葉のブローチや野草のコサージュであったりしました。これは先生にさしあげるのよと、小さいお手手で一生懸命こしらえたプレゼントです。私の娘も一度いくつかの貝殻をボンドでとめたプローチをさしあげたことがあります。さっそく先生はそれをつけてくださって、その日一日、娘はとてもうれしそうにしておりました。そのような先生の姿をお見かけするたびに、心が温まるような思いがしたものです。 
               
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