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【'04.10.25号】

featuring...
小 池 昌 代


塚 本 敏 雄 
p r o f i l e
雨男、山男、豆をひく男
小池 昌代
新潮社
2001-12

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 先頃「現代詩文庫」から『小池昌代詩集』が刊行された。ぼくにとっては出るべくして出たという感じで、とても嬉しかった。

 小池昌代さんの詩をはじめて読んだのはいつだったか。ポエマのメンバーでもあり年来の友人でもある柴原氏がぼくに勧めてくれて、はじめて読んだのだと思う。彼があまり褒めるので彼から借りて読んだ。もう2年近く前になろうか。貸してくれたのは新潮社から出たばかりの『雨男、山男、豆をひく男』という変わったタイトルの詩集だった。小池さんは『永遠に来ないバス』、『もっとも官能的な部屋』という詩集をそれまでに出していて名前は知っていたがきちんと読んだのはその時がはじめてだった。

 まず『雨男、山男、豆をひく男』を手にとって目を引いたのはそれが新潮社から刊行されているということだった。新刊詩集がそのような大手出版社から出ることは極めてまれであるからだ。詩集は売れないというのはもはや定説以上の事実である。谷川俊太郎氏は別格としても、詩の専門書店以外の大手から詩集を出しているのは、晶文社やみすず書房から詩集を出している長田弘氏が目立つくらいだろう。そうした中でまだ新進とも言える小池昌代さんの詩集刊行は目を引くものがあったのだ。

 さて詩集を開いて早速ぼくは驚かされた。そこに載っている巻頭の詩「男たち」にうっとりとしてしまったからだ。なお、この詩は前述の『小池昌代詩集』には何故か収録されていない。ここで是非紹介したい。

 男たち

小田急線沿いにある金子ジムは
小さな
ボクシングジムである

電車のなかから
金子ジムの練習風景が見える
若い男が闘っている
暗い夜のなかで
桜色の筋肉が
黙って花のような汗をかいている
闘う、というその姿勢に
私は何かを思い出しそうになり
思い出しそうになって
ついにわからない
「金子ジム、練習生募集」
それは
いつも
重く滴った心だけに
黙読される文字
かれら
みな
暗い戸を押し
ひとり
ひとり
この場所に
集まってきた

 決して難しくない。淡々とした情景描写に少しだけ内省的な感慨がまじる。確かに、「闘う、というその姿勢に/私は何かを思い出しそうになり/思い出しそうになって/ついにわからない」というところが内的な感興を呼び起こす。だが、それだけ。「花のような汗」はちょっとレトリックの使い過ぎかなともちらりと思う。 

 しかし全体的にこの詩は完璧な詩として屹立している。なんと艶やかな。映画のワンシーンのようである。

 この詩を読んで気づくことはメタファーが使用されていないこと。第二次世界大戦後に出発した現代詩はメタファーの多用によって過去の詩との境界線を引き、思想性とポエジーの結合に手をかけてきたと言ってもいいと思うが、ここではむしろ映画的な情景描写によって新たな詩が出現しているかのような印象を受ける。

 小池さんの他の詩集、たとえば『もっとも官能的な部屋』を読んでぼくが感じたのは「偉大なるエチュード集」という感じであった。印象でものを言って申し訳ないが、現代詩の技法の忠実にして高度な反復が見られると思えたからだ。

 小池昌代氏は1959年生まれと略歴にある。昭和で言うと三十四年生まれ。実はぼくも同年の生まれ。そして正に「59(ゴクウ)」なる同人誌があって、1959年生まれの、伊藤芳博、岩木誠一郎、金井雄二という三人の詩人が詩を書いている。いずれも過去の現代詩の重い遺産を通過してそれらに対する愛情を持ちながらも、静かなリリシズを持つ詩を書いている。

 過去の詩的遺産への愛情を持ちながら、それでいてそれらから離反していかなければ自らの詩を自らのものとすることができない。「男たち」は、そんな詩的世代の代表作のような気がしてならないのだ。 (「月刊ポエマホリックカフェ」2003年12月号より転載)

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